ダイアローグ 第14夜

「パリ,テキサス」(1984年)

 

今夜は,「愛のめぐりあい」(1995年)で,ミケランジェロ・アントニオーニ監督とコラボレーションしたヴィム・ヴェンダーズ監督の作品のうち,男女の関係を描いた「パリ,テキサス」を採り上げて見ることにしましょう。映画の舞台になったヒューストンの街の様子を織り込みながら書いてみようと思います。

 

まずは,脚本。俳優サム・シェパードの「モーテル・クロニクルズ」が,原案になっています。ロケの合間等に,安ホテルに泊まりながら書きとめられた日記のような追想のような雑記。家族のこと,思い出,旅の出会い。今風に言えばブログのような感じと言っても差し支えないのかもしれません。

 

サム・シェパードのみずみずしい感性は確かなもので,ピューリッツァー賞受賞作家(戯曲)であることを実感しました。映画と原案は,内容的にはほとんど独立していますが,父親のアルコール依存症と暴力,ないがしろにされた母,そのような環境の中で育った主人公という設定が根底に流れています。そして,アメリカを転々と流れる主人公。

 

アントニオーニ監督との関連では,「砂丘」(1970年)の脚本で,サム・シェパードはコラボレーションしています。荒涼としたアメリカの心象風景を扱ったという点で,何らかの共通点を見出すことができるかもしれませんね。

 

そして,ヴィム・ヴェンダーズ監督のアメリカ的なものへの好奇心や興味が,この作品の原動力です。ヨーロッパ系の監督さんでは,ゴダール監督等も,アメリカ的なエレメントを,自分なりに消化しているのですが,ゴダール監督がポップ・カルチャーやポップ・アートに主眼を置いたのに対して,ヴェンダーズ監督は,アメリカ南西部の浪漫と過酷さに目を向けています。「イージー・ライダー」(1969年)のビリーに惚れたヴェンダーズ監督。「パリ,テキサス」は,アメリカを外から覗いた作品ともとれます。

 

ヨーロッパの文化の洗練の象徴であるパリ(フランス)。そんな名前が付けられた,テキサスの小さな田舎町。その町で,受胎されたと信じる男。荒涼とした東テキサスの小さな町。不毛な地にさえ,愛が生まれるという一筋の希望です。

 

冒頭シーン。生死の間を彷徨ように,テキサスの荒野を歩く男。4年間失踪していたこの男が,メキシコと国境を分かつビッグ・ベンドのあたりで発見され,迎えに来た弟と共にロサンゼルスに車で向かいます。映画の進行と共に,口を開かなかった男の人生が,断片的に浮かびます。そして,弟夫婦に預けられた息子との再会。妻がヒューストンの銀行より息子のために送金しているという情報を頼りに再びテキサスへ。約2,500キロの旅ですが,約半分はテキサス州に入ってからの距離(エル・パソ~ヒューストン)です。

 

ダウンタウンの高層ビル。そう,あの橋は,フランクリンの中央郵便局の前のもの。映画の舞台になったドライブ・スルーの銀行は,今でもあります。サンクスギビングの頃にロケされたということで,まだ暖かい日もある秋日和のヒューストン。うとうと居眠りする男。

 

妻の赤い車を見つけて,ダウンタウンの北側からフリーウェイに乗ります。道路の拡張などで,いつも工事をしているので様子が変わっていますが,あの大きな看板は今でもあります。45号線から10号線に。おっと,見失わないで!シェパードのあたりで高速を降りて,左折し,フェイドアウト。この架橋は今でもあります。

 

フェイドアウトの先は,ピープ・ショーで働く妻の職場。ここは,セット撮影のようですが,有名なマジック・ミラーのシーンが登場します。妻からは見えない男。男は妻の反応を見て,その場を立ち去ります。そして,ヒューストンを出て,小さな田舎町へ。アメリカの道を旅すると,どこにでもあるような町です。その晩,息子に自分の両親のことを話します。

 

翌日,一度は去ったものの,ヒューストンの覗き小屋に再び戻ってきた男。マジック・ミラーを通して,男は過去を清算するかのように,今までの2人の関係を語ります。深く愛すれば愛するほど,擦れ違ってしまった男と女。壊れてしまった関係を修復し,2人の間の溝を埋めることができるのでしょうか。

 

男が一体誰なのか気付いた妻に,鏡に映った男の姿が一つになります。カラカラに干からびた荒野を歩いていた男は,小雨で潤うヒューストンの街で,妻と再び繋がることができました。しかし,マジック・ミラーで隔てられたままです。「これでいい」と言わんばかりに,ホテルの部屋の番号を残して男は立ち去りました。

 

メリディアン・ホテル1520号室。高層ビルに囲まれたダウンタウンの一角。ホテルの名前は変わってしまいましたが,今でも実在しています。アレン・パークウェイからダウンタウンに臨むホテルの15階の部屋。そこで息子と再会する妻。

 

向かいの駐車場の屋上で,再会した母子を見守る男は,満足したかのように,雨のあがった夕焼け空のヒューストンを後にします。ライ・クーダーの音楽と共に,45号線のオーバーパスからの眺めが夜のとばりに変り,観る者の心にフェイドアウトしていくのでした。パリ,テキサスへの道でしょうか。確かに,45号線方面で街を出ると,たどり着くことができます。全てを失った男の再生と,家族の物語です。

 

2夜にわたり,ミケランジェロ・アントニオーニ監督とコラボレーションした監督さんの関連作品を選んでみました。いかがでしたでしょうか。どの作品も,男女の複雑な関係を描いたものですね。ウォン・カーウァイ監督,スティーヴン・ソダーバーグ監督,そして,今夜のヴィム・ヴェンダーズ監督。もう一つの共通点は,アントニオーニ監督を含めて,カンヌ国際映画祭受賞監督であるということです。

 

(コラボレーション その4: カンヌ国際映画祭に寄せて)

ダイアローグ 第13夜

「花様年華」,「ソラリス」,「セックスと嘘とビデオテープ」

愛と死と生きること

 

