アート系 第4夜
2006/06/24 コメントを残す
ヴァージニア・ウルフの世界
今夜は,女流作家ヴァージニア・ウルフ(1882-1941年)に触発された映画を選んでみました。彼女の世界は大変プライベートなもので,感性と芸術性に溢れた繊細な表現を,どのように解釈し,映像化することができるのか,興味深いところです。
まずは,スティーヴン・ダルドリー監督の「めぐりあう時間たち」(2002年)から始めることにしましょう。マイケル・カニンガムの原作(ピュリッツァー賞受賞)の映画化で,時空を越えてヴァージニア・ウルフと2人の女性の1日が,ウルフの小説「ダロウェイ夫人」を接点に,間接的・直接的に重なり合っていくといった構成の作品です。フィリップ・グラスの音楽が印象的でした。
ダルドリー監督の前作「リトル・ダンサー」(2000年)では,内側からこみあげてくる芸術性への目覚めを,ストレートに描いていましたので,正直なところ全く油断していました。「めぐりあう時間たち」を観たときには,このような映画も創れるのかと,新鮮な驚きを感じました。直球を予期していたところに,秘密の変化球が来たような感じです。それも,ガーンというよりは,じんわりと効いてきました。
「めぐりあう時間たち」に登場する3人の女性の接点である「ダロウェイ夫人」の方も,1997年に映画化されています。こちらの方にも,少し触れておきましょう。舞台はロンドン,1923年6月13日の1日を描いた作品です。その夜開かれるパーティーのために,ハイドパークで花を買うダロウェイ夫人。
議員夫人におさまったダロウェイ夫人の意識の流れ(stream of consciousness)は時空を超え,人生の分岐点であった30年前を再び訪れます。まだ夫の姓で呼ばれる前,クラリッサだった頃の情熱的な恋人。気になる女友達。後に夫となる堅実なダロウェイ氏。果たして,あの時の選択でよかったのかと自問します。
そして,1923年に交差するのは,第一次世界大戦のトラウマを抱えた復員兵と,1日の終わりに,窓越しに見えた老女の姿。ダロウェイ夫人の意識の分身とも解釈されています。若さ,老い,女性として生きるということ……。復員兵の選択に衝撃を受けつつも,今の生き方を受け入れるダロウェイ夫人。「めぐりあう時間たち」でも,このテーマが通奏低音のように流れています。
「めぐりあう時間たち」に戻りましょう。1941年,1951年,2001年に生きる3人の女性たちの1日が始まります。2001年,ニューヨーク。ダロウェイ夫人と,昔の恋人から愛称で呼ばれていたクラリッサは,作家である彼の受賞パーティーの準備をしています。「ダロウェイ夫人」の一節を引用しながら,祝賀会のために花を買うクラリッサ。
1951年,ロサンゼルス。主婦ローラは,生きる意味を見失い,幸せを感じることができず,愛のない結婚を選んだ「ダロウェイ夫人」を読むことで,かろうじて閉塞感と孤独感を飼いならしています。1941年,ロンドン郊外。もはや生きる意味を見出せなくなったヴァージニア・ウルフ……。いや,彼女は心の病を持ちつつも,今でも影響を与え続ける素晴らしい作品を生み出すことができたのです。
ちなみに,「ダロウェイ夫人」執筆時の仮題は,「めぐりあう時間たち」の原題The Hoursだったそうです。時の流れを遡り,意識の世界を掘り下げていく手法は,紛れもなくヴァージニア・ウルフそのもので,時空を自由に超え,複眼的な視点の提示と共に,パーソナルな意識・内面の世界の映像化が同時にできるのは,映画という媒体の特性でもあると実感しました。
同じく時の流れと意識が重なる「オルランド」(1992年)ですが,トランス・ジェンダーな主人公が,風のように400年の歳月を駆け抜けます。男性として生を受けたオルランドが,女性になった途端に家の相続権を失い,また,生まれてくる子どもが,男の子でなくては家を失ってしまうという事態に追い込まれます。
「オルランド」は,1928年に執筆されましたが,ジェーン・オースティンの「プライドと偏見」(「高慢と偏見」)や「いつか晴れた日に」の時代背景(女性は遺産を相続できない)と,まだまだ重なる部分があります。実際に,ヴァージニア・ウルフのパートナーでもあったヴィタ・サックヴィル=ウェストが,女性であるがために,愛着のある家を相続できなかったことが,「オルランド」執筆の動機とされています。
ボーヴォワールの「第二の性」(社会的に定められたジェンダーへの開眼)が登場するのは,まだ先,1949年を待たなくてはなりません。
サリー・ポッター監督の「オルランド」の映像化は,主人公を演じたティルダ・スウィントンの魅力と存在感を生かし,原作の意図を汲み取りつつ現代に繋げています。また,サンディ・パウエルの衣装が時に息吹を与え,時間の流れがワルツのように視覚化されています。クリエイティブな作品だと思います。
ベルリンの壁崩壊後に,旧ソビエト圏で行われたロケも効果的です。エリザベス一世の長い君臨(1558-1603年)が終わりを告げ,大寒波に襲われたロンドンで運命の人と出会うオルランド。氷に閉ざされた世界を再現したサンクト・ペテルブルグでのロケ。そして,失恋したオルランドは,辺境の地へ志願します。ウズベキスタンでのロケから,時空を超えた質感と,東方の空気が伝わってきました。
そして,現代のロンドンに,娘と共に颯爽と登場するオルランド。自分の肖像画の前で,傍観者的にカメラに向かい目配せします。
オルランドを演じるティルダ・スウィントンが,ゴダールの「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」に登場するベルモンドのように,カメラに目線を送ったり,ユーモアや茶目っ気を導入したり,映画という媒体を意図的に用いた作品でもあります。(「ファイト・クラブ」のブラピの例の方がわかりやすいかな。1999年公開と,こちらの方が「オルランド」より新しいので悪しからず。)
ヴィタ・サックヴィル=ウェストの子息が,「オルランド」は,ヴァージニア・ウルフから母への長い長いラブレターだと称していましたが,意気消沈していた人に,このような素敵な励ましの言葉をかけることができるのは,彼女の才能そのものであり,また,これらの作品に,時空を超えて意味を見出した人も沢山いることかと思います。