コンペアー&コントラスト30

ロード・ムービー第二十五夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

Ⅱ. イージー・ライダー (d)からくり」

 

「イージー・ライダー」(1969年)の旅を続けます。この映画の感想は多種多様だと、第二十一夜(「リアクション」、5/4ブログ)で触れましたが、主たるも感想のうち「ワケのわからん映画」をテーマに、お話ししてみようと思います。あっそうそう、今夜はゲストに、皮伊太(ぴいた)さんと、出荷巣(でにす)さんを、お招きしました。

 

まり「本日はお忙しい中、ブログにご来訪ありがとうございました。さっそくですが、何故、『イージー・ライダー』は、わからないと言われるのでしょうねぇ。」

 

皮伊太「初公開された時、映画界に長いとーちゃんの感想も、『わからん!』でした。」

 

まり「ふーーーん。意外だなぁ。お父様は、『怒りの葡萄』で、ムショ帰りの喧嘩っ早いタイプを演じていましたよね。社会からのはみ出し者という共通点があると思ったんだけどな。しかも不況や、ダストボールで農地が不毛と化した深刻な社会問題を抱えた時代背景は、ベトナム戦争で希望を見失った時代と重なるし。アメリカの真ん中あたり(オクラホマ)から、カリフォルニアに向かった『怒りの葡萄』も、ロード・ムービーという共通性がある。『何であんな映画が売れるのか』という意見は、一般に蔓延していたようですがね。」

 

皮伊太「実際のところ、同業者からも、『イージー・ライダーは、わからない』というのが、通説だったようです。」

 

まり「そんでもって、興行成績がよかったものだから、よけいにわからない!!!」

 

皮伊太、出荷巣、まり「……ははは。」

 

まり「低予算で作製されたとはいえ、公開当時国内だけで、予算の100倍近い収益を上げたわけですよね。映画のエンディングはともかく、ビリーとワイアットの老後は安泰ですね。」

 

出荷巣「いや、ほとんど覚えていない。」

 

まり「でも儲かった……」

 

皮伊太「日本でも、1970年度キネマ旬報ベストテンで一位の作品でしたから、人気があったのは確かなようですね。日本のファンの皆さま、ありがとうございます。」

 

まり「1969年のカンヌ映画祭では、出荷巣さんは新人監督作品賞(Prix de la premiere oeuvre)を受賞されたわけでしょ。審査員は、何を見出したのかなぁ。」

 

出荷巣「いや、ほとんど覚えていない。」

 

まり「アカデミー賞でも、最優秀助演男優賞、最優秀脚本賞を受賞したわけですよね。」

 

出荷巣「いや、ほとんど覚えていない。」

 

皮伊太「巷では、ジャックをスターにした作品だと言われているそうですよ。」

 

まり「確かにジャック・ニコルソンは、あの作品で注目されましたよね。その後も、あのキャラクターと、ジャックは、ほぼ同一のように受け取られているようですし。それに加えて、最優秀脚本賞でしょ。審査員は、何を見出したのかなぁ。」

 

出荷巣「いや、ほとんど覚えていない。」

 

まり「噂によると、当初『イージー・ライダー』のラフカットは、3時間を超えていたそうですね。」

 

出荷巣「いや、ほとんど覚えていない。」

 

まり「それを、監督が約半分(94分)にカットした時に、ストーリー・ラインを全て省いたと。」

 

出荷巣「いや、ほとんど覚えていない。」

 

まり「ストーリー・ラインや説明がないから、話しが見えないものの、行間に意味が潜んでいると聞きました。つまりストーリーが宙に浮かんでいる。そこが、この作品の斬新さなのかもしれませんね。ちなみに、『イージー・ライダー』の英語キャッチ・フレーズは、『アメリカを探しに行ったが、どこにも見つからなかった』(訳)でした。解釈は人それぞれの自由ですが、行間を少し埋めてみると面白いですね。そこにあるけど、見えないストーリー。」

 

皮伊太「見えざるストーリー。」

 

