コンペアー&コントラスト51

ロード・ムービー第四十一夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

. 「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004) シンボル性」

 

それでは,「モーターサイクル・ダイアリーズ」の旅を続けることにしましょう。

 

「映画のみならず,他のビジュアルな面でも,大変印象深いチェ・ゲバラ。次回は,そのシンボル性などに触れてみる予定です。」と,数回前に書きました。寄り道をしましたが,今回は元グラフィック・デザイナーとして,チェのイメージやシンボル性についてお話しします。

 

シンボル化するということは,どういうことでしょうか。ロゴのごとく人々に認識され,金太郎飴のごとく均一なイメージ。ロゴをデザインする際に,記憶されやすく,認知されやすい顔のデザインが好んで用いられます。スターバックスなどのロゴを思い出しますが,他にも思い付きますか。

 

マスコットとなると,人間化(もしくは漫画化)された動植物(犬,猫,パンダ,クマ,カエル,ペンギン等々)や,見慣れたもの(乗り物,食器,道具など)が登場します。絵文字なんていうのも人間的な表情が多いし,極めつけは,ニコちゃんマークでしょう。

 

チェ・ゲバラの場合をみてみましょう。まずは,有名な写真が存在するということです。キューバの写真家アルベルト・コルダが1960年に撮影した写真は,(少佐の軍位を表す)一つ星のベレーをかぶったもの。そして,簡単に複製することができる画像に変換できること。この二点が実在人物をデザイン化するための決定的な要因です。

 

インパクトのある素晴らしい写真(ポートレート)が存在する例としては,オードリー・ヘップバーン,マリリン・モンロー,ジェームス・ディーン,ジム・モリソン(ドアーズ),エルビス・プレスリーなどの不朽の画像が思い浮かびます。

 

コルダの写真から,ジム・フィッツパトリックが,意志の強そうなチェの描画を作成した時点で,20世紀のイコンが完成したと言っても過言ではないでしょう。革命(そしてそのために流した人民の血)を表す赤と,社会主義の象徴である星。伝達能力の高いデザインです。もちろん,その背景にはチェの生き様や,考えに共鳴した人々がいたということが前提にあります。

 

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/54/Cheicon.jpg

 

コルダの写真および,アンディ・ウォーホル版シルクスクリーンは,以下のリンクを参照にしてください。

 

http://www.art-for-a-change.com/Month/korda.htm

 

フィッツパトリックのデザインは,白黒(もしくは赤黒)のバランスが絶妙で,簡単に複製することができる印象的な画像です。このようなインパクトのあるロゴやシンボルをデザインする際に,白黒対応(一色刷り)できること,いろいろなサイズに対応できる(スケーラブルである)ことが重要なポイントになります。

 

つまり,印刷のコストが削減できるということです。高度で難解な印刷技術を必要としなくても,一定のクオリティーを保てるということ。古い白黒コピー機で複製しても,裏庭で自家製のシルクスクリーンでも,原型をとどめることができるアートの存在が前提になります。それが,フィッツパトリックの描画でした。(CGならベクター/ベジェ vs ピクセルなどで例えられるでしょうか。)

 

ウォーホルのマリリン・モンロー,ジョン・F・ケネディ,毛沢東,レーニン,そしてキャンベル・スープのラベルに電気椅子と共に,チェはポップアートとして,大量生産されるイメージと化したわけです。Tシャツや,ステッカー,ポスターなどと,イデオロギーの表明というよりは,ファッションの一部として使われているのかもしれません。

 

コルダの写真は,チェの死(1967年)と前後して西側に流出しましたが,その写真が撮影された1960年には,チェ・ゲバラがタイム誌の表紙を飾っています。当時の影響力が窺われる写真です。チェの革命思想は,冷戦下の当時,何かがおかしいと感じていた若者の間でもてはやされました。

 

http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Ergstimecover1960.jpg

 

最近でも,ヴィッセル神戸(Jリーグ)の試合などのスポーツ・イベントや,街角でミリタリー調のカモフラージュのパンツに合わせたチェのTシャツなどを見かけます。チェの思想や意図したところから切り離されてファッションとして存在するのか,それとも,意思表明なのかわかりませんが,チェのイメージは,現代にも息づき,生きながらえているようです。

 

