コンペアー&コントラスト32

ロード・ムービー第二十七夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

Ⅱ. イージー・ライダー (e)ジョージの行間 その1」

 

「イージー・ライダー」(1969年)の旅を続けます。ジョージ(ジャック・ニコルソン)の行間を,少し埋めてみましょう。この映画のテーマ(アメリカ,「自由とは」)に触れる会話の中で,ジョージは重要な役割を果たします。

 

主人公ビリーとワイアットが,ジョージと出会ったのは,小さな町の留置所でした。ニューメキシコ州のラスベガス。いえいえ,ネバダ州の不夜城,娯楽の街ではありません。奇しくも同じ地名ですが。私もこの町を通りかかったことがあります。不夜城どころか,良い子の時間に寝静まるような町でした。

 

ビリーとワイアットは,地元のパレードに許可書なしで出たと,ブタ箱に入れられます。そこで,普通当たり前だと思っていたこと(権利)が,通じないかもしれないという恐怖心を味わいます。何か「おかしい」けれども,閉鎖的・保守的なところで起こる異様な出来事。因習の残る南部へ向かう二人の主人公の運命の伏線・暗示にもなっています。

 

ビリー(デニス・ホッパー)は,ガサツで考えなしの言動から,後々身を滅ぼすわけですが,周りの状況を読む機知に欠け,女の子にモテたいけれどモテないタイプ。ワイアット(ピーター・フォンダ)の方は,内省的で思慮深く,いろいろな生き方をポジティブに受け入れようとする姿勢が見られます。ビリーに巻き込まれた形で,ワイアットも身を滅ぼします。

 

ビリーがブタ箱でブーたれてると,そんなところで,自己主張しても無駄だと諭したのがジョージ。無駄どころか,ヘタに目立って反感を買うのは危ない。土地の状況や,自分の置かれた立場を把握していないビリー。西部時代の無法者ビリー・ザ・キッドから命名されたビリー。まさにキッド(子供)です。ジョージの口利きで,二人は釈放されます。人権を主張して釈放されたのではありません。

 

ヨッパライで留置されていたジョージは,ACLU(American Civil Liberties Union, アメリカ自由人権協会)の弁護士です。これは皮肉な設定で,田舎町での日常や,自分の置かれた立場(地方の名士の息子)を把握すればするほど,自由でないことを知っています。そんな矛盾を抱えつつ,父には頭が上がらず,母からは甘やかされ,自分の非力さに感付いているジョージは酒でも飲むしかない。アル中という設定です。

 

1920年に米国憲法で保障されている基本的人権の擁護を目的に設立された市民団体ACLUは,人種差別撤廃,男女平等,表現・信仰の自由,法的手続きの平等などに取り組んできました。第二次世界大戦中に,日系人の強制収容は人権の侵害だと摘発したのもACLUでした。

 

今年の3月30日に,日系人フレッド・コレマツ氏が86歳で亡くなったというニュースを聞きました。強制収容所行きを拒否したコレマツ氏の裁判に協力したのがACLUでした。半世紀にわたる闘争の末,クリントン大統領よりコレマツ氏へ「大統領自由勲章」が贈られました。

 

「正義を希求する我が国の歴史の中には,多くの人々の為に闘った燦然と輝く市民の名があります……。誉れ高き先人の名前と共に,フレッド・コレマツという名前が本日刻まれました。」

 

クリントン大統領は,有名な公民権の例を挙げながらコレマツ氏の勇気を讃えました。昨年の今頃,コレマツ氏のドキュメンタリーを見ました。コレマツ氏は,「9・11以降,イスラム系の人々より感謝され驚いた」と語っていました。

 

『あなたが闘ってくれたおかげで,アメリカで堂々と生活できます。』

 

『学校に行けます。』

 

『仕事ができます。』

 

『買い物に行けます。』

 

『ありがとう。』

 

一方,自由の為に闘うということの大変さがよくわかりました。時間がかかるということと,闘っている間は社会から疎外されるということ。よっぽど強靭な意志がなくては続きません。また,揉み消そうとする反動・プレッシャーに耐えつつ,生き延びなくてはなりません。

 

コレマツ氏は,「自分のやったことが,少しでも他人の為に役立ったようで嬉しい」と続けました。自由は自分勝手とは違います。一方通行ではありません。他人の権利(自由)を尊重するからこそ,自分の権利(自由)も守られるのです。コレマツ氏の生き方と,「イージー・ライダー」の三人の運命は全く違った方向に向かいます。

 

クリントン大統領は,コレマツ氏を公民権に寄与した人々の間に位置付けました。「イージー・ライダー」の時代背景には,アメリカにおける公民権運動があります。次回は南部とのかかわりの強い公民権運動を少し,『ジョージの行間 その2』として,お話しする予定です。

 