まり「どうやら、その辺がこの映画のからくりなのでしょうね。」

 

皮伊太、出荷巣、まり「見えざるストーリー……」

 

……な~んて対談があれば、面白いだろうな~と想像に耽るのでした。出荷巣監督は、映画作製中、かなりぶっ飛んでいたとのこと。それでも、ヴィム・ヴェンダーズ監督がこの映画を観て、強く影響を受け、ロード・ムービーを作製し始めたのは有名な話しです。ロード・ムービーとして、「イージー・ライダー」が、必ず挙げられる所以です。

 

一般にロード・ムービーという形式が明確でないのは、「見えざるストーリー」が意識されているからなのかもしれませんね。ロード上にいる間は、次に何が起こるのかわからない。日常からの離脱は、「見えざるストーリー」という展開と相俟って、何らかの発見を促すといったところでしょうか。例え結果的に何も見つからないにせよ、ロードは変化の触媒・象徴です。

 

次回は、ジョージ(ジャック・ニコルソン)の行間を少し埋めてみる予定です。

 

今日の写真は、春菊(菊菜)の花です。冬の鍋物で大活躍の春菊。独特の香りと味がありますね。春には、可憐な黄色の花が咲くのには驚きました。文字通り春の菊。普段は見えざる花を、見てみるのもいいものだと感じます。

           

気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。

 

 

:::::::::::::::::::::::::::::::::

 

註: イージー・ライダー(1969年)データ

 

監督・脚本・主演(ビリー): デニス・ホッパー

製作・脚本・主演(ワイアット): ピーター・フォンダ

脚本: テリー・サザーン

助演(ジョージ): ジャック・ニコルソン

 

予算(推定) 34万ドル

興行成績 3千万ドル(1969年、アメリカ国内)、6千万ドル(1972年1月、世界累計)

 

英語キャッチ・フレーズ(Tagline)

A man went looking for America and couldn’t find it anywhere!

コンペアー&コントラスト29

今夜はインターミッションです。

 

本日代役として、司会を務めてきました。講師の方は、このところ仕事でお世話になっているアメリカ人。軽く打ち合わせをしていると、懐かしい「ウォール・ドラッグ・ストア」のステッカー(シール)が手元に。

 

ウォール・ドラッグ・ストアは、サウス・ダコタ州にある薬屋兼雑貨屋さんです。先月あたりに特集した「北北西に進路を取れ」の舞台になったラッシュモア山の近くでもあります。「大草原の小さな家」の主人公ローラの子供時代の家も、近くに残っています。ただ「近く」と言うのは語弊があります。過疎地なので、絶対的に近いのではなく、相対的に(他の所より)近いというだけです。

 

そのあたりは、映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)や、「サンダーハート」(1992年)の舞台でもあります。どちらの映画も、アメリカ先住民の文化を題材にしています。「サンダーハート」撮影直後に、そのあたりを通りかかったのですが、泊まった宿のお姉さんが、興奮気味にロケ隊のお話しをしてくれました。「サンダーハート」に出演していたサム・シェパードが、以下のようなことを言ったそうです。

 

「この土地の雄大さは凄い。見渡す限り360度の地平線、どこで雷雲が起きても見える ― まるで惑星の中心にいるかのようだ。」

 

確かに、大地、宇宙が身近に感じられます。雲を集め、嵐を呼ぶ地。その夜、宿のテレビで「テルマ&ルイーズ」(1991年)を見ていたのですが、突然の落雷の為、グランドキャニオンの最後のシーンを見そびれてしまいました。かえって、そんなことの方が記憶に残るものですね。おかげで、「テルマ&ルイーズ」は、忘れられないロード・ムービーになりました。

 

開拓史時代には、そのあたりは悪地(バッドランズ)と呼ばれていました。大草原(プレーリー)を経て、旅を続ける移民の幌馬車の車輪が、やわらかい地面にとらわれて立ち往生した難所だったからです。今ではバッドランズ国立公園となり、化石が雨後に露出する虹色の地層が美しい広漠とした地域です。

 