ダイアローグ第11夜と第12夜では,ミケランジェロ・アントニオーニ監督が,他の監督さんたちとコラボレーションした作品を選んでみました。第11夜で採り上げた「愛の神,エロス」(2004年)のウォン・カーウァイ監督とスティーヴン・ソダーバーグ監督。2人の監督さんの関連する作品に,今夜は軽く触れてみることにしましょう。

 

1.ウォン・カーウァイ監督 (「愛の神,エロス」第1話 「若き仕立屋の恋」を担当)

 

カーウァイ監督の「花様年華」(2000年)は,「愛の神,エロス」に登場するチャイナ・ドレスを仕立てる青年の導火線とも考えられます。チャン夫人(マギー・チャン)のチャイナ・ドレス姿が艶やかで,花のように麗しい。

 

「花様年華」は,2組の三角関係が交差し,ダブル不倫一触即発の状態を描いた作品です。それぞれ結婚相手の不倫に感づいていますが,どうすることもできません。そんな気持ちを一番理解できるのは,不倫されているという同じ痛みを持った人です。2人の距離は,つきつ離れつ,やがて,同情が愛情に変わっていく危険と緊張感。行き場のない感情をどうすることができるのでしょうか。

 

2046」(2004年)でも,「花様年華」の後遺症を抱いた主人公が登場します。「花様年華」,「2046」と生成発生し,「若き仕立屋の恋」は,その番外編ともとれます。一筋縄ではいかない大人の男女の関係を描いた作品の中でも,特に「花様年華」は秀作だと思います。

 

※参照:「2046」 愛のかたち 第3夜(3/17) 

 

 

2.スティーヴン・ソダーバーグ監督 (「愛の神,エロス」第2話 「ペンローズの悩み」を担当)

 

「ソラリス」(2002年)と,「セックスと嘘とビデオテープ」(1989年)。どちらも,じっくり採り上げてみたい作品ですが,今回はざっと見てみましょう。

 

「ソラリス」(2002年)は,スタニスワフ・レムの原作(SF)をもとに,タルコフスキー監督が1972年に映画化した「惑星ソラリス」のソダーバーグ・ヴァージョンです。タルコフスキー監督の静謐な映像美に対し,ソダーバーグ監督の現代的な透明感のある映像。タルコフスキー監督の約3時間(165分)の作品に比べて,ソダーバーグ監督版は,99分とタイトに仕上げています。

 

どちらの作品も,SFという設定ですが,視点は外側にではなく,人間の内なる宇宙に向けられていると思います。意識と無意識。記憶の具現化。そして,自己と他者との境界。愛する人でも,永遠に分かり合えない部分があるということ。人を愛する時の一体感と,別個の人間であるという実感に伴う疎外感。それでも愛するということとは……。人間関係に関する命題が盛り込まれています。

 

旧ソビエト体制のもとに作製されたタルコフスキー監督の「惑星ソラリス」では,人間を超越する存在の可能性が示唆されているのが興味深く,ソダーバーグ監督の作品では,映画の中で引用されたディラン・トーマスの詩(And Death Shall Have No Dominionより)が,映画の核になっていると思います。愛する人の死と,愛の普遍性を問う一節で,2人が繋がる出会い。ソダーバーグ監督のセンスに,ゾクゾクしました。

 

Though lovers be lost

Love shall not

 

恋人は消えども

愛は消えず

 

美しい花も,ピークを過ぎれば,やがて枯れてしまいます。アントニオーニ監督の「愛のめぐりあい」(1995年)に登場した青年は,花は枯れるので嫌いだといいます。それに対して,この青年が死を恐れているのだと察知した女性。

 

花は刻一刻と変わる光の中で変容を遂げます。この変化の可能性が面白く,ブログのために花の写真を撮っていると,花は朽ちるから美しいのだと実感します。その瞬間の美しさを見逃さず,愛でるしかない。花は生命の象徴であり,美しさという抽象的なコンセプトを具現化しています。そして,花が枯れても,美しさという概念は消えません。美,そして,愛はいつもそこにあるのだから。

 

美や愛という抽象的なコンセプトが,花,もしくは恋人というかたちで体現されるのは,抽象的な世界(宇宙)に戻っていく束の間の出来事なのかもしれません。愛するということは,そのようなものなのかと。この映画を観ながら,エネルギー保存の法則(熱力学第一法則)などをイメージしました。ソダーバーグ監督の知性と集中力は,いつもながらお見事。

 

また,ソダーバーグ監督の長編デビュー作「セックスと嘘とビデオテープ」には,新鮮な衝撃を受けました。ルイジアナは,ソダーバーグ監督の育ったバトンルージュが舞台です。表面的には理想的な弁護士の夫を持つ妻。でも,何かがおかしい。自分の気持ちに素直になれない妻。妻の妹と不倫する二枚舌の夫。お堅い姉に対して,自由奔放な妹。そして,つかみどころのない夫の学生時代の友人。やがて,嘘くさい生活のバランスが,遂に崩れる時が訪れます。ルイジアナという土地独特の空気を背景に,自分に正直であることを描いた秀作。

 

次回は,「愛のめぐりあい」(1995年)で,アントニオーニ監督にコラボレーションしたヴィム・ヴェンダーズ監督の作品のうち,男女の関係を描いた「パリ,テキサス」に繋げていくことにしましょう。

 

(コラボレーション その3

ダイアローグ 第12夜

「愛のめぐりあい」(1995年)

 

1985年の脳卒中のため,言語と体の自由を失ったミケランジェロ・アントニオーニ監督の短編作品集を,ヴィム・ヴェンダーズ監督が,真珠の首飾りのように繋げて完成させた作品です。アントニオーニ監督の絵画的な光と色彩,そして古い建築様式を生かした構図に,ヴェンダーズ監督が受け応えています。男女の関わりを描いた一種のロード・ムービーともとれます。

 

短編を繋ぐ案内人は,監督の分身。映画の題材を探しているという設定です。

 

