コンペアー&コントラスト20
2005/03/27 6件のコメント
(今日はインターミッションです)
帚木蓬生。「えっ」と、何度も聞き返す。
20年以上日本から離れていた私にとって、聞き慣れない名前だった。20年間のブランクを埋めるように、日本文学を読み漁ってみる。……おもしろい。旱魃の後に雨を浴びるように読んだ。
長年住み慣れたヒューストンには、世界的にも有数な医療研究施設(メディカル・センター)があるが、そこへ留学している日本人の医師、医学研究者から、本を貸してもらったり、面白そうな本の情報交換をするようになった。「賞の柩」は、その一冊だった。
作者を直接知っている人から、薦められて読んだ本は数少ない。5年ほど前に、大江健三郎氏とは、プライベートな集まりで、お目にかかることがあったが、緊張してしまい、お話するチャンスを台無しにしてしまったことがある。大江氏のオーラに触れられただけで、よしとしよう。一期一会にせよ、ヒューストンで帚木蓬生氏を師と仰ぐ人に出会えた。間接的に、帚木蓬生氏のオーラに触れることが出来た。
帚木蓬生氏は、「すごい方」だと聞く。誰もついていけないほど知識が豊富で、なおかつ謙虚で勤勉だそうだ。天才レベルの人々と、仕事を共にしてきた私は、才能と人格の両立は難しいことを、目の当たりにしてきた。才能はあっても、人格という天賦の才を兼ね持つ人は稀有だ。話を聞くうちに、「すごい方」というのは、過言ではないと感じた。
経歴を見ると、東大仏文学科卒、テレビ局(TBS)勤務の後、九大医学部を卒業し、神経精神科学教室に入局。マルセーユ大、パリ大で研究後、「精神分裂病の言語新作」で、医学博士になる。精神科医として、八幡厚生病院(副院長)に勤務。文学、ビジネス、医学、そして、心の病に苦しむ人々を癒す職業を選んだ帚木蓬生氏。何よりも、広分野の経験があるというのには、共感を覚える。芸術の分野において、Multi-disciplined、cross-disciplinedであることは、プラスであると感じる。
帚木蓬生氏に、「小説を書く原動力は何か」と尋ねたところ、「社会への怒りだ」と返ってきたそうだ。これは、「賞の柩」を読んでも感じた。世の中には、どうしようもないことが沢山ある。人々の苦しみ、悲しみ、辛さ、葛藤を、癒す職業をしている帚木蓬生氏は、どれ程の世の中の矛盾や、理不尽を抱え込んでいるのだろうか。考えただけで、気が遠くなる。
これは、ポエティック・ジャスティス(詩的正義)だ。どうしようもないことを、芸術(小説)という創造力でトランスフォーメーションした結果生まれた作品なのだ。クリエイティブ・ソリューション(創造的な解決)に興味のある私は、小説という結果のみならず、この小説の生まれたプロセスにも興味がある。
帚木蓬生氏は、早朝に小説を書くそうだ。しかも毎朝書くらしい。最初は少しづつ、そして、段々長く書けるようになったという。私が英文を書き始めた頃、決められた時間に、続けて書くことが一番だと、アドバイスされたことを思い出す。これだけは、やるっきゃない。ショートカットはないのだ。
「賞の柩」には、全部で28章ある。一章毎に、コンスタンスなリズムが流れ、まとまりがよい。それぞれの章で、登場人物、舞台、視点が変わり、複眼的なアプローチが交差し、統合されていくストーリーの展開は、意識の辺境から、中枢に結集していくようなスリルがある。パズルを外側から始め、繋がりを持ち始め、最終的に問題の核心に触れる達成感を味わう。
ノーベル賞、延いては、「賞」に内在する矛盾、それをめぐる人々の興亡の物語だ。(賞が良いとか、悪いというレベルの話ではない。)恩師の不運な死の謎を解くにつれ、複雑な人間関係が浮上し、日本、フランス、ノルウェー、ハンガリー、スペイン、イギリスを舞台に、物語が展開する。状況描写と、風景描写は写実的で、読むのが楽しい箇所が沢山あった。
複雑な親子関係、師弟関係、医師と患者、夫婦関係、不倫の関係。貧困、欲、喪失体験、アルコール依存症、死、愛。人間描写は、さすがは精神科医だ。怒りが原動力とはいえ、生み出された作品は優しい視線で包まれている。絶望の中に、希望を見つける才能こそ、芸術家の最高の名誉に値する。
主人公が、恩師の思い出を語る。
「……留学先で最新のものを学ぼうとしても、そんなものは時が経つにつれて色褪せる。それよりも古いものを学んだ方がいい、深い所にある、物の考えを学ぶべきだ、と言われたことです。そのときはピンときませんでしたが、今なら理解できます。もっともこれはぼくが出来の悪い弟子だったからで、別の優秀な弟子には最先端のことを貪欲に吸収せよと言われたのかも知れません。」