ウォール・ドラッグ・ストアが開店したのは1931年。人里離れたバッドランズ国立公園の入り口付近のウォールという町(開店当時の人口326人)にあります。二年前間薬局に勤めた後、やっと念願の独立を達成した薬剤師が、夫婦で始めたお店です。タイミングが悪く、世界大恐慌やら旱魃で、お客さんが来ない日が続きました。何度も諦めそうになりましたが、とりあえず5年間は続けようと妻に諭されました。

 

そして5年目。事情は変わらず、閑古鳥が鳴いていました。万事休すかという1936年の7月。猛暑の中、暇をもてあまし、子供たちと昼寝に行った妻にアイデアが浮かびました。氷水を無料サービスするといったもの。まさかそんなことでお客さんが集まるものかと半信半疑でしたが、早速看板で宣伝したところ、長旅の疲れを癒す人々が集まり始めました。

 

「車の中で待っているおばあちゃんにも、お水をいただけますか」と、家族連れ。

 

「イエローストーン国立公園まで行くのだけど、水筒にお水をもらえますか」と、海外からの旅行客。

 

「いいアイデアだね。ついでにアイスクリームを注文しよう。」と、旅のセールスマン。

 

今でも何キロも看板が続きます。もちろん「アイス・ウォーターさしあげます」の看板も。夏季旅行シーズンには、一日に2万人のお客さんが訪れる日もあるそうです。何でもやってみるものですね。夏の暑い日には、バイトの地元高校生が給仕してくれるアイスクリームが最高です。

 

さて、ウォール・ドラッグ・ストアのステッカーですが、緑地のシンプルなものを配布しています。いつの間にか世界各地から、ステッカーの写った記念撮影が、お店に届くようになったそうです。その写真が店内に、所狭しと飾られています。

 

映画「アメリ」(2001年)でも、写真が動機付けに重要な役割を果たしていましたね。母親が亡くなり、家にこもりがちな父。定年後は旅でもしようと言っていたのに、どこにも行きません。そこで、娘(アメリ)が一案練ります。国際線スチュワーデスに、父親のお気に入りの庭の置物の人形(小人さん)を託し、世界の名所をバックに人形の写真を送ってもらうというもの。ある日、父親は旅立ちます。

 

本日の講師の方は、ステッカーを持って、富士山(海抜3776m)に登る予定だそうです。頂上で記念撮影した写真を、ウォール・ドラッグ・ストアに送るつもりだと話してくれました。本日のお話しは、キリマンジャロ登山(海抜5895m)を中心に、アフリカ(タンザニア)旅行の体験談でした。そういえば私も、どこか変わった場所から写真を送ろうと、ステッカーを持って帰ったなあと、懐かしく思い出しました。

 

今日の画像は、ウォール・ドラッグ・ストアのステッカーをアップしてみました。今日も誰かが、ステッカーを持って、世界の地の果てまで旅しているのでしょうか。想像するだけで、なんだか楽しくなりますね。

           

気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。

コンペアー&コントラスト28

ロード・ムービー第二十三夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

Ⅱ. イージー・ライダー (c)マルディグラ」

 

ニューオリンズのマルディグラが、映画「イージー・ライダー」(1969年)の旅の目的でした。今夜は、Mardi Gras (マルディグラ) について、お話ししたいと思います。

 

マルディグラは、イースターの47日前にあるお祭りです。カーニバル(謝肉祭)と、深い関わりがあります。カーニバル最後の日は、いつも火曜日で、「肉(脂)の火曜日」(Fat Tuesday) と呼ばれています。その仏語読みが Mardi Gras (マルディグラ)です。

 

ニューオリンズは、フランスの影響を強く受け、フランス語の地名、名前が沢山残っています。ニューオリンズのある地域は、1519年にヨーロッパ人(スペイン人)に発見され、1682年にフランス人ラサールが、ルイ14世に因んでルイジアナ(現在の州より広域)と名付け、仏領となりました。1803年にナポレオンが、軍資金調達の為、アメリカ合衆国大統領ジェファソンに、ルイジアナを売ります。その結果、アメリカは約二倍の大きさになりました。