Tシャツのおに~さんは,一体どんな人だったのかと映画を観てくれる人がいても,いいのではないのかなと考えますが,皆さんはどう思われますか。そして,映画を理解するうえで,このブログが少しでもお役に立つことができればと願います。

 

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映画情報交換しましょう1

娯楽作品で沸いた夏が終わりを告げる頃から,北米ではオスカーを意識した大作,名作が並び始めますね。今年も楽しみです。9月,10月北米公開作品から,いくつか拾ってみましょう。(日本語タイトル不明なものは原題のみ)

 

1.「North Country」(「クジラの島の少女」ニッキ・カーロ監督,ニュージーランド出身)良質の脚本。そして,「モンスター」で素晴らしかったシャーリーズ・セロンの熱演が見もの。フランシス・マクドーマンド,シシー・スペイセクと。

 

2.「Separate Lies」(「ゴスフォード・パーク」脚本ジュリアン・フェロウズの脚本,初の監督作品)イギリス階級社会の名残。そして,ミステリー。トム・ウィルキンソン,エミリー・ワトソン主演。

 

3.「The Squid and the Whale」(ブルックリン出身の若手監督ノア・ボーンバッハに注目)インテリ家庭の崩壊。ジェフ・ダニエルズ,ローラ・リニーが好演。

 

4.「Lord of War」(「ガタカ」,「トゥルーマン・ショー」のアンドリュー・ニコル監督,ニュージーランド出身)冷戦後,東側の武器売買で一儲けした死の商人をニコラス・ケイジが熱演。

 

5.「An Unfinished Life」ロバート・レッドフォード,モーガン・フリーマン。センチメンタルな部分もあるが佳作。(「ミリオンダラー・ベイビー」を彷彿する部分があるが,この作品はミラマックスのお蔵入りしていたので,製作は「ミリオン……」公開以前とのこと。)

 

6.「エリザべスタウン」(キャメロン・クロウ監督)トロント国際映画祭で公開後,エンディングを再編集して一段と良くなったと評判のデート御用達映画。オーランド・ブルーム,キルスティン・ダンスト。

 

7.「Just Like Heaven」(原作「夢でなければ」)デート御用達映画。ラブ・コメならリース・ウィザースプーン。マーク・ラファロと。

 

8.「インハーシューズ」キャメロン・ディアス,トニ・コレット,シャーリー・マクレーンが好演。

 

9.「ドミノ」(上記の「インハーシューズ」のプロデューサーでもあるトニー・スコットが監督,リドリー「ブレード・ランナー」「グラディエーター」その他諸々スコット監督の弟,英国出身)バイオレントで漫画だが,娯楽性の高い作品。キーラ・ナイトレイ,ミッキー・ローク。

 

10.「The Greatest Game Ever Played」俳優ビル・パクストンが監督に再チャレンジ。前作(「フレイルティー/妄執」)は難解なテーマを選んだが,今回の作品は,わかりやすくまとまっている。ゴルフ(1913USオープン)が題材。

 

11.「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(「恋におちたシェイクスピア」のジョン・マッデン監督)シカゴ大学,数学の証明(プルーフ)をめぐる天才数学者と娘のミステリー。アンソニー・ホプキンス,グウィニス・パルトロウ。

 

12.「Good Night, and Good Luck」(俳優ジョージ・クルーニーが監督・脚本でも活躍)アメリカのTVニュース報道の草分け的存在エドワード・マロウを題材にしたベネチア国際映画祭出品(入選)作品。

 

13.「Capote」作家トルーマン・カポーティ(192484年,「ティファニーで朝食を」の原作者)。トロント国際映画祭出品作品。実話をもとにしたベストセラー「冷血」の取材が題材。ハーパー・リー(「アラバマ物語」)も,カポーティのリサーチ・アシスタントとして登場する。文学少女,青年は必見。

 

14.「秘密のかけら」(アトム・エゴヤン監督,エジプト出身)。トロント国際映画祭,カンヌ映画祭出品作品。独特の映像で複雑怪奇。大人向け。フィルム・ノアール的ミステリー。ケビン・ベーコン,コリン・ファース。

 

面白そうな作品はありましたか。もう観たもの,これから是非とも観てみたいもの。いかがでしょうか。是非とも情報交換しましょう。邦画,韓流,アジア系,ヨーロッパ等々の情報も大歓迎ですよ。まだまだ,本格的な映画シーズンはこれからですね。

 

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コンペアー&コントラスト50

コンペアー&コントラスト(比較対照)という枠組みで書き始めて,今夜で第五十回目になります。それなら,インターミッションにするっきゃない。「モーターサイクル・ダイアリーズ」にちなみ,南米にまつわる話しの続きも少し,映画の話しも少し,余談はたっぷり,なんでもアリってところで,大いに脱線しましょう。これだから,「マニャーナ(明日)でいいよ」というラテン・タイムって大好きです!

