コンペアー&コントラスト24
2005/04/29 2件のコメント
ロード・ムービー第十九夜。「1959年: その5 北北西に進路を取れ:
Ⅴ. まとめ&今後の進路」
2月17日からロード・ムービーをテーマに、ブログを書いています。寄り道しながらも、第十九夜を迎えました。ロード・ムービーとは何なのだろうかという、素朴な疑問からスタート。2/17に記した仮説は、
「旅映画の一部ともとれますが、独特のジャンルを確立していると思います。旅と言わず、『道』(ロード)、つまり道中(過程/プロセス)に、焦点を当てているのが、大きな特徴です。旅のプロセスでは、いつもと違った環境に身を置くことで、何らかの変化が起きます。」
限りなく広義な解釈を含めて、自分なりのロード・ムービーを探す道に出ました。暗中模索ながら、ここまでやってきました。映画史は比較的短く(110年ほど)、一度は大まかな流れにも触れたいと思っていましたので、1959年迄は大体年代を追って作品を紹介してみました。比較対照(コンペアー&コントラスト)という枠組みの中のシリーズですので、古い作品を紹介したら、なるべく新しいものにも繋げるよう試みました。
今後は、1960年以降の作品を中心に、テーマ別にお話ししていこうと思います。新しい作品だけではなく、歴史的観点、歴史的な位置付けも含められたらと考えています。
振り返れば、2月にコンペアー&コントラストのネタを探していたところ、ロード・ムービーが面白そうだと思ったのが、事の発端でした。最初は一話完結のつもりだったのに、採り上げたい映画が多くて絞りきれず、シリーズ化することに。
最初に書きたいと思ったのは、自称ロード・ムービーの「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)。これなら、ロード・ムービーに間違いない。さて、合わせる(比較対照する)作品は何にしよう。オートバイ系の映画なら「イージー・ライダー」(1969年)かな。「アラビアのロレンス」(1962年)の中でのオートバイの役割も棄て難い。「禅とオートバイ修理技術」(ロバート・パーシグ著)まで派生しても面白いかも。
それとも、ガエル・ガルシア・ベルナル主演という共通点のあるロード・ムービー「天国の口、終わりの楽園」(2001年)か。これなら女性的な視点にも触れることが出来る。いや待てよ。「モーターサイクル・ダイアリーズ」のウォルター・サレス監督の「セントラル・ステーション」(1998年)も、一種のロード・ムービーだ。それに、ロード・ムービーのルーツに触れないわけにもいかず、想像が膨らむばかり。
ともかくネタに事欠かないことに気が付きました。道中いろいろな作品をピックアップしていけるので、ここまでの道のりは楽しかったです。次回からのテーマは、最初の動機である「オートバイの登場するロード・ムービー」を、予定しています。
それでは、今までに来た道(ロード)のおさらい。1959年あたりに、ロード・ムービーの色合いの強いバラエティーに富んだ力作が登場し、その後の作品に多大な影響を与えます。ヌーベルヴァーグのコンセプト、コメディーの流れ(ビリー・ワイルダー監督)、新旧の史劇的な作品(叙事詩的アプローチ vs. ドキュメンタリー・タッチ)、そしてアクション娯楽作品の雛形となる「北北西に進路を取れ」と、ロード・ムービーの基盤が整った年として注目してみました。
1899年生まれのヒッチコック監督は、サイレント映画からトーキー(1920年代後半~)、モノクロからカラー(1930年代後半~)、そしてテレビの登場を目の当たりにしました。その経歴は映画史そのものと言っても過言ではないでしょう。積極的に新しい技術を採り入れ、映画という媒体の特性を理解し、独特のスタイルを確立して、今でも多くの人々から尊敬されています。スピルバーグ監督も、ヒッチコック監督に影響されたと語っていました。
ヒッチコック監督の「北北西に進路を取れ」は、007シリーズ(イギリス)にも、大きな影響を与えています。007第一作「ドクター・ノオ」 (1962年、日本初公開時タイトル「007は殺しの番号」) から、現在まで20本、プラス番外編2本が公開されています。
007シリーズ原作者のイアン・フレミングは、ジェームズ・ボンドに、「北北西に進路を取れ」の主人公を演じたケイリー・グラントのような俳優をイメージしていたそうです。初代ジェームズ・ボンドであるショーン・コネリーを、最初は気に入らなかったそうですが、後には適役だったと認めたそうです。