 

1718年に設立されたフレンチ・クォーター(フランス人居留地区)には、ニューオリンズの古い建物が保存されています。ミシシッピ川の向かいのジャヤクソン・スクエアー(広場)では、大道芸人、音楽家の卵、絵描さんで賑わい、フレンチ・マーケット(市場)では、新鮮な野菜や果物、いろいろな物品が並びます。

 

いつもフレンチ・コーヒーのいい匂いが漂い、ケイジョン料理、クレオール料理、南部料理など、フランス、スペイン、アフリカ、カリブ海と土地料理のフュージョンを味わうことが出来ます。お店から流れる生のジャズをバックに、瓶の王冠を嵌め込んだ自家製の靴を履いて、タップダンスの少年達がストリート・パフォーマンスを競い合います。

 

さてカーニバルですが、本来はカトリックの流れを汲む早春のお祭りで、中世の頃よりヨーロッパでお祝いされるようになりました。40日間荒野を彷徨ったイエスの受難を偲んで斎戒するのを、イースター迄のレント(40日間、日曜日は除く)と呼びます。レントの間は肉を絶つので、その前に肉でも何でも思う存分飽食し、ハメをはずします。そのハメのはずし方が、マルディグラの人気の秘密でもあります。

 

ニューオリンズでは、ごった煮風の文化の生み出した音楽の歴史(ジャズ、R&B、ロックンロール、ソウル、スピリチャル……)が面白く、ジャズ発祥の地プレザベーションホールでは、今でもジャズを聴くことができます。有名なバーボンストリートに近づくと、お酒の匂いが強くなり、成人向けのエンターテイメントも繰り広げられます。マルディグラでは一般の人もハメをはずし、女性の胸のフラッシュ(露出)が続出します。

 

世界三大カーニバルは、ベニス(伊)、リオ(ブラジル)、ニューオリンズ(米)といわれ、パレードや仮面舞踏会があります。ニューオリンズでは、朝から十以上ものパレードがありますが、有名なものは人垣が何重にもなり、ものすごく混雑します。パレードの予定表を調べ、早目に陣地を取っておかないと、山車から投げられるビーズ(ネックレス)や、ダブルーンと呼ばれる記念硬貨を集めるのが、至難の業となります。

 

来年(2006年)のマルディグラ(ニューオリンズ)は2月28日だそうです。ホテルの予約は、最低一年位前からしておくよう勧められます。一生に一度は行ってみたいという人が多く、全米、全世界から人々が集まる為です。マルディグラの色(紫、緑、金)で飾られたニューオリンズは、独特の雰囲気があり、早春の街に活気が漲ります。紫は正義、緑は忠誠、金色は権力を象徴するそうです。

 

「イージー・ライダー」の主人公ビリーとワイアットは、そんなマルディグラに行こうと思い立ったわけです。時期的な設定は、早春ということになります。ロサンゼルスからニューオリンズ迄、最短距離で3000キロほどあります。車で旅行したことが何度かありますが、アリゾナ州からニューメキシコ州に入ってすぐに、大陸分水嶺(北にロッキー山脈)が南北に走ります。(春先でも雪が降ることがあり、幻想的な分水嶺を越えたことがあります。)

 

ニューオリンズのニックネームはいろいろありますが、その一つにビッグ・イージーというのがあります。まったり、ゆったり、のんびりしたといった感じです。旅の途上出会ったジョージ(ジャック・ニコルソン)が、ルイジアナ州知事お墨付きの最高の娼館を知っていると豪語し、三人はマルディグラに向かうのでした。

 

ニューオリンズは、その昔から多くの文士、芸術家に愛された街です。「欲望という名の電車」(1951年、テネシー・ウィリアムズ原作、エリア・カザン監督)の舞台でもあります。テネシー・ウィリアムズの作品は、南部(ルイジアナ)を舞台にした「熱いトタン屋根の猫」(1958年)など、数多く映画化されています。

 

「私の一番の本能は自由になることです。それをニューオリンズで見つけました。」 ― テネシー・ウィリアムズ

 

マルディグラの合言葉は、「景気よくいこう」、"Laissez les bon temps roulez" (Let the Good Times Roll)。ビッグ・イージーに自由と開放を求めて、イージー・ライダーは旅を続けます。

 

今日の画像は、母の日スペシャル。お母さんである皆様、または母親の役割を担う皆様、母の日おめでとうございます!いつもありがとう!!!