 

昨日は,栗林公園(高松市)の外国人向けセミナーの通訳の依頼があり,ボランティアでということで行ってきました。土曜は一日雨でしたが,雨のあがった日曜の朝は,空気がひんやりとしていて気持ちいい。まばゆい朝日の中,昨夜の濡れた道が気化していくのが肌に感じられます。早朝の光と建物や樹木の濃い影を踏みながら,栗林公園の前の交差点で信号待ち。目が合うと,笑顔を交わした三人組み。

 

(注: 以下に登場する会話は,基本的に英語で交わされたものの訳として読んでくださいね。)

 

「ハ~イ!どこから?」

 

トロント郊外カナダ二名,ウェールズ(イギリス)より一名。

 

「じゃあ(高松より寒い所から来ているので),ちょっと涼しくなってよかったね。」

 

カナダ青年は短パン姿。同郷の女性に,からかわれています。

 

ウェールズ出身の彼女は,

 

「この時期に,こんなに暑いなんて信じられないわ。」

 

暑い?ちょうどいいと思ったけれど。7月に来日したそうで,(彼女の曇った表情から……)よく暑い夏をサバイブできたものです。

 

「これから先は,どんどん寒くなるからよかったね。」

 

笑顔が戻ります。寒くなるからよかったね?我ながら,びっくりな発言。ちょっと待ってくださいよ。実は,先日,男木島(第五回写真展)に行ったアメリカ人(フロリダから来日)と,

 

「めちゃ,朝夕冷えてきたよ~~~。」

 

という会話をしたばかり。これぞ,緯度・バタ・会議。

 

信号が変わり,紅葉というよりは,深緑の栗林公園へ。どうやら,三人組もセミナーに向かっているようです。そして,顔見知りが,結構参加していて,ほっとしました。しかしながら,セミナーだけではなく,茶会,庭園散策,そして,手打ちうどん講習会の通訳も。いやぁ~~~,疲れた!(うどんは,食べる方に専念した方がいいことを悟りました。)

 

事前に,参加者名簿をゲットしていたので,お話ししたい人が何人かいたのですが,ぜ~~~んぜん話す時間がない。とほほ……。それでも,なんとか,「モーターサイクル・ダイアリーズ」の主人公達の出身国であるアルゼンチンから来日している彼女に。

 

「オーラ!」(さびついたスペイン語で,まずはごあいさつ。)幸い日系人の彼女は日本語が堪能です。(ヘタクソなスペイン語を話さずに済みました。)

 

「ああ,でも,(日本語の)単語とか,まだ難しいですよ。スペイン語もできるのですね。」

 

「ははは……。」(苦笑い)

 

「ははは……。」(返答のしようがない)

 

「日本語学校とか補習校とか行ったの?」

 

「おじいちゃんが,英語とバイオリンを習えと言ったので(行きませんでした)。どうせ,家で話していたから。」

 

「おじいちゃん?じゃあ,三世?」

 

「いえ,二世です。」

 

「お父さんやお母さんが,戦後の移民船でアルゼンチンに渡ったの?」

 

「そうです。」

 

「当時は,一ヶ月以上かかったはずですよね。」

 

彼女は,ゆっくりと,そして,しみじみと応えます。

 

「一ヶ月半。」

 

「遠かったね。」

 

「ええ。しかも,父は,チリ,ペルー,ベネズエラ,そしてウルグアイなどに行ってから,最終的にアルゼンチンに定住しました。」

 

そりゃ,すごいわ。南米各地を放浪したらしい。ちらっと,行った先で革命が起きたなんて,聞こえたような。ひょっとしたら,彼女のお父さんは,チェやアルベルトと同時期の南米を巡ったのでしょうか。ここで,詳しく彼女の話しを聞きたかったし,彼女も話しが喉元まで出ていたのですが,通訳が必要と声がかかり,残念ながら今回は断念。

