第61回写真展 水仙の男木島を訪ねて

皆さん、お変わりありませんか。前回の写真展から一年、季節が一巡して梅の季節を迎えました。私の方は昨年から父の介護中で、なかなか自由になる時間がありませんが、久しぶりにブログとフォトアルバムを更新しますね。アメリカから帰国して4年と3か月半。その間、何度もアメリカの友と訪れた男木島。今回は、スペインからのアーティストと訪れました。 
 
ちょうど水仙ウォークの日と重なり、多くの人が島を訪れていました。普段の隠れ家的な孤島のイメージはなく、まるで一夜の夢のごとく大いに賑わっていました。高松からフェリーで40分、日常からの逃避。こんなきれいな景色を独り占めするのはもったいないと、いつも思っていたので、多くの人が楽しんでいる姿を見て嬉しくなってきました。
 
冬の海が温かく緩み始め、碧い海と空をバックに梅の香が漂い、水仙の花が光の中で輝いています。バルセロナ出身の芸術家は、故郷の地中海を思い出しながら、次々と作品のアイデアが浮かんでいるようでした。作品が完成したら、また男木島を訪れてみたいと思います。

 

オスカー前夜

最近はもっぱら手軽なDVDレンタルで映画鑑賞しているが、アカデミー賞の頃になると、映画ファンとしては映画館で何本か観たくなってくる。そこで、今回は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」と「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」の感想をメモしておこう。
 
(1)「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
老人として生まれて赤ん坊として死んだ男の物語。人とは違った人生を、どう生きるのだ。タイムトラベルではなく、他の人と同じように時間が流れるのだが、歳を重ねるごとに若返っていく。例え人と違っていても自分の運命を受け入れ、人との関わりを通して意味のある人生を選ぶことができる。大変ポジティブな映画だ。
 
F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説を下敷きにしていると聞いていたが、どちらかと言うと「フォレスト・ガンプ 一期一会」(1994)のイメージが重なった。普通に考えれば困難だらけでハンデのある特異な人物が主人公だ。そして、あるがままに自分を受け入れてくれた人々との出会い。…自分の可能性を信じてくれた母(ベンジャミンの場合は育ての母)の無償の愛。人生を通してかかわりを持つ幼なじみ(女性)。海と友(仕事仲間・戦友)。歴史的な出来事。アメリカ南部…。
 
フィッツジェラルドの短編を読むと、皮肉なジョークのようで、現代では不適切な印象を受けたが、映画の方はフィッツジェラルドの斬新なコンセプトを生かしつつ、新たな息吹を吹き込み現代にマッチした作品に仕上がっていると思う。ボルティモアはニューオリンズに、金物屋はボタン工場(Button)に、父ロジャーはトーマスに、ヒルデガードはデイジー(「グレート・ギャツビー」!)に…。そして、フィッツジェラルドの時を超えて現代へと繋がる。…太平洋戦争(第二次世界大戦)、60年代、ビートルズ、ニューオリンズを襲ったハリケーン…。何といっても人々の優しさと思いやり。視覚的な象徴性も顕在だ。…ガンプの羽はバトンのハミングバード。
 
ベンジャミン・バトンもフォレスト・ガンプも脚本はエリック・ロス。なるほど!フィッツジェラルドのバトンを受け継いで、時代と視覚効果はガンプのごとく現代へと流れる。映画の技術を駆使した視覚的に素晴らしい作品だ。
 
(2)「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」
演劇的要素が強く、感情の起伏の素晴らしい表現力・演技力に注目。サム・メンデスということで、「アメリカン・ビューティー」(1999)が重なる。一見幸せそうな家庭の機能障害(dysfunction)、芝居がかった妻はデスパレート、絶望、狂気、無関心、悲劇…。これも、一見ビューティフルな表面の皮下に潜むアメリカの悲劇だ。しかしながら、これはアメリカに限った問題ではない。どこでも起こりうる悲劇だと感じる。

映画と先入観と予備知識

先日、ハマさんと映画(「チェ」)の話をしたが、一緒に話せる人がいると映画が面白い。自分と違った視点が映画に幅を持たせてくれるからだ。それぞれの違った意見を認め合うこと (agree to disagree) ができれば、自分とは違った意見ももちろん歓迎です。アカデミー賞発表の頃になると、映画について語りたくなってくる。ちょうどいい区切りなので、映画のトピックを2つに分けて書いてみようと思う。 

1 映画と先入観と予備知識
2 オスカー前夜
 
まずは、「映画と先入観と予備知識」。
 
映画か本(原作)、どちらが先か。よく話題になる。話していて気付いたのは、(もちろん例外はあるが)たいてい本が好きな人は本が先、映画が好きな人は映画が先と言う。私はそれぞれの意見を尊重したい。
 
それから、映画と本は全く違った媒体なので、それぞれ独立して楽しめるということにも気付いた。というか、それぞれ楽しめる人は幸せだと思う。どちらが先にせよ、先入観が邪魔をする。もし、期待を裏切りたくなければ、先入観抜きで映画を観る方が、楽しみが倍増するような気がする。
 
ただ、ここで気を付けなくてはならないのは、先入観と予備知識は違うということだ。背景(歴史・地理等)に関する予備知識や人生経験は、映画を理解するうえで大いに役に立つので、日々精進する価値がある。多分、映画に限ったことではないだろう。もちろん、娯楽が目的である映画は、それほど予備知識がいるわけではいが。
 
それから、何年か後に同じ映画を観て、「ああ、こんなことを話していたのか」と思ったことが何度もあった。それは、原作を読んだから理解できたというよりは、たまたま似たようなことを体験したり、別の本を読んでいる時に同じような情報に遭遇したり、間接的な結果であることが多かったような気がする。できれば、先入観抜きで映画を楽しみたい。