           

気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。

コンペアー&コントラスト27

ロード・ムービー第二十二夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

Ⅱ. イージー・ライダー (b)逆流」

 

「イージー・ライダー」(1969年)では、二人の主人公がハーレーに乗り、ニューオリンズを目指して、ロサンゼルスを出ます。西海岸から南部の町へ。西部開拓史時代の流れ(東から西へ)の逆流です。

 

19世紀のアメリカ史は、フロンティア西漸の歴史でもあります。フロンティア・ラインは、1790年にアパラチア山脈を越え、1830年にミシシッピ川あたり (ニューオリンズ) に達しました。人口、産業が西へ西へと移動し、遂に太平洋に到着して、1890年にフロンティアが消滅しました。

 

映画の舞台は西部劇の時代から約100年後。馬ではなく、機械(ハーレー)でアメリカの大地を駈ける二人の主人公ビリー(デニス・ホッパー)と、ワイアット(ピーター・フォンダ)。二人の名前は、西部劇ファンならピンと来たかもしれません。ビリー・ザ・キッドと、ワイアット・アープ。どちらも実在の人物で、腕の立つガンマンです。ビリー・ザ・キッド(1859~1881)は無法者、ワイアット・アープ(1848~1929)は保安官でした。

 

ニューヨーク生まれ、南部育ちのビリー・ザ・キッド。アリゾナ、テキサス、メキシコ国境で、悪事(強盗、殺人、牛泥棒)を重ねました。カンサス州の保安官ワイアット・アープは、力(銃)の行使に疲れ果て、トゥームストーン(アリゾナ)に移り住み、兄弟と牧場生活をしていました。平穏な日々は続かず、無法状態になった町を守るために、兄弟や親友ドック・ホリディと力を合わせて、OK牧場の決闘に挑むのでした。

 

映画「イージー・ライダー」のビリーと、ワイアットは、メキシコ国境での違法行為で一儲けしたアウトローという設定です。景気よくニューオリンズのマルディグラにでも行こうかというのが、このロード・ムービーのキッカケ。開拓史時代のガンマンを彷彿する名前の二人。西部を目指すのではなく、馬の代わりにオートバイに乗って、西海岸を後にします。二人の行く手に、一体何が待ち受けているのでしょうか。

 

次回は、二人の目的であるマルディグラについて、お話しする予定です。

 

今日の写真は、神戸の風景から、私のロード写真、その10。安くて美味しいものが沢山ある元町の中華街の入り口です。人が沢山並んでいるお店をチェックしておいて、空いている時間帯に試してみます。ラーメン、小籠包、大根餅、中華粽、豚マン……。八百屋さんや、食料品店を覗くのも楽しみです。あと必ず行くのは、明石焼きのお店。フワフワのたこ焼きを、アツアツのだし汁と一緒にいただきます。そして、焼きたてのフランスパンやドイツパンが美味しくて涙が出そうに……。また行きたくなりました。

 

気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。

コンペアー&コントラスト26

ロード・ムービー第二十一夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

Ⅱ. イージー・ライダー (a) リアクション」

 

「イージー・ライダー」(1969年)は、デニス・ホッパー(監督、脚本も担当)の演じるビリーと、ピーター・フォンダ(製作、脚本も担当)の演じるワイアットが、ハーレーに乗ってアメリカ南西部(ロス~ニューオリンズ)を、突っ走るといったロード・ムービーです。アメリカン・ニューシネマの代表作としても挙げられています。「本当にイージーなのでしょうか」という疑問点に触れつつお話ししたいと思います。

 

道中二人は、ヒッピー・コミューン(フラワー・パワー、フリー・ラブ、秩序なき自由)、そして牧場主(保守性)やレッドネック(偏見、閉鎖性)と、両極のアメリカを体験します。時代背景は、ベトナム戦争が泥沼化し、価値観の混乱期でもありました。そんな事情を反映してか、この映画の感想も多種多様ですが、主たるものは、

 

感想1.反骨精神とカッコよさ

 

感想2.自由とは?