1話 「ありえない恋の物語」

2話 「女と犯罪」

3話 「私を探さないで」

挿話 「日曜画家と友人」

4話 「死んだ瞬間」

 

「ありえない恋の物語」の舞台は,アントニオーニ監督の故郷フェルラーラ(イタリア)。そこに伝わるお話という設定です。霧の中から姿を現した村で出会った2人。あえて手に入れないことで,愛を成就することもあるのかというのが,第1話の命題です。ずっと探していた花を野原で見つけた時に,そのままそっとしておくことも愛なのでしょうか。あと一歩で手に入るという時に,手に入れなかったことはありますか。

 

1話と対象的な「女と犯罪」。季節はずれのフェルラーラのラグーナ(海)で見つけた一枚の絵葉書を頼りに,海辺の町ポルトフィーノ(フランス)へ。ヴェンダーズ監督の夢のようなパステルの砂浜から,アントニオーニ監督の雨に洗われた深い色合いの港と坂の街へ。ミステリアスで魅力的な女性との出会い。彼女は見知らぬ男に秘密を打ち明けます。そして,二人は関係を持ちますが,それ以上の進展はありません。簡単に結ばれた関係は,簡単に終わるということなのでしょうか。

 

「私を探さないで」は,フランス在住のアメリカ人の夫と,ヨーロッパ出身の妻が,夫婦としての関係を持てなくなった状況のスケッチです。前夜(5/20付けブログ)の「愛の神,エロス」(2004年)に登場したアントニオーニ監督の「危険な道筋」と,よく似た設定です。夫とイタリア人の女性と三角関係が3年続き,一触即発の状況へと進みます。パリ。無機質な部屋の窓枠に縁取られた風景。なかなか共感を得にくい題材ですが,アントニオーニ監督が話したかったことなのだと思います。

 

「日曜画家と友人」は,老境に達した男女の友人の会話。屋外で,セザンヌを模写する男。なぜ自分の作品を描かないのかと問う女。模倣は,天才のプロセスをたどることだという男。それぞれ違った見解を持ちつつも,友達でいることができる,もしくは,友達でいても,違った意見を持ってもかまわないというような小品。

 

「死んだ瞬間」では,若い男女の出会いの1日をカメラが追います。「日曜画家と友人」に登場した女性と擦れ違う画学生らしき青年。若く聡明な女性に出会います。心を開かない彼女に魅かれていきます。平行線上の手に入らない恋。やがて,古都エクス・アン・プロヴァンス(フランス)の重厚な街並みに,夜が訪れます。明日も会いたいという青年。でも,もし明日が来ないとすれば,何ができるのでしょうか。

 

「愛のめぐりあい」の原題は,Al di la delle nuvole(雲の彼方に)。監督の分身(ジョン・マルコヴィッチ)が,映画の制作ないし創造のプロセスの始まりは,闇の中(無の境地)から湧き上がってくるものを待つようなものだと語る場面から始まります。見えないところに潜む世界に目を凝らしてみるけれど,真の姿を見出すことはできるのかと問う監督。どこかで擦れ違ってしまう男と女。本当に理解することができるのでしょうか。監督は,再び闇の中に消えていきます。

 

ヴェンダーズ監督は,「パリ,テキサス」(1984年)等で,男女の相容れない関係を描いていましたが,「愛の神,エロス」(2004年)でコラボしたウォン・カーウァイ監督(「2046」,「花様年華」等)と,スティーヴン・ソダーバーグ監督(「ソラリス」,「セックスと嘘とビデオテープ」等)も,大人の男女の関係を描くことにおいてはベテランです。アントニオーニ監督が,これらの監督さんとコラボレーションしたことが,なんとなくわかるような気がしました。次回は,これらの監督さんの関連する作品に軽く触れてみることにしましょう。

 

(コラボレーション その2

ダイアローグ 第11夜

「愛の神,エロス」(2004年)

 

ダイアローグというコンテクストの中で映画を選ぶとしますと,基本的に全ての映画が含まれるかもしれませんね。男と女,親と子,職場の人間関係,友,姉妹・兄弟,先生,親戚,近所付き合い,ペットとのかかわり,コミュニティ,旅の出会い,自然と文明,テクノロジーとヒューマニティー……。ダイアローグがある,もしくは,ないことに起因する問題を題材にした映画が沢山作られています。きっと,皆さんも幾つか思い付かれたことでしょう。

 

今夜は,1つの映画を数人の監督がコラボした作品から選んでみることにしました。スタジオの意向で監督を降ろされたり,愛想を尽かして降りたり,製作上のイザコザは付き物ですが,3人の監督が協力して1本の作品を綴った「愛の神,エロス」(2004年)。オムニバス形式の作品です。

 

イタリア映画の巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督の呼びかけで,ウォン・カーウァイ監督,スティーヴン・ソダーバーグ監督が,Eros(原題,エロス)というテーマでコラボしています。ヨーロッパ,アジア,アメリカの代表的な監督さんが,エロスをどのように表現するのか興味深く,これも一種のダイアローグかと思いました。

 

まずは,映画の内容と直接関係ありませんが,題名の背景を少し。エロスは,ギリシャ神話では愛をつかさどる神であり,ローマ神話の表記から,今日ではキューピッドとして広く親しまれている愛のシンボルです。

 

神話では,自分の打った矢に誤って射抜かれたエロスが,プシュケ(魂,精神の意)と恋に落ちます。そして,恋の試練を経て,人を信じること,愛するということに目覚めていくプシュケ。面白いのは,「かぐや姫」や「鶴の恩返し」等の御伽噺と対照的に,男女の役割と立場が逆転していることです。キューピッドの正体を知ったがゆえに,女性(プシュケ)の方に難題が降りかかり,まさに命がけで愛を証明しなくてはなりません。愛と魂。凄い名前(象徴性を抱いた)のカップルですね。

 

「愛の神,エロス」の3作に共通するテーマは,あえて言うならば,愛するということの試練でしょうか。めでたしめでたし(結婚)の後に訪れる試練,そして,かなわぬ愛。どの作品も確固とした結論には到達せず,問題提起,もしくは,考えることを促すような形で語り継がれていきます。