バランスのとれた複眼的視点が伺える。この小説を読みつつ、ヒューストンのメディカル・センターへの留学生のご苦労が偲ばれた。先端分野の研究という前人未踏の地に、足を踏み入れた者の孤独、熾烈な競争、人間関係の複雑さ。異国の地で出会った日本人の厳しい世界の一端に、触れることができた。
不当な仕打ちを受け、アルコール依存症になった青年を、心より気遣う老医師の言葉。
「半年先のことは考えなくていい。今日一日を確実に、無事に終えていけば、それが一年になり、二年になる……」
帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)。誰かが、「源氏物語だよ」と言う。そうだ。どこかで聞いた、なつかしい名前だと思った。先月、滋賀の石山寺を、親友に案内してもらった。「源氏物語」が、そこでしたためられたことを知った。琵琶湖が、瀬田川になり、冷たい風が吹く中、山の中腹の寺には、早春の陽の光が降り注いでいた。梅の香が漂い、彼岸桜がほころび始めていた。紫式部が身近に感じられた。
まずは、源氏物語(全54帖)の始まりである「第一帖、桐壺」を、見てみよう。光源氏誕生から十二歳迄。早くから学問と芸術に秀でる。光源氏の母(桐壺)更衣は、桐壺帝より愛されたが故、弘徽殿女御の嫉妬とイジメの対象となり、その心痛より夭折。やがて、母に生き写しの藤壺宮が入内し、帝から寵愛を受ける。光源氏は元服し、葵上と愛のない結婚をした。やがて、母の面影のある藤壺を、慕うようになる。
「帚木」は、源氏物語、第二帖の巻名だ。光源氏17歳。五月雨。物忌みで、ひきこもり中の光源氏を訪れた、親友の頭中将。二人の宿直を含めて、四人の会話が始まる。若い男の話題は、もちろん女だ。
帚木は、「ほうきぐさ」の別名でもあり、夏の季語だ。また、音より「母」にかけて使われる。そして、信濃の国の伝説の木でもある。源氏物語の第二帖に、「帚木の心を知らで園原の道にあやなくまどひぬるかな」という歌がある。辞書を引くと、「遠くから見ればほうきを立てたように見え、近寄ると見えなくなるという伝説の木。情があるように見えて実のない人、また会えそうで会えないことなどにたとえる。」
「蓬生」(よもぎ)は、源氏物語、第十五帖。光源氏28歳。この帖は、第六帖「末摘花」(源氏18歳)の後日談だ。夕顔と死別した光源氏は、孤独な末摘花の噂を聞き、寂しさを埋めるがごとく興味を持った。琴の名手ということ以外、容貌もわからないまま、一夜を過ごした。その後、忙しくなった光源氏は、美人でもない末摘花のことを忘れてしまった。
第六帖から10年後の第十五帖は、光源氏からの音沙汰も無く、経済的な支えもない末摘花の屋敷は、荒れ放題になり、まるで蓬の宿。読書、詩歌、絵画で、単調な生活を慰める末摘花。叔母から、娘の召使にという誘いを断った為、気位が高過ぎると皮肉られた。孤独な生活が続いた。
名前にもドラマがあるものだ。「帚木」は、見た目では判断できないものが、この世には多いということ、そして、「蓬生」は、世の中の理不尽、不幸な事情が重なった者の声なき声を、忘れないでおこうといった心が感じられる。精神科医という仕事は、人々のストレスをため込む大変な仕事だと思う。しかも、医者や、学者は、全ての答えを知っていると勘違いされがちだ。
「賞の柩」で、パリに留学していた恩師の娘が、ラジオのスイッチを入れる。番組は、ノーベル賞文学賞受賞者、フランスの女流作家のインタビューという設定だ。介護した父の死を語る。娘は父の死と、思い出を重ねる。
「……若さというのは、生の方ばかりみているものです……でもとにかく、最期を看取りました。不思議なことに悲しみはありませんでした。なんと幸せな人だろうと思いました。はたから見れば、妻と死別したあと放蕩し、定職にもつかず財産を一代で使い果たした男かも知れませんが、私には、豊かに燃焼し尽くした人生にみえました。この思いは今も変わりません」
そして、彼女が最も魅かれる文学作品は、
「ゲンジ・モノガタリです。私はムラサキの名を思うとき、いつでも畏敬と啓示を感じます。主人公の性格の精密さと、彼とかかわりを持つ女たちの多様さが交叉し、驚くべき豊かな世界を創り上げています。」
「賞の柩」を通して、文字通り世界を旅することができた。メタファーのレベルでも、豊かな世界がそこにあった。