 

園内を散策し,池辺の楓岸と呼ばれるスポットで,紅葉の予報をする標準木の説明を。11/15頃から見頃になるとのことで,その頃になると,ライトアップされるそうです。風のない日は特にお勧めで,鏡のような水面に,色とりどりのもみじが映し出され見事だそうです。何人かの人が,熱心にメモってくれています。(感激だなぁ~)

 

そして,木立の間に,ちょっとレトロな橋が見えます。公園の端の方なので,見落としそうですが,行定勲監督の「春の雪」のロケがあったそうです。なかなかいいスポット。さて,これを,どう面白く通訳するかなんだよなぁ。なんせ映画の話題だし。

 

「ここで4月にロケされた映画が,1029日に封切られます。その作品の行定監督のセカチューは,アニメを除いた映画のカテゴリーで,昨年,日本で一番の興行成績をあげました。」

 

セカチューの英語タイトルはスラスラ出てきたけれど,日本語でつまっていると,ウェールズの彼女が,

 

「庵治?」

 

「そうそう!!!」

 

よく知っていると感心していると,なんと,彼女は庵治に近接する地域の学校に派遣(ALT)されているとのこと。目をキラキラさせながら聞いてくれるので,なんだかとっても話しがいがあります。絶対に観に行くと,めちゃ盛り上がってくれて,もう涙。「春の雪」なんて,ヨン様の「四月の雪」と紛らわしいタイトルですが,こちらは三島文学の映画化です。

 

ここで,ちょっと回想シーンにジャンプ・カット。前出のアメリカ人は,韓国に一年間留学していたとのことで,来日直後に映画館に案内すると,ちょうど「四月の雪」を上映していました。

 

「日本で韓国映画を観る時は,吹き替えと,字幕に注意ね。韓国語と日本語字幕か,日本語の吹き替えがあるから。」

 

「アメリカの映画も,吹き替か字幕?」

 

「全部の作品じゃないけど,吹き替えには要注意。字幕じゃないと英語で観られないんだから,この字(上映時間に添えられた「字幕」という文字を指しつつ)は,しっかり覚えていた方がいいよ。まぁ,ジョニー・デップが(チャーリーとチョコレート工場で)日本語を喋っているのも,なかなかオツなもの……。」

 

「ははは……。」

 

「ははは……。」

 

「春の雪」のロケは,春先に行われましたが,秋のシーンの撮影とかで,人造の紅葉をふんだんに使ったそうです。映画の公式サイトを見てきましたが,プロローグをクリックすると,なるほど,紅葉の見慣れた橋が出てきます。木洩れ日の中に一枚の絵のようにフレーミングされた橋。そうそう,あの角度から見ると,こんな感じです。

 

……すっかり,ウェールズの彼女と意気投合して,庭園の散策を続けます。そして,お手植えの松に。左から三本目が,ウェールズ皇太子が植えた松。驚きと共に,嬉しそうに,しみじみと松を眺めていた彼女。そんな彼女を見ていると,私まで嬉しくなってきました。

 

残念ながら,今回は写真をゆっくり撮る暇がなかったのですが,セミナーの始まる前に少し撮った写真を,二週間くらいフォトアルバムの中に入れておきます。セミナーの開催された掬月亭(きくげつてい)からの景色です。ここで,琴と尺八の演奏,お茶席もありました。誰かが,何故「掬」(きく)という漢字なのか訊ねます。

 

「掬という漢字は,手偏(てへん)に匊(きく)で,すくうという字です。掬月というのは,中国は唐の時代の詩*から名付けられたそうです。こうやって(水をすくう仕草をしつつ),湖に映った月を手のひらに収めて,月を愛でたのですよ。とっても風雅なお月見でしたね。」

 

今宵は月が美しい。こんな夜なら,誰でも詩人になれそうです。紅葉のシーズンに,今度はゆっくり写真を撮りに行こうと思います。

 

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*注: 掬水月在手。水を掬(きく)すれば月手にあり。

第5回写真展 瀬戸の灯台巡り

皆さんいかがおすごしでしょうか。今回は,瀬戸内海から,潮の馨りをお届けします。

 

その昔,宇高連絡船で賑わった四国の玄関たかまつ。瀬戸大橋や明石大橋ができたおかげで,今では車や列車が本州と四国を結ぶようになり,大変便利になりましたが,今でも船旅は健在です。フェリーに乗って,たまにはスローに景色の変化を楽しむのもいいものです。