英国秘密諜報部員であるジェームズ・ボンド。ダンディで、美食家で、プレイボーイで、タフ・ガイのくせに、機転が利いて、猫のようにしなやかなイメージ。華麗でユーモアのセンスがあるタイプ。女が好きで、煙草や酒にもウルサイ。ボンドが愛飲したのは、ステアせず、シェイクしたウォッカ・マティーニ。最新の「007 ダイ・アナザー・デイ」(2002年)では、キューバでモヒートを。
ヒッチコック監督と、007シリーズ初代プロデューサーは懇意だったそうで、007第二作「ロシアより愛をこめて」 (1963年、日本初公開時タイトル「007危機一髪」)のヘリコプターのシーンは、「北北西に進路を取れ」からヒントを得たそうです。
007シリーズ第五作目「007は二度死ぬ」 (1967年) は、高度経済成長期の日本が舞台でした。外国人の見たアヤシイ日本と批判されていますが、東京でのロケ(丸の内線など)や、当時の日本の風景は、歴史的な記録として面白かったです。ボンド・ガールは浜三枝さんで、丹波哲郎さんが共演していました。
既に今後二本の007シリーズ映画化も決まっているそうです。次々回の作品の舞台は、日本だそうで、ロケ地(北海道と瀬戸内海の直島)の誘致キャンペーン中と聞きましたが、どうなるのでしょうね。
アクション、最新のメカ(ボンド・カーから武器に至るまで)、お色気(ボンド・ガール)、テーマ・ソング、オープニングのグラフィック・デザイン的なアプローチと、スパイ映画のフォーミュラとスタイルを確立。3200キロの道を行く「北北西に進路を取れ」の流れを汲み、世界を舞台に007が活躍します。
その後、007もどきの亜流スパイ映画や、TV番組、漫画、パロディーが多数登場し、記憶に新しいところでは、映画「オースティン・パワーズ」シリーズ(1997、1999、2002年)などが思いあたります。
冷戦のもたらした核の恐怖が生み出したスパイ活動。「北北西に進路を取れ」は、東西のスパイ活動に巻き込まれた普通の人間(ケイリー・グラント)のお話しです。
1989年11月9日ベルリンの壁の崩壊に続くソビエト・東欧圏の崩壊で、東西の緊張が緩和され、それまでのようなスパイの必然性が問われます。新たなる見えない敵との戦いは、内部の陰謀(「ボーン・アイデンティティー」、映画「ミッション・インポッシブル」など)であったりします。今後もスパイ映画の方向性に、注目していきたいと思います。
最後に、ヌーベルヴァーグの旗手であったフランソワ・トリュフォー監督の言葉で締めくくりたいと思います。1974年に、ニューヨークのリンカーン・センターで、ヒッチコック監督を讃える祝賀会が催された時のことです。トリュフォー監督は、ヒッチコック監督とのインタビューをまとめた本を出版していたこともあり、祝賀会で「二つの卓越したシーン」の一つとして、「北北西に進路を取れ」(1959年)の飛行機の追跡シーンを紹介しました。
祝賀会の後で、トリュフォー監督は、ヒッチコック監督のユニークさについて語りました。「ラブ・シーンを殺人シーンのように、殺人シーンをラブ・シーンのように撮影しているかのように、どうしても見えるのです。ヒッチコック監督の作品では、愛することと、死ぬことは同じなのではないのかと考えました。」
今日の写真は、神戸の風景から、私のロード写真、その9。明治38年築の旧ハリヤー邸です。外側の壁が、天然石のスレートで、鱗のように見えるところから、「うろこの家」と呼ばれるようになりました。オランダ坂を上りつめた所にあります。どうやってこんな急な坂を、上っていたのだろうかと不思議でしたが、眼下に広がる景色が素晴らしく、来た甲斐があるものだと納得しました。
気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。
::::::::::::::::::::::
附録: ロード・ムービー1959年シリーズ・ロード・マップ
その1 「ヌーベルヴァーグ」(第六夜、2/24)
その2 「ワイルダーなロード・コメディー」(第八夜、3/5)
その3 「史劇のロード・ムービー」(第九夜。3/6)
その4 「史劇のロード・ムービー番外編」(第十夜、3/10)
その5 「北北西に進路を取れ」(第十二夜~第十九夜)
Ⅰ. イントロ (第十二夜、3/21)
Ⅱ. 映画(第十三夜、3/23)
Ⅲ. ヒッチコック
(a) 映画とTV(第十四夜、3/26)
(b) 映画史と重なる経歴(第十六夜、4/2)
(c) 恐怖(第十七夜、4/10)
Ⅳ. 出演俳優(第十八夜、4/23)
Ⅴ. まとめ&今後の進路(第十九夜、4/29)