 

1話 「若き仕立屋の恋」(エロスの純愛) ウォン・カーウァイ監督

2話 「ペンローズの悩み」(エロスの悪戯) スティーヴン・ソダーバーグ監督

3話 「危険な道筋」(エロスの誘惑) ミケランジェロ・アントニオーニ監督

 

ミケランジェロ・アントニオーニ監督は,1985年の脳卒中のため,言語と体の自由を失ったものの,このように,ほぼ20年後にも,創作活動を続けているのは嬉しいことです。アントニオーニ監督の作品は,特に60年代の頃のものが素晴らしく,是非ともそちらの方を観ていただきたいのですが,ヨーロッパを舞台にした「危険な道筋」では,倦怠期を迎えた国際結婚カップルの擦れ違いと,自由な女性との出会いが描かれています。

 

スティーヴン・ソダーバーグ監督の作品「ペンローズの悩み」は,第1話と第3話の中間に位置し,能の間に上演される狂言的な小品。やはり,倦怠期を迎えているらしきカップル。でも,まだ気付いていないよう。1950年代アメリカ。広告業界のストレスと妄想は表裏一体?面白いのは,作品が「ペンローズの三角形」(内が外・外が内)のような構成になっていること。ソダーバーグ監督の天才的な閃きが感じられます。

 

ウォン・カーウァイ監督の「若き仕立屋の恋」。3作中,最も優れた作品だと思います。意図された舞台は上海。高級娼婦(コン・リー)の仕立屋として成長していく主人公。彼女に翻弄されながらも,誠実であり続けた若き仕立屋を,チャン・チェンが熱演しています。女性を最も美しく見せることが仕立屋の愛の表現であり,創作の原動力です。平行線上の愛のかたちを丹精に描いた作品。

 

3作の共通点は,愛の矛盾でもあります。「危険な道筋」では,救いようのないマンネリを打破するキッカケは,意外なところからやってくるのかもしれないと感じましたし,「ペンローズの悩み」では,問題の核心が無意識のうちに投影されていました。2本の線が重なり,もつれ合い,堂々巡りして,やがて振り出しに戻ってくる。そして,「若き仕立屋の恋」では,2本の線が重ならないことで,より強く繋がれていく愛の矛盾。愛の痛みと哀しみの中にも,不思議な達成感のようなものを感じた作品です。

 

次回は,アントニオーニ監督のもう一つのコラボ作品,「愛のめぐりあい」(1995年)を見てみることにしましょう。

 

(コラボレーション その1

ダイアローグ 第10夜

「響き:TAKAMIさんとブログde対話 その2

 

TAKAMIさんとのダイアローグを続けることにしましょう。(引き続き,親友TAKAMIさんの513日付のブログをトラックバックさせていただきました。)

 

まりさんとの話は、「アート」と「恋愛」と「人生」。いつもここに集約されます。

同じことに興味を持ち,お話ができる友がいることは嬉しいことです。「アート」,「恋愛」,「人生」。このブログのテーマでもあり,私達のダイアローグのキーワードと言っても差し支えありませんね。

 

古い友達なのに、不思議と昔話ってしないなあ。

昔話といえば私は、まりさんに「プログレ」を指南して貰ったんだった。(progressive rock…洋楽の1ジャンルです。70年代、シンセサイザーが開発され始めた頃、シンセを取り入れた、ジャズやクラシックとも隣接してるような「前衛的」なロックバンドを「プログレ」という)ような気がするんですが、、、書いてみて、自信なし、、

 

そうです!プログレは60年代後半に登場し,70年代にピークを迎えた実験的なロックのジャンルの一つです。おっしゃるように,ジャズやクラシックの流れを汲み,イギリスを中心にヨーロッパを震源地としています。芸術性と高度な技術に重きを置いたサウンド,コンセプト(もしくはストーリー性)の明確なアルバム作りが特徴で,ラジオ局泣かせの長い曲が登場しましたねぇ。長い曲と言えば,ツェッペリン(「天国への階段」等)も,プログレと解釈されることもあります。

 

ソフト・マシーンあたりからプログレの萌芽がみられ,源流にシベリウスやグリーグがかすかに感じられるキング・クリムゾンで,黎明期を迎えたプログレ。デビュー・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(1969年),ケルティックなハーモニーとストーリー性を生かしたイエスの「こわれもの」と「危機」(1972年),開発中のモーグ(シンセサイザー)でクラシックをふんだんにアレンジしたEL&Pの一連のアルバム(「展覧会の絵」等),そして,ピンク・フロイドの「狂気」(1973年)。

 

ところで,指南なんてとんでもない。当時,付き合っていた人がプログレバンドでシンセを弾いていたので伝染していただけのことです。全くの受け売りで申し訳なかったのですが,あまりにも面白かったので,誰かにも素晴らしさを伝えたくなったのですよね。真剣に受け止めてくれてありがとう!これも一種の「響き」なのかもしれませんね。

 

導入はお誕生日に、仲良しともだちみんなから貰ったレコード券で買った「ELP」。 それを皮切りに、イエス、ピンクフロイド、キングクリムゾン 私は、「曲」を聴くだけでとっても満足していたのに対して、彼女は、アーティストの人間性にも興味を持って「ツェッペリンのジミー・ページは守銭奴だ」とか、いろいろ教えてくれたっけなー(^_^;
思えば、あれが彼女の芸術への情熱の片鱗だったんだな。

コンセプトという点と,芸術性という点で,プログレ,いやTAKAMIさんに惹かれるところが大きかったですねぇ。守銭奴かどうか本当のところは知りませんがw,ペイジは今でも好きですよ。スティーヴ・ハウ(イエス)は最高ですねぇ。デイヴ・ギルモア(ピンク・フロイド)もいい。

 

私はその後、「プログレ」から、「現代音楽」へと渡っていきました。武満徹氏の琵琶と尺八の曲や、コーラスの曲には、「魂揺さぶられる」思いを味わったし、そこからクラシック音楽へと渡っていったのでした。
こんなところにも、まりさんの多大な影響が