 

サンポート高松をあとに,フェリーで男木島に向かいます。最初の写真の左側に見えるなだらかな山々は,海上約4キロ沖に浮かぶ雌雄の島こと,女木島と男木島(奥)。男木島は,高松市の最北端に位置しています。

 

まずは,高松の桟橋左手に赤灯台「せとしるべ」が見えます。外壁にガラスブロックを使った,世界でたったひとつのクリスタルでできた灯台だそうです。

 

フェリーで20分ほどで,桃太郎の鬼退治で有名な鬼ヶ島こと女木島に到着します。さらにフェリーで20分ほどで男木島に。高松側は霞んでいたのに,男木島にさしかかると晴れ渡り,海が碧く輝き始めました。潮風に吹かれつつ,岬を曲がれば,丘の斜面に民家が軒先を並べ,石段の連なる古い町並みに,懐かしい漁村の風景が突然姿を現わします。

 

段々畑を縫いながら丘を越え,島の最北端に行くと,明治時代に建てられた御影石の灯台があります。暗闇に光をともし,船を導いてきた灯台。映画「喜びも悲しみも幾年月」(1957年)の舞台にもなりました。このあたりは,春先に水仙の花が咲き乱れるそうです。北東に臨むと,オリーブの島,小豆島が見えます。今が収穫期とのことです。

 

海外在住の友人に身近な日本の四季折々の風景をお届けしたくて,不定期的に写真展を開催しています。今回で第5回目。簡単なご挨拶を添えて掲載しています。写真は2週間位掲載します。

 

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コンペアー&コントラスト49

今夜は,インターミッションです。「モーターサイクル・ダイアリーズ」にちなみ,南米にまつわるお話しを少し……。

 

 

南米航路(船)のことで,久しぶりに父と話した。日本から南米の大西洋側に行くには,パナマ運河を通ったという。

 

「モーターサイクル・ダイアリーズ」や「アラビアのロレンス」について,最近ブログに書いていることもあり,スエズ運河やパナマ運河通過の様子を聞いてみた。スエズ運河の方は,10隻位の船団を組んで通ったそうだ。途中,湖があり,そこで他方向から来る船と,擦れ違うことができたらしい。パナマ運河にも,湖があったそうだが,船団を組まず,個々の船として通過したそうだ。

 

大西洋側の南米(ブラジル,アルゼンチンなど)へは,当時,日本から移民船が運行していたそうだ。近年,地方自治体のブラジル移民100周年記念などのニュースを聞くが,戦前のみならず,戦後も移民船が出ていたことになる。戦後もブラジルなどへの移住が続き,移民船を使って移住された方がいたわけだ。

 

日本から南米までは,約3ヶ月の航路だったそうだ。片道でも一ヶ月強。当時は,気の遠くなるほど遠い国だったことだろう。何かあると,すぐ帰るというわけにはいかない。相当な決心がいる。言葉や文化の違いなど,心理的にも遠い国だったはずだ。移民家族は,普通,船底の3等船室に乗船していたそうだ。どんな気持ちを抱いて時を過ごしたのだろうか。心細さ,不安,そして望郷の念と希望の入り混じった複雑な気持ちだったに違いない。

 

エルネスト・ゲバラが,アンデス山中の国境を越えた時のモノローグ(「モーターサイクル・ダイアリーズ」)を,引用しておこう。

 

「背後にする国への郷愁と,新たな国に足を踏み入れる興奮が,同時に心をよぎります。」

 

日系三世の母を持つ親友の家に遊びに行くと,母が幼少の頃,船で日本を訪れた時の話しで盛り上がった。冬の荒海を渡るのは至難の業で,船酔いで寝ているのがやっとだったそうだ。頭より高くなる自分の足を眺めながら日本に向った幼い少女。いろいろな苦労があるものだ。

 

父の記憶では,アントニオ猪木の御家族(親戚?)のブラジル移民を覚えていると言う。神奈川から乗船したそうだ。その時,猪木は既に沖縄などの米軍基地で,レスラーとして活躍し始めていたとのことで,親類の移民か,一時帰国のあと,帰途の旅だったのだろうか。その船旅の途中,猪木家のおじいさんが亡くなり,水葬に付したそうだ。