 

感想3.ワケのわからん映画

 

反骨精神とカッコよさは、大型のハーレーに象徴され、聴けば一発でわかるハーレーのエンジン音に、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう」(Born to Be Wild)や、ジミ・ヘンなどのロック・ミュージックが炸裂。そして、アメリカ国旗(星とストライプ、赤白青)をモチーフにしたデザイン。Tシャツ、バンダナ、ジーンズに、キャプテン・アメリカのジャケット。もともとは、自由気儘なオートバイの旅のはずでした。結果はともあれ、意図的にはイージーですね。

 

現在のアメリカでは、ハーレーダビッドソンは、普通の乗用車よりお高く、所持者の平均的なプロフィールは、40歳以上の高所得者で、堅気な職業に就いているそうです。ウィークデーは、真面目に仕事をこなし、週末や休暇に不良中年(壮年)をやっています。隠れHOG(ハーレー愛好者)は結構いて、週末にクラブ(ロック系)で仲間と集まったりしますが、格好は不良なのに、皆さん礼儀正しくて微笑ましいです。

 

ハーレーのカスタム化を扱う店(チョップ・ショップ)に行くと、うっとりするような美しいマシーンが並んでいます。家が買えるような高価なものもあり、ディスプレイしているバイクの皮算用だけで、目が飛び出します。どっちみち買える様な代物でないので、「これが私のバイク」(This is mine!)と、暫し想像に耽ります。律儀な友が、「いいマシーンだね」と、相槌を打ってくれます。ああ、友情!

 

ハーレーのバイクは、80年代頃に製品の劣悪化で、苦境に陥りましたが、「ハーレー」というブランドへの愛着が強く、ボロでも買い続けてくれたファンのおかげで、再生しました。他社の同等の製品より、2、3割高くても買ってくれる購買層に支えられています。「ハーレー」のロゴのブランド力は伝説的です。

 

毎年8月には、スタージス(サウス・ダコタ州)でハーレーのラリーがあり、全米、全世界から愛好者が集まります。映画「北北西に進路を取れ」の舞台でもあったラシュモア山の近くです。アメリカ先住民スー族が、神聖と仰ぐブラックヒルズのあたりで、景勝の地はツーリングに最適です。ラリーの数日前に行ってみたことがありますが、みやげ物屋や屋台が出て、既にお祭りの雰囲気でした。またもや、無粋にも駐車してあったハーレーの数を数えて、目玉がドル型になりました。(つづく)

 

今日の写真は、ブルー・デージーに訪れた蝶です。昼休みに公園で見つけて、なんだか嬉しかったです。気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。

コンペアー&コントラスト25

ロード・ムービー第二十夜。「オートバイの登場するロード・ムービー:

Ⅰ. イントロ」

 

「オートバイの登場するロード・ムービー」のロード・マップは、

 

Ⅰ. イントロ: ロード・ムービーに登場する交通手段

Ⅱ. 「イージー・ライダー」(1969年)

Ⅲ. 番外編「禅とオートバイ修理技術」

Ⅳ. 「アラビアのロレンス」(1962年)

Ⅴ.  「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)

Ⅵ. まとめ&今後の進路

 

今夜は、イントロです。ロード・ムービーの中で使われている交通手段は、まずは映画の時代設定を反映し、そして場所的な選択、個人的な要因が作用します。アメリカを舞台にしたロード・ムービーでは、車の移動が好んで用いられます。広大な大地を、自分で運転する魅力があります。

 