コンセプトという点では,現代音楽は面白いですね。特に印象派あたりなんて。先月,TAKAMIさん宅にお邪魔した時には,バッハやエリック・サティなどのタイトルを,楽譜の間に見つけて嬉しくなりました。数年前に再会した時には,グレゴリオ聖歌の声の美しさ等,多くを語らずして通じた時には,ただただ感激でしたよ。

 

私は,その後,ダンス系,Musicology(民族音楽学)からワールド・ミュージックをサンプリングして,ジャズ,クラシックと放浪しています。音楽に関して,私は全くのど素人なのですが,TAKAMIさんは嫌な顔もせず,アホな発言も聞いてくださって感謝していますよ。こちらこそ,多大な影響を受けています。これからも,いろいろと教えてくださいね。


影響「影」と「響き」
これは、まりさんと私の間での「ダイアローグ」のテーマのひとつでもあります。
「アーティストは、自分の作品を後世に遺したいのか?」

「作品」は、受け取る人それぞれの中で、かたちを変えていく。
私は「遺す」ことには思い入れがありません。
以前も書きましたが、創作とは、「石」を湖面に投ずるようなもの。
その石こそ自分自身なのであります。
小さな石は、湖底に沈んでいきます。でも、波紋が湖面に広かっていく

よくぞ言ってくれました!何も付け加えることはありません。

さて。まりさんの「名言」をひとつ。

「恋愛は人生のボーナス」

そして,「友情は人生の糧」ですね。


画像は、Takの出産祝いにいただいたまりさんの作品。蝶はグラフィックデザイナーまりさんのシンボルのようです。

 

Tak君のお誕生日は,私達の再会の記念日でもあるわけですね。Tak君の成長を本当に嬉しく思います。

 

変幻する蝶の持つ意味,その象徴性に惹かれます。トランスフォーメーション(生成変幻)するということは,アートないし創造(クリエイティビティ)そのものに繋がるものと感じます。

 

既にお話した人もいますが,最後に蝶のデザインの由来を少し。北アメリカに住むモナークという蝶からイメージしたものです。小さくはかない蝶ですが,長ければ3000マイル(4800キロ)の旅をするというパワーを秘めたモナーク。春は南から北へ。気流に乗りイギリスやヨーロッパ大陸へ渡るものもいます。秋は,北(遠くはカナダ)から南(メキシコで越冬)へ渡ります。4世代かけての旅です。故郷を出て,何世代もかけて故郷に帰っていく。これぞ,響きではありませんか。

 

初めてその存在を知ったのは,サン・アントニオ(アメリカ)に高校留学している時でした。ある秋晴の日、校庭で見かけたモナーク。一日中リボンのように列をなしてひらひらと渡っていく光景に胸が熱くなりました。

 

秋の日差しのなか

空から舞い降りた蝶のリボン

風に流れてメキシコへと向かう

蝶のリボンには国境なんてない

 

青虫から蛹,そして蝶へ。変わるということが人生を象徴しているかのようです。また,その昔からいろいろなデザインとして登場してきました。本物のモナークは,オレンジ色ですが,私の好きな青で,想像力と創造力が自由に羽ばたくことができるよう願いを込めたデザインです。(TAKAMIさんへの出産祝いはホログラムです。)

 

TAKAMIさん,ありがとうございました。全く違った人生を生きてきたのに,こうしてお話できるのは嬉しいことです。異質なものも受け入れることができるということ,少々ヘンでも人の話をじっくり聞いてくれるところが大好きです。感謝!感謝!

ダイアローグ 第9夜

「響き:TAKAMIさんとブログde対話 その1

 

TAKAMIさんとのダイアローグを続けることにしましょう。(親友TAKAMIさんの513日付のブログをトラックバックさせていただきました。)

 

今日は、当ブログにブックマークさせていただいている「映画千夜一夜」のまりさんを、改めてご紹介させていただきたいと思います。

ありがとうございます。(ちょっと緊張気味)


彼女は私の中学時代のお友達でしたが、大学卒業後、テキサス州ヒューストンに渡り、一昨年秋に帰国、帰郷するまで、20年余を、アメリカで、グラフィックデザインとその周辺の仕事をされてきました。
Takを産んだときに、たまたま帰国されていて、病院にTakと私に会いに来て下さったのが20年ぶりの再会。以来、帰国のたびに、そして、帰郷されてからは、私が帰省した折りなどお会いしてきました。

仕事等の都合で,ミレニアム直前の大晦日に,いつもとは違った緊張感の流れる飛行機に乗って帰国しました。無事,日付変更線を越えた時には,皆ほっとしたことは言うまでもありません。シャンペンがふるまわれました。帰国翌日が,同窓会。そこで,出産直後のTAKAMIさんの消息を聞き,いてもたってもおられず会いに行くことにしました。案内してくれたのは共通の友人。懐かしさで一杯でした。


まりさんは、最初、ヒューストンから英語で私にメールをくれたのです。
\(@o@)/さっぱり読めません。

すみません。大ボケです。その辺の感覚がかなりズレていました。大学がバイリンガルの設定で,日本の友人とも英語でやり取りしていたのでついつい。勘違いもはなはだしい!!!

 

彼女のPCには、当然日本語のワープロが入っていません。20年以上アメリカで過ごしている彼女は、頭も身も心も!?殆どアメリカ人。私は、仕方がないので、ローマ字でレスを書きました。これは、韓国人の友人ともやっていることなのですが、かなり肩が懲ります。
まりさんにとっては、日本語で考えて、ローマ字でメールを打つってのは、もっと難儀なことだったと思います。

TAKAMIさん,難儀なローマ字のメール,ありがとうございました。ほんと~~に,よく付き合ってくださいました!「これではいけない!」と一発奮起し,日本語に目覚めたのはTAKAMIさんのおかげです。確かに,英語で何でも通じると思い込んでいたあたりは,アメリカ人的な発想かもしれません。生まれはMade in Japanですが,その後はおっしゃるように異文化の影響を強く受けています。そして今,こうして自分の中の日本を再発見できるのは嬉しいことです。

 

当時は世界言語に対応などなかった時代で,日本語のワープロがないどころか,日本仕様のコンピューターを使ったことがなかった私にとって,日本語の入力は全くの謎でした。ちなみに,当時のOSや設定では,文字化けの問題が大きく,ネットの日本語サイトは(フォント等の問題で)解読不能した。

 

そのうち日本語ワープロを入手して、日本語でメールのやりとりができるようになりました。20年のギャップはスゴイものがあっただろうと思うのですが、彼女の日本語ワープロの修得の早さは凄かった!

