チェロを弾く人たち

先日、通訳・案内で、地元交響楽団の定期演奏会に同行したが、新進気鋭のチェロ奏者ボリス・アンドリアーノフ氏(Boris Andrianov、ロシア出身)によるドヴォルジャークの「チェロ協奏曲ロ短調」を中心に、思いがけず素晴らしい演奏を聴くことができた。
 
アンコールはインタビュー(英語)も交え、大サービスで、ジョヴァンニ・ソッリマ(Giovanni Sollima)作の「ラメンタチオ」(Lamentatio)、そして、パブロ・カザルス(Pau Casals)作の「鳥の歌」(El Cant dels Ocells)と、全くタイプの違う曲だが、確かな技術に裏付けされたパッショネイトな演奏を披露してくれた。前者は現代音楽で、ヴィヴァルディのダイナミズムとロックのノリのある曲だ。後者は具象的な小品で、目の前に高らかに飛ぶ鳥が自由にさえずる様子が見えるようだった。深みのあるチェロの音色に魅せられたが、ロシア政府から貸与されている18世紀の名器ドメニコ・モンタニャーナ(Domenico Montagnana)だそうだ。迫力のある力強いチェロの音を楽しむことができた。
 
さて、チェロ奏者と言えば、映画「おくりびと」の主人公が記憶に新しいが、ジョー・ライト監督の「路上のソリスト」にもチェロを弾く人が登場する。LAタイムズ新聞のコラムがキッカケとなった実話をもとにした作品だ。ロペスの連載記事に心を動かされた人は多く、「路上のソリスト」との交流を通してホームレス、心の病、音楽の力、友情等についての考察が記されたものだ。
 
心の病をテーマにした映画は多い。卓越した音楽家という視点からは、デイヴィッド・ヘルフゴット(実在のピアニスト)の「シャイン」(1996年)や、統合失調症に苦しむ天才という視点からは、ジョン・ナッシュ(実在の数学者、ノーベル賞受賞)の「ビューティフル・マインド」(2001年)のアプローチと比較対照してみると面白いが、この路上のソリスト、ナサニエル・エアーズも実在の人間だ。ナサニエルが抱える問題は2時間弱の映画の中で解決できるものではない。ロペス記者が深入りしたくなかった気持ちや、ナサニエルを治したい(変えたい)と焦る気持ちはよくわかる。しかしながら、かかわることで変わったのは自分の方だとロペスは気付く。
 
ジョー・ライト監督は、「プライドと偏見」(2005)では、ジェーン・オースティンのエドワ―ディアンな世界をみずみずしく現代に息吹かせ、また、「つぐない」(2007)は、イアン・マキューアンの大戦前後のイギリス社会を、記憶を手繰り寄せるように描いていたが、ブライオニーのテーマ(音楽)が印象的だった。今回は現代のアメリカに舞台を移し、実在する人物を、音楽を通して描いている。
 
ナサニエルとロペスが、オーケストラのリハーサルを見学するシーンがあるが、共感覚(synesthesia)のようなものが描かれている。初めて、synesthesiaという言葉を目にしたのは、定期購読していた雑誌Smithsonian(2001年2月号、「スミソニアン」)だった。共感覚とは、ある刺激に対する感覚が通常ものだけではなく、もう一つの感覚を伴う特殊な知覚現象で、一部の人のみに起こる。例えば、音に色を感じたり、文字に色を感じたり、形に味を感じたりするという。音に色を見る共感覚は、こんな感じだろうかと思った。しかし、このシーンで一番パワフルなのは、ナサニエルを演じるジェイミー・フォックスの表情だ。「Ray/レイ」(2004)では、ピアノを見事にこなして、さすがは音大出身だけあると思ったが、「路上のソリスト」でも音楽への愛情を見事に体現している。そして、ロペスは「ナサニエルが本当に必要なのは友情なのだ」と気付いていくのであった。

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