今日の写真は、菩提樹にクリーム色の小花が咲いたのでアップしてみました。今頃ヨーロッパでは,菩提樹の洋種リンデンバウムに,馨しい花が咲いていることだと思います。

      

気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。

コンペアー&コントラスト31

「太平洋の風・波・陽の光」

 

インターミッションです。

 

JICA(国際機構)受け入れ事業の通訳を頼まれ,この一週間ほど太平洋地域より来日している若者達と話す機会がありました。昨夜はお別れ会でした。

 

お別れ会のアトラクションとして,和太鼓の熱演がありました。太鼓に触れたり,叩いてみると縁起がよいとのこと。演奏の後,青年達に試してみるよう呼びかけてくれました。最初はアレックスが,遠慮がちに太鼓を演奏し始めましたが,なかなか上手い。

 

原始的な太鼓のビートに,内なるリズムが目覚めるがごとく,皆ステージに集まってきました。即興で南の島々の演奏を披露してくれました。男性陣の熱のこもった掛け合いが一段落すると,女性陣も登場。華麗な身のこなしで演奏してくれました。体を動かすのは気持ちいい。そんな晴れ晴れとした表情を見ることが出来ました。

 

そしてダフネがダンスを踊ってくれました。小柄な彼女が優雅に踊り始めると,急遽2,3人がバックに友情出演。そのうち皆どんどんステージに上がり,ほぼ総踊りの状態に。リズムに合わせて,感じるままに踊る。見ている者にまで楽しさが伝わってきました。……ゆるやかな動きに,月の光を浴びる海,潮騒,椰子の葉のざわめき,砂の感触,打ち寄せる海が見え隠れしました。

 

その後,6月生まれのお誕生日の人をお祝いするコーナーがあったのですが,ヘンディ君の名前が入っていません。今までも何度か誕生日をお祝いする機会がありましたが,何故だか彼の名前は抜けています。それはおかしいと指摘して,一緒にお祝いしてもらえるよう頼みました。

 

確認の為,書類を見て納得。ヘンディ君の誕生月と日の数字が入れ替わっています。なるほど。これでは,誰も気付くはずありません。日付を表記する際,英国風(日・月の順),アメリカ風(月・日の順)では数字の並べ方が違うので,よく起こる問題です。ビザなど重要な申請でも起こり,訂正に往生します。

 

ヘンディ君は,自分だけノケモノにされたように感じたのか,一部始終不機嫌でした。お誕生日の日の夕食時には,食事もせず引きこもっていました。事情を知らない人からは,協調性のない人間だと言われ始めていました。

 

それでも週末のホームステイで気をよくしたのか,お別れ会で挨拶をしたいと,ヘンディ君から申し出がありました。誕生日のお祝いをしてもらう人は,一人一人挨拶する時間を設けるので,その時にOKだと答えました。彼の驚いた顔。「えっ、僕も誕生日をお祝いしてもらえるの。」……曇り空から一気に快晴になったようでした。

 

ステージに上がったお誕生日の人より,丁重なお礼や日本での楽しい思い出が語られ,ヘンディ君の番になりました。彼には双子の兄がいると話し始めました。なるほど,いつもは家族や,双子のお兄さんとお祝いをしていたであろうお誕生日を,日本ではお祝いの言葉もなかったのです。さぞかし異国にいると感じたことでしょう。

 

ヘンディ君は,偶然にもホストファミリーに,双子の姉妹がいたと続けました。日本で家族の一員として暖かく迎え入れられ,本当に感謝している。自国には双子の兄と弟はいるものの,女きょうだいはいないので,双子の妹ができて大変嬉しいと気持ちを込めて話してくれました。

 

そして,双子の姉妹にステージに上がり,一緒に誕生日をお祝いして欲しいとリクエストしました。突然のことで驚いた姉妹は,ステージに上がると,涙をこらえることができません。泣きじゃくる二人を見て,皆,もらい泣きしました。

 

素直な涙は美しい。シナリオにない自発的に起きたことですが,感動とは伝染するものです。ヘンディ君と目が合い,申し合わせたように頷きました。大粒の涙が,爽やかな笑顔に変わった瞬間です。

 

フィージーから来ていた三人娘が,帰りがけにロビーで一緒に写真を撮りたいと言います。彼女たちに貝殻のネックレスをかけてもらい記念撮影しました。写真の後でネックレスを返そうとすると,私へのプレゼントだと言います。「いつでも遊びに来てね。大歓迎するから。」

 

いつの日か南洋の島に,彼らを訪れている自分の姿を想像しつつ,別れを惜しみました。まだ見ぬ道へ行ってみよう。……私のロード・ムービーは現在進行形です。太平洋の風,波,陽の光を感じつつ,おおらかな彼らを育んだ空の色,海の色を,本当に見てみたいと思いました。