早かったのは,ローマ字のメールに付き合ってくれたTAKAMIさんのおかげですよ。ローマ字のメールにキチンと応えてくれたTAKAMIさんがあまりにも気の毒で。最初使っていたのは,かなり怪しい外国人向けのワープロでした。帰国後,初めて日本語仕様のPCを使ってみたのですが,外国語仕様のPCと,日本語入力の仕方が全く違っていました。また一から勉強。面倒でしたが,ボケ防止によかったかもw。


そして、今、「映画千夜一夜」を書いていらっしゃいますが、彼女の映画への造詣の深さにも深く感銘を受けますが、論理的でスッキリと整理された日本語の文章が素晴しいです。

 

温かいお言葉,ありがとうございます。大変励みになります。ブログを始めるキッカケを与えていただき,本当に感謝していますよ。日本語のメール,ブログ「映画千夜一夜」を始めることができたのは,TAKAMIさんのおかげです。

 

ざっと数えても千本以上の映画は見ているはずだし,好きな映画のことなら会話のネタに事欠かないと思ったのがキッカケですが,日本語のタイトルや日本語の表記(役者名など)知らなかったことが大きな動機です。好きな映画のことすら日本語で話せないのは悲しい。ひとたび日本語が繋がり始めると,暗号解読しているようなスリルがあって面白くなりました。

 

ロジカルに書くことに関しては,社会人として英語圏で生活し仕事をしていたので,環境に適応したまでのことですが,職務と学業上の訓練が大きな影響です。日本語的な表現が直ぐに出ないのがもどかしいのですが,大人としての日本語の語彙力はまだまだ一年生。引き続きブログで修行中!(その昔は,日本人にも英語で話しかける勘違いした人間でした。ごめんなさい!)

 

きっと彼女の頭の中は、今でも(いい意味で)アメリカ人で、グローバルで、彼女の書く日本語は、上質な英文の極上の邦訳という感じです。

 

まだ,翻訳調ですか!かなり意識して改めようとしているのですが。まぁ,それが私の持ち味ということでw。そのうち,なくなってしまうのは,ちょっぴり悲しいような気がしますが,それはそれで受け入れようと思います。こうやってブログにプロセスを記録できるのは,観察日記のようで面白いですしね。(と,皆さんも楽しんでいただければ嬉しいです。)


現在は、高松市と海外とのまさに掛け橋的な、ハードな仕事をなさっています。多才な彼女のこれは本分ではないのかもしれないけれど、こんなふうに、言葉で文化の掛け橋になれるって素晴しい。映画のみならず、あらゆる芸術に造詣が深いからこそだと思います。

今までと違ったことをするのは新鮮ですし,今までやってきたことと共通点も沢山あります。ピアノコンクールや,彫刻フェスティバルなどに,知らずと首を突っ込んでいるのは,おっしゃるように芸術という接点がるからでしょうね。

 

それにしても,言葉って面白いですね。言葉の限界と言いますか,パラドックスないしジレンマのようなものがあると思います。何についてでも言えることかもしれませんが,必要以上のことを期待するとしっぺ返しが来ますね。潜在する言葉の美しさをどう発見するのか。アートを言葉の箱に閉じ込めることはできませんが,言葉で言い表せない部分をどう伝えることができるのか。大変興味深いところです。


同じ時期に、生きる「ステージ」を移してみようと考え始め、今は、同じ町でそれぞれ、これからの生き方を模索しています。不思議な偶然。いや、偶然ではないのかもしれません。

偶然ではないのかもしれませんね。そう思うと,人生捨てたものじゃないと嬉しくなります。「転石苔をむさず」(A rolling stone gathers no moss)。日本風に解釈すれば,石の上にも3年(Patience is a virtue/忍耐は美徳)。アメリカ英語風に解釈すれば,じっとしているとカビ(苔)が生えちゃうから時には動こう,流動性(mobility)は美徳。転がる石を反省材料にするか,ポジティブにとらえるか,同じ諺でも全く違った解釈ですが,どちらも一理ありますね。お互いの人生の節目で,再び流れが交差したのは,大変意義のあることだと思います。

 

(次回に続く)

ダイアローグ 第8夜

彼女のアートは音楽

 

映画三昧と演劇関係の人々と時間を過ごした今年のゴールデンウィーク。映画に関しては,このダイアローグの枠組みで,会話を続けていきたいと思います。「芸術・アーティストの人生」を続けましょう。

 

芸術には,いろいろな分野があります。よく知っている分野は意外と書きにくく,未知の分野は書けず,専門ではないけれどもっと知りたい分野は,恥をかく危険性があるものの書く題材としては面白いし楽しい。それが,今の私にとって音楽であったり,演劇であったりします。(間違っていることは遠慮せず指摘してくださいね!)

 

さて,このダイアローグを始めたキッカケである親友TAKAMIさん。彼女のアートは音楽。分野違いのアーティストとお話しすること位,面白いことはないと思っているのですが,会話の微妙なズレとか,ずっこけたコメントしても受け入れてくれる貴重な友達です。

 

TAKAMIさんは,中学校の同級生なのですが,クリエィティブで,いつも面白いことをしていたという思い出があります。一言で言い表せば,オリジナル。そう,当時から独自のものを持っていました。オリジナルであるということは,アートの絶対条件でもあります。

 

音楽,文学,演劇。音楽のみならず,多芸多才なTAKAMIさん。中学生の頃から,中也,ランボーの詩を読む言葉のセンスは抜群でした。TAKAMIさんが教えてくれたヘッセの「知と愛」を読んだ後で,芸術やアーティストの人生について話しましたっけ。それを,再び語り合ったのが数年前。奇跡としか言いようがありません。

 

大人になって再会して,一番嬉しかったのは創作活動を続けてくれていたこと。そして,人を大切にしているということ。自然な人間関係を築くことにおいては,一種の才能としか言いようがありません。TAKAMIさんのキーワードを選ばさせていただければ,クリエィティブ,オリジナル,人との関り,そして彼女のアートは音楽!そして彼女は私の親友。なんて,素敵なのでしょう!!!