 

ブラジルのアマゾン河を1500キロほど遡った所に,マナウスという町があるが,河口からの水路は,雨季の時は水かさが高く運行しやすいが,乾季は浅瀬に乗り上げないよう,ジグザグに運行したので,時間がかかったそうだ。そういえば,マナウス気付けで,父に手紙を出したことがあった。リオデジャネイロか,ブエノスアイレスでお世話になった人の息子さんに,日本のジャージが欲しいと頼まれて,一緒に横浜で買い物をした記憶がある。父と話していると,モンテビデオ(ウルグアイの首都,ブラジルとアルゼンチンの間に位置する)など,懐かしい地名が口をつく。

 

アメリカに住んでいた時には,南米に移民した日系人が,移民先で革命などが起きた為,陸路,徒歩で北米に来たという話を聞いた。記憶が定かではないが,一年や二年かけて,歩いて来たそうだが,これまた想像を絶する話しだ。アメリカでは,主に農業に従事されていたが,菊づくりが上手いなど評判が良かった。時々,南米出身のお嫁さんを迎え入れている日系人の家庭があり,堪能な日本語がしゃべれたりする。家族の出身地である土地のなまり(方言)のある日本語が,微笑ましい。

 

南米人の母を持つ青年に,流暢な日本語で話しかけられて驚いたことがある。父親が日本人とのことで,父から日本語を習ったそうだ。私の父母はどうなのかと訊ねるので,「100%メード・イン・ジャパン」だと答えると,意外そうな顔をする。そうか,南米はメスチゾ(混血)の地なのだ。話しを聞いて実感する。これは,チェ・ゲバラのスピーチにも,繰り返し出てくる。アメリカ=アメリカ合衆国ではない。中南米の人に笑われる。中南米も含めて,全部アメリカなのだ。

 

在米中に,祖母もしくは祖父が日本人,もしくは日系人という人には結構出会ったが,その世代になると,日本の影響はかなり薄れていたりする。しかしながら,家庭に呼ばれて行くと,昔懐かしい日本の断片がそのまま残っていたりする。「生きた化石」と,よく友人をからかったものだ。親しみからきているのであり,決して悪気があったわけではない。しかしながら,「生きた歴史博物館」と言ったほうが,よかったのかもしれないと反省する。

 

1990年の入管法(「出入国管理及び難民認定法」) 改正により,日系二世・三世及びその家族に対して,3年間の滞在可能な査証の発給が認められるようになった。日本行きの飛行機で,ブラジルから出稼ぎの日系人らしきグループと同乗したことがある。片道1ヶ月以上かかった船旅が,今では飛行機で,ブラジルから米国へ約12時間,プラス米国から日本まで約11時間程度になった。それでも,簡単に行き来できる距離ではない。

 

「男はつらいよ 奮闘篇」(1971年)の冒頭で,春先の東北からの集団就職の旅立ち,家族との別れのシーンがあった。たった20年ほどで,出稼ぎもインターナショナルになったものだ。しかしながら,故郷を離れて見知らぬ土地に行く若者たちの気持ちには,今も昔も相通じるものがあるだろう。胸に秘めたそれぞれのいきさつがあるに違いない。彼らのストーリーを,いつの日か聞かせてもらいたいものだと思った。

 

「モーターサイクル・ダイアリーズ」のエルネスト・ゲバラと,アルベルト・グラナードの旅行のように,いつもと違った場所に身を置くことにより,何か新しい視点が芽生えることがあるものだと感じる。

 

 

本日の写真は,街路樹になったオリーブの実。街を見渡せば,収穫の秋ですね。気軽にコメントしていって下さいね。それでは,またお会いできるのを楽しみしています。

コンペアー&コントラスト48

ロード・ムービー第四十夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

. 「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004) その後」

 

「モーターサイクル・ダイアリーズ」の旅を続けることにしましょう。

 

映画のタイトルがダイアリーズと複数形なのは,1951年に南米を縦断した二人の青年の日記という形式を取っているからだとお話ししましたが,後に名が世に知られるのは,二人のうち(皆様も御存知)チェ・ゲバラこと,エルネスト・ゲバラの方です。時は1959年。キューバ革命。フィデル・カストロと共に人民軍を率い,キューバに革命政権を成立したのは,オートバイの旅から約7年半。一体エルネストに何があったのでしょうか。

 

今回は,エルネストのその後についてです。社会の矛盾に目覚め,マルクス主義に傾倒し,ゲリラ戦と革命に関わりを持ち始めた頃から,チェという愛称で呼ばれるようになったエルネスト。出身国であるアルゼンチンの方言で,「おい」,「ねぇ」,「よう!」(Yo!, Hey!, Dude!) という意味があります。親しみを込めてエクスクラメーションなニックネームです。日本語の「残念」(ちぇっ!)じゃなくて残念!

