コンペアー&コントラスト42
2005/08/28 4件のコメント
ロード・ムービー第三十六夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:
Ⅳ. 「アラビアのロレンス」(1962年) e. 蜃気楼とガラスの靴」
「アラビアのロレンス」は, T. E. ロレンス自身による回顧録「知恵の七柱」(1926年)の映画化権を取得したサム・スピーゲルによって製作された映画です。映画化自体の話しは何度も持ち上がったものの,実現するまで30年以上の歳月を経て,ロレンスの死後27年目にあたる1962年に公開されました。
実在の人物であるロレンスの歴史的評価は今なお定まらず,またドキュメンタリーという形態でないことからも,映画は文学的な解釈の余地を残しています。映画の冒頭におけるロレンスの葬儀シーンにおけるコメントが暗示的でもあります。
ロンドンの聖ポール大聖堂で,ロレンスのことを尋ねるレポーターに,砂漠の陣営でロレンスと会ったブライトン大佐は,表面的なありきたりのことを答えます。そして,司令官であったアレンビー英国陸軍大将は,
「なに。砂漠の反乱は,中東において重要な役割を果たしたのではないのかね。」
レポーター「はい。そうなんですが,ロレンス中佐のことを,お伺いしたくて……。」
アレンビー「いや。あまりロレンスのことは知らんのだが。」
アレンビーは,ロレンスのことを知らないはずはないことが,映画を最後まで観るとわかります。アレンビーの見解は,表向きには曖昧,そして,あまりかかわりたくないという,ある意味で当時のイギリスの二重(三重)外交を反映しています。この政策に翻弄されたロレンスが,映画にも示唆されていましたが,ロレンスの評価が定まらない理由の一つは,政治的に微妙な立場にあったことが挙げられます。
第一次世界大戦下, 1916年から1918年の約2年間,ロレンスはアラブ民族の独立に向けて,砂漠の反乱に参加しました。 イギリスは,敵対関係にあったドイツがトルコ(オスマン帝国)と同盟を結んだことに対して,トルコと対立関係にあったベドウィン(アラビア半島遊牧民)の反乱・独立を支援したからです。ちなみにスエズ運河の位置するエジプトは当時イギリス領で,ロレンスはカイロの陸軍情報部に勤務していました。
時を遡ること1915年2月に,スエズ運河がトルコ軍の攻撃を受け,10月にはフサイン=マクマホン協定 (当時のトルコ領内アラブ王国独立の約束) が成立しました。フサイン王は当時イスラム教の聖地メッカのシャリーフ(守護)で,映画に登場するファイサル王子の父にあたります。4人の息子と共に,フサイン守護が中心となって, 1916年6月にアラブの対トルコ反乱を始めました。
つまり,アラブ側から見れば,あくまでも主役はアラブ民族なのです。(ロレンス自身このことについて,「知恵の七柱」の序章に明記しています。) しかしながら,例えば,歴史的,政治的,軍事的に重要な源頼朝に対して,伝説的,文学的な素材としては,源義経の人気が今なお高いように,ロレンスは伝説的な人物であり,言わば砂漠の反乱の顔。
映画の冒頭で,アレンビーの次に,ロレンスのことについて尋ねられるのは,アメリカ人従軍記者ジャクソン・ベントリー。(モデルになったのは,実在の記者ローウェル・トーマス。)ロレンスを砂漠のヒーローに祀り上げたメディアを代表して,表向きは,
「本人と直接面識を持ち,世界に知らしめたことを光栄に思います。詩人であり,学者であり,戦士でありました。」
レポーターが去ると,吐き捨てるように,
「同時に,バーナムとベイリー(アメリカのサーカス興行師)以来,最も恥も外聞もない自己顕示欲の塊だった。」
そして,ロレンスのことを熱く語る参列者。このように評価や見解に極端な差のあるロレンスは,映画の題材としてチャレンジであると同時に面白いはず。次回は,この映画の監督であるデビッド・リーンについて,お話しする予定です。
さて最後になりましたが,ロレンスの歴史的な評価がはっきりしない理由でもあるイギリスの多重外交に触れておきましょう。1916年5月にサイクス=ピコ条約は,第一次対戦後のアラブ地域を英仏露の間で分割する密約でした。加えて,ユダヤ系の資本から戦争資金調達の為に,イギリスは,パレスチナでのユダヤ人による民族的郷土建設の支持を表明しました。1917年11月のバルフォア宣言です。
つまりイギリスは,フサイン=マクマホン協定(1915年)で,アラブ民族の独立を約束し,サイクス=ピコ条約(1916年)で,アラブ地域を英仏露の間で分割する密約を交わし,バルフォア宣言(1917年)で,パレスチナでのユダヤ人国家建設を支持したわけです。どう考えても,辻褄が合いませんね。この第一次世界大戦中の多重外交が,今日のパレスチナ問題の原因の一つとなり,またロレンスが微妙な立場に立たされたワケでもあります。
皆さんも経験がありませんか。一生懸命やってきたことが,途中でルールが変ったり,隠されていた事実が浮上して,今までの努力が水の泡になった(少なくともそう感じた)こと。映画の終盤でのアレンビー英国陸軍大将とファイサル王子が,ダマスカスで会見(1918年)し,ロレンスの役目は終わり,今となっては両刃の剣(両者にとって厄介者)だと同意するシーンがありますが,映画を観ながら,やりきれなさを感じました。
砂漠の民ベドウィンは,元来さすらいの民。西欧で使われていた国・国境というコンセプトとは,全く別の次元で生活を営んでいました。地中海から紅海,ペルシャ湾あたりだけでも,10以上の独立したアラブ諸民族が存在し,ロレンスは部族間の結束は極めて困難であり,アラブを一つにまとめることはできないことを実感します。
ロレンスの希求したアラブ民族の自由と独立への道のりは遠く,祖国イギリスから背を向けられたと感じ,また2年間苦楽を共にしたベドウィンとの意識の違いも同時に認識したロレンス。12時の鐘が鳴り,魔法が解けたシンデレラのごとく,不特定多数の英国軍服をまとった一人として,失意のうち砂漠を去ります。しかしながら,輝くばかりの活躍は伝説と化し,一体ロレンスとはどんな人物だったのだろうかと,今でも多くの人々の想像力を掻き立てます。シンデレラのガラスの靴がごとく,砂漠の蜃気楼にロレンスの姿を探しつつ。
気軽にコメントしていって下さいね。それでは,またお会いできるのを楽しみしています。