 

GWに演出家の方と話す機会がありましたが,絵画にせよ,音楽にせよ,ダンスにせよ,演技にせよ,言葉で表現できないものがいかに大切かといったことに行き着きました。○○については言葉で書くことができますが,○○を書くことは不可能に近い。とりあえず体験するのが手っ取り早い。その体験こそがダイアローグすなわちアートなのだと。五感全てに受信するものを発信する自己表現。(この辺のことは,また折々触れていきます。)

 

TAKAMIさんとのダイアローグを,今後も続けていくことができればと切に願います。

ダイアローグ 第7夜

皆さんのゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか。

 

親友TAKAMIさんとの会話から生まれたダイアローグを続けましょう。TAKAMIさんのゴールデンウィークの計画に,島巡りなどの提案をさせていただきましたが,しっかりと実行したのはTAKAMIさん。彼女の写真満載のブログを拝見して,美味しくて,楽しくて,充実したGWだったんだなぁと伝わってきました。 (トラックバックさせていただきました!)

 

島巡りと言えば,今日の夕方頃,桟橋のあたりをウロウロしていると,報道陣がカメラかついで,車からどどどっ~~~っと出てきてビックリしました。何事かと思っていると,濃霧のためフェリーが欠航するとのことで,最後の船が入港してくるところでした。

 

霧の中,うっすら船のシルエットが浮かびあがり,刻一刻と姿を表していく姿から目が離せず,なんだか胸に迫るものがありました。見えなかったものが見えてくるのは驚きであり,感動です。

 

ミスター・ドーナッツの袋(おみやげ)を持った人々が,船が出ないことを知り,右往左往していましたが,無事帰ることができたのか心配ですね。

 

私のゴールデンウィークも,よいGWでしたよ。今夜はもう遅いので,詳しくは次回お話することにしましょう。

ダイアローグ 第6夜

Casting Call: ハリス・ツィードの似合う男を探せ!」

 

映画「ダ・ヴィンチ・コード」の公開が,あと2週間となりましたね。この映画の主人公ラングドンの配役をめぐる親友BOOさんとのダイアローグからです。BOOさんは,ハリソン・フォード派,私は便宜上,その他派です。

 

実際のところ,ラングドンはトム・ハンクスの配役で,ロン・ハワード監督が映画化していますが,勝手なキャスティング・コールをしてみることにしましょう。

 

ダン・ブラウンの原作(原文第1章)より:

1.学者っぽい40

2.「ハリス・ツィードの似合うハリソン・フォード」(ボストン・マガジン)

3.チョコレートのようなバリトンの声(女学生がうっとり)

4.象徴学者(ハーバード大教授)

5.アメリカ人(ニューイングランド在住)

 

ここまで読むと,インディ・ジョーンズそのもので,ついつい映画のシーンを連想してしまいます。ツィードの似合う学者であると同時に,一昔前の冒険活劇に出てきそうな英雄タイプ。すなわち文武両道で,機知に富み,冷静沈着に謎解きができるうえ,逆境に強く強靭な肉体と精神力を持つ人。

 

ツィード,特にハリス・ツィードとなると,イギリス系,特にスコットランド系アメリカ人かな。ショーン・コネリー(インディ・ジョーンズの父親役でした)的な家系のイメージです。また,ツィードのクラーク・ケントが,タイツにマント(スーパーマン)ではなく,サファリ・ルックに変身した感じのオール・アメリカン・タイプでもあります。

 

私「40代ということで,60代(1942年生まれ)のハリソン・フォードは無理なんじゃない?」

 

BOOさん「いや,60代は40代を演じられますよ」

 

確かに,40代プラスが20代を演じるのは苦しいけれど,60代は40代を演じることができると思います。例えば,2030代前半の光り輝くポール・ニューマン,ロバート・レッドフォード,メル・ギブソン等々を,その後の本人が演じるのには無理があると思いますが,60代が40代ならOKかも。

 

ハリソン・フォードに似ているという人を,本人が演じるのは矛盾しているといったこと抜きにしても,俳優を探してみるのは面白いだろなぁということで,とりあえず探してみましょう。私が思い付いたのは,

 

1.ジェフ・ダニエルズ

インテリのイメージ(「愛と追憶の日々」,仮題「イカとクジラ」等),かつ一昔前の冒険活劇に出てきそうなタイプ(「カイロの紫のバラ」)。少々甘口だが,女学生がうっとりという設定には説得力がある。

 

2.ブレンダン・フレイザー

「ハムナプトラ」シリーズでインディ的な役を演じている一昔前の冒険活劇タイプ。二枚目だが,「原始のマン」や「ジャングル・ジョージ」等では自然なお笑いタイプを演じ,「愛の落日」等のシリアス路線も演じられるところが貴重な俳優。よく響くバリトンの声もよし。

 

エドワード・バーンズ,ウィルソン兄弟(オーウェンとルーク)やマシュー・マコノヒーあたりも面白いかも。若き日のインディ・ジョーンズを,故リヴァー・フェニックスが演じていた路線でいけば,(童顔過ぎるのを覚悟で)レオ様はどうかなぁ。同じく線が細過ぎるけれど,エドワード・ノートンも,ハリソン・フォード云々以外の記述に合っているような気がします。あと,ジム・カヴィーゼルのラングドンもよいかも。

 