 

「映画千夜一夜」にちなみ,まずは映画に描かれているチェを,ざっと見てみることにしましょう。(主に英語圏で制作された作品に限ります。)

 

「ゲバラ!」(1969年,原題Che!)。チェを演じるオマー・シャリフが出演した「アラビアのロレンス」から7年後,主演の「ドクトル・ジバゴ」から4年後,そしてチェ・ゲバラ(19281967)の死から2年目に公開された映画です。

 

映画は,カストロと肩を並べて革命に身を投じたものの,革命後のカストロとの見解の喰い違いからキューバを後にし,各国(アフリカ,南米)の革命を支援するうちに,遂に身を滅ぼすといったような内容でした。メキシコに亡命中だったカストロ兄弟と共に奮起し, 195611月に82名の同志がキューバに上陸したものの,激戦で70名を失ってしまいます。カストロ兄弟とチェを含む残りの12名が山に逃げ込み,約2年にわたるゲリラ戦を展開します。そして,遂には1959年1月に,キューバ革命政権の成立達成。

 

チェ・ゲバラが,革命家になった瞬間が,この映画に描かれています。映画は,少し自伝の記述と違いますが,回顧録では,医師として従軍したゲバラが,医療品の入った袋か,武器の入った袋を取るか,咄嗟の判断を迫られた時に,革命家のチェが誕生したとあります。「モーターサイクル・ダイアリーズ」では,伏線になる出来事(社会の矛盾,貧困,差別,人々の苦しみ)が描かれていますが,決定的な瞬間は,南米縦断の旅から約5年後に起きたわけです。

 

この映画のテーマは,「チェ・ゲバラ&カストロ」(2002年,TV映画,原題Fidel)でも繰り返されていますが,こちらの方は,フィデル・カストロの視点から語られています。「モーターサイクル・ダイアリーズ」でゲバラを演じたガエル・ガルシア・ベルナルが,チェ・ゲバラを演じていて,「モーターサイクル……」公開の2年前に,その後のチェ・ゲバラを経験していたベルナルの演技が,内省的であったことが理解できそうな気がします。ヒーローの死から時を遡って語られた「アラビアのロレンス」(1962年)と同じような影(死の匂い)を感じたのは,私だけでしょうか。

 

さて,チェのミュージカル・バージョンなんて,いかがでしょう。意外なところでは,「エビータ」(1996年)があります。チェを演じるのは,アントニオ・バンデラス。お話しは,かなり史実から離れて,イマジネーションの世界に。実際には面識のなかったエバ・ペロン(マドンナ)と,チェが……。(笑える話題の提供です!)

 

チェ・ゲバラは,「モーターサイクル・ダイアリーズ」で描かれている南米の旅の後,自国アルゼンチンに戻り,ブエノスアイレス大学医学部に復学して,1953年に優秀な成績で卒業しましたが,ペロン独裁政権の祖国を離れ,社会主義であったグアテマラ(中米)に行きました。その後,社会主義政府が倒されて,メキシコに渡り,そこで亡命中のカストロと出会ったわけです。

 

現在作製中の映画の中に,スティーブン・ソダーバーグ監督のChe(「チェ」)があります。誰がチェですかって?ベニシオ・デル・トロだそうです。(ソダーバーグ監督と,デル・トロの顔合わせは,2000年の「トラフィック」でも。)

 

ベニシオ・デル・トロ,アントニオ・バンデラス,ガエル・ガルシア・ベルナル,そしてオマー・シャリフ。う~~~ん,やっぱり濃い~~~。映画の題材として,大変興味のあるところですが,映画のみならず,他のビジュアルな面でも,大変印象深いチェ・ゲバラ。次回は,そのシンボル性などに触れてみる予定です。

 

気軽にコメントしていって下さいね。それでは,またお会いできるのを楽しみしています。