最近はもっぱら手軽なDVDレンタルで映画鑑賞しているが、アカデミー賞の頃になると、映画ファンとしては映画館で何本か観たくなってくる。そこで、今回は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」と「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」の感想をメモしておこう。
(1)「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
老人として生まれて赤ん坊として死んだ男の物語。人とは違った人生を、どう生きるのだ。タイムトラベルではなく、他の人と同じように時間が流れるのだが、歳を重ねるごとに若返っていく。例え人と違っていても自分の運命を受け入れ、人との関わりを通して意味のある人生を選ぶことができる。大変ポジティブな映画だ。
F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説を下敷きにしていると聞いていたが、どちらかと言うと「フォレスト・ガンプ 一期一会」(1994)のイメージが重なった。普通に考えれば困難だらけでハンデのある特異な人物が主人公だ。そして、あるがままに自分を受け入れてくれた人々との出会い。…自分の可能性を信じてくれた母(ベンジャミンの場合は育ての母)の無償の愛。人生を通してかかわりを持つ幼なじみ(女性)。海と友(仕事仲間・戦友)。歴史的な出来事。アメリカ南部…。
フィッツジェラルドの短編を読むと、皮肉なジョークのようで、現代では不適切な印象を受けたが、映画の方はフィッツジェラルドの斬新なコンセプトを生かしつつ、新たな息吹を吹き込み現代にマッチした作品に仕上がっていると思う。ボルティモアはニューオリンズに、金物屋はボタン工場(Button)に、父ロジャーはトーマスに、ヒルデガードはデイジー(「グレート・ギャツビー」!)に…。そして、フィッツジェラルドの時を超えて現代へと繋がる。…太平洋戦争(第二次世界大戦)、60年代、ビートルズ、ニューオリンズを襲ったハリケーン…。何といっても人々の優しさと思いやり。視覚的な象徴性も顕在だ。…ガンプの羽はバトンのハミングバード。
ベンジャミン・バトンもフォレスト・ガンプも脚本はエリック・ロス。なるほど!フィッツジェラルドのバトンを受け継いで、時代と視覚効果はガンプのごとく現代へと流れる。映画の技術を駆使した視覚的に素晴らしい作品だ。
(2)「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」
演劇的要素が強く、感情の起伏の素晴らしい表現力・演技力に注目。サム・メンデスということで、「アメリカン・ビューティー」(1999)が重なる。一見幸せそうな家庭の機能障害(dysfunction)、芝居がかった妻はデスパレート、絶望、狂気、無関心、悲劇…。これも、一見ビューティフルな表面の皮下に潜むアメリカの悲劇だ。しかしながら、これはアメリカに限った問題ではない。どこでも起こりうる悲劇だと感じる。