ハリソン・フォード路線では,ジェフ・ブリッジス,カート・ラッセル,リチャード・ディーン・アンダーソンも,とりあえずリストに入れておきましょう。

 

アメリカ人でなければ,ニコライ・コスター=ワルドウあたりや,ちょっとイメージが違うけど,クライヴ・オーウェンのラングドンも見てみたい気がします。

 

それから,10年早過ぎるものの,コリン・ハンクス(トム・ハンクスの息子)も候補に入れておきましょう。具体的には,プレストン(「キング・コング」,2005年)のイメージです。

 

個人的には,ロン・ハワード監督と息の合ったトム・ハンクスの配役は,演技力という点でも,オール・アメリカン・タイプといった点でもOKです。

 

ちなみに,ロン・ハワード監督の第一候補は,ビル・パクストンだったそうですが,日程の調整が付かず断念。いやはや,ほんとピッタリですよ!私もパクストンなら異議なし。他の候補では,ラッセル・クロウ,ヒュー・ジャックマン,レイフ・ファインズ,ジョージ・クルーニー等の名前も挙がっていたそうです。やはり演技力があり,かつ見栄えのするアクション・スター路線ですね。

 

皆さんはどう思われます?他に候補を思い付きますか?

ダイアローグ 第5夜

「ロック・ドキュメンタリー」

 

約一ヶ月前に予告しました新カテゴリ「ドキュメンタリー考察」を始めることにしましょう。※

 

キッカケは,映画千夜一夜「映画百選チャレンジ」中(200611月~20061月)に,ドキュメンタリー考察です。

 

30夜(1/10) ドキュメンタリー考察

32夜(1/12) ドキュメンタリー再訪(冒険熱)

 

なかなか面白い分野なので続けていきたいと思います

 

この月曜から,TVでブリティッシュ・ロックのドキュメンタリー映画を放送しているので,見てみることにしました。

 

「ジギー・スターダスト」(1973年) デビッド・ボウイ

「キッズ・アー・オーライト」(1979年) ザ・フー

「レッド・ツェッペリン/熱狂のライブ」(1976年) レッド・ツェッペリン

「ザ・ローリング・ストーンズ」(1982年) ザ・ローリング・ストーンズ

 

今の自分がどう感じるのか,どう反応するのか。昔の自分と再会してみるのもいい。……と,一人でひっそり見る予定が,母親が一緒に見ると言い出し予定変更。音楽の趣味があまりにも違うので,「全然面白くないかもしれないよ」と警告しましたが,しっかり見ています。以下は親子二代のダイアローグです。

 

月曜 「ジギー・スターダスト」

 

(母)ボウイとミック・ジャガーを勘違いしている。間違いを指摘すると,わざわざメモして名前を覚えようとする。ジャガー(ストーンズ)は木曜日(放送)だと伝える。ボウイの異様だが独特の世界に一目置く。

 

(私)ボウイの変幻する実験的アート性,時代性(グラムロック・異星人的なイメージ),日本の少女漫画への影響をひとしきり語る。かなりダークでヘヴィーな内容を退廃的に歌っているが,自分の特性を生かした演出は素晴らしい。

 

火曜 「キッズ・アー・オーライト」 

 

(母)ザ・フーのアングリーで破壊的なパフォーマンスに気を悪くするが,ロックオペラ「トミー」あたりのストーリー性のある曲はよかった。

 

(私)TV番組のクリップや,バンドのメンバー(特にピート・タウンゼント)のコメントや,ファンとの討論は,バンドのマーケティング路線(ショー的演出)を知るうえで大変興味深い。ロックのドキュメンタリーとして「メタリカ」等の先駆的作品ともいえる。ドキュメンタリー風の作品では,「スパイナル・タップ」や「あの頃ペニー・レインと」等にも繋がる。

 

水曜 「レッド・ツェッペリン/熱狂のライブ」

 

(母)「この人たち,うまい!特に,ギターとドラムがよい。」この映画の冒頭,ギャング映画風の導入部が意味不明だと言うので,「寅さん」の最初の夢のシーンのようなものだと説明すると納得する。時代的に,「ゴッドファーザー」等の影響があったのかもしれない(後半でツアーの収益が盗まれる事件が起こる)。

 

(私)元ツェッペリン・ファンとしては,たまらない一作。今でも好きだと確信しました!!!ペイジのクリエイティブな奏法や,R&B,アメリカ南部の音楽の影響をひとしきり語る。(ついでに,ジェフ・ベックとエリック・クラプトンにも言及する。)拡張版「幻惑されて」は圧巻。まさに,永遠の詩(映画の原題のThe Song Remains the Same)!

 

木曜 「ザ・ローリング・ストーンズ」

 

(母)パフォーマーとして,ジャガーの凄さを実感する。何十年も持続しているエネルギッシュなステージと,大入りのスタジアムは驚異的!!!

 

(私)ツェッペリンの拡張版の演奏と対照的な簡潔な曲の積み重ねで構成されたステージ。ストーンズの曲をカバーするのが楽しい理由がよくわかる。アスレチックでよく動くジャガー,ステージ設営の早回し,そして,アメリカン・ツアーらしい色彩に溢れた映像。比類なき集客力,観客の注目を前身に浴び受け応えるジャガー,ストーンズのパワーと臨場感が漂う率直なドキュメンタリー。とてつもないエネルギーが発散され,74日のように花火が上がる中,ジミ・ヘンの「星条旗よ永遠に」が流れるエンディング。これぞロックの真髄!

 

それから,初めて翻訳付きで見ましたが,翻訳の方々の御苦労が偲ばれます。全体的にキワドイ詩が婉曲になってますね。物は言いよう,翻訳は使いよう。ロックよ永遠に!!!

 

思いがけず,親子で見たロック・ドキュメンタリー。母が見たいと言い出したのは想定外でしたが,なかなか面白かったです。やっぱり,一緒に映画を見て話す人がいるのは楽しいものですね。

 

※自分で設定できる「カテゴリ」は14個までらしく,考慮の末,「文芸作品」を「芸術・アーティストの人生」に統合し,「ドキュメンタリー考察」を追加しました。