18世紀の英国で始まった産業革命以前の交通手段は、徒歩、船、籠、馬もしくは準ずる動物や、動物の率いる馬車でした。1769年、ワットの蒸気機関の改良ののち、1814年にスティーブンソンが蒸気機関車を発明。最初は、主に石炭や貨物を運ぶ為に生まれた機関車ですが、次第に旅客列車の需要も伸び、1830年頃には寝台車が登場します。

 

1857年には、プルマンが寝台車を改良し、長距離旅行が快適なものとなりました。1869年にはアメリカ大陸横断鉄道が完成し、汽車による長距離旅行が可能になりました。どちらも、アメリカの高校で歴史の時間に、重要な出来事として勉強しました。

 

1848年にカリフォルニアで金が発見され、南北戦争 (1861~1865年) が終わり、西部が身近なものとなりました。東海岸からはアイルランド系、イタリア系、そして西海岸からは中国系の移民、南部ではアフリカ系アメリカ人が鉄道建設にあたり、ユタ州の最後の区間の完成でもって、鉄道工事が完了。大陸横断の時間が、牛の牽く幌馬車で旅した時代に比べ、月、年単位から日単位に短縮されました。

 

もう10年位前になりますでしょうか。サンセット・リミティッド号という列車で、テキサスからカリフォルニア迄、アメリカ南西部を横断しました。まずはアメリカ大陸の広大さに驚きます。サンセット・リミティッド号は、マイアミ(フロリダ)から、ロサンゼルス(カリフォルニア)迄、全長4500キロの大陸横断鉄道です。その区間のうち、ヒューストン(テキサス)~ロス間の乗車でしたが、車中2泊しました。

 

夜の静まり返った高層ビル群をバックに、ヒューストンのダウンタウンの一角から出発します。車でよく通りかかるリバーオークスあたりの踏み切りも、列車から見ると、いつもとは違った風景です。目覚めると、メキシコとの国境を縫いながら、砂漠と荒野の中をひたすら走っていました。映画「ジャイアンツ」(原題Giant、1956年)のシーンを思い出します。

 

車中、ビッグベンド国立公園へ向かう学生さん達と、情報交換などしました。ビッグベンドを訪れるなら、その頃(春先)か、サンクスギビングの頃がいいと。荒野の温度差は激しく、冷え込みますが、列車での出会いは楽しく、会話が弾みます。それにしても、行けども、行けども、テキサスから出ません。「テキサスに日が昇り、テキサスに日が落ちたが、私はまだテキサスにいる」という言葉を思い出します。

 

エルパソでの休憩は、国境の町の表情を垣間見ることができます。他の駅では見かけないタイプの物売りの人々が行商していました。日中は温度が上がります。アイスクリーム売りのおじさんから買ったアイスが、とっても美味しかったです。

 

食堂車で夕食を済ませた頃より、背の高いサボテン林が茜色に染まり始めます。マジックアワーの砂漠を、余韻を惜しむかのように、夕陽に向かって走る列車。夕焼けが夜の帳に包まれるまで、長く尾を曳きます。この列車に乗ったことのある人は皆、ニューメキシコからアリゾナの夕日の素晴らしさを、興奮気味に話してくれます。なるほど、それでサンセット・リミティッド(夕焼け号)と呼ばれているのですね。

 

終着駅ロサンゼルスに早朝到着しました。ロス発祥(1781年)の地に近いダウンタウンの一角に位置するユニオン・ステーションです。1939年建築の白い建物と、背の高い椰子の木が、南加の青い空に映え、ホテル・カリフォルニアが聞こえてきたような気がしました。暖かくもカラッとした空気に、かすかな花の匂い。ヒューストンで一緒に乗車した親子。息子はサーフィン大会に出場するとのことで、ボードをしっかり握り締め、まだ見ぬ太平洋に胸を躍らせているようです。カリフォルニアにやって来たのだと実感しました。(つづく)

 

産業革命後、鉄道と同じく、車の歴史も試行錯誤を重ね、20世紀に入ると実用化、商業化が始まります。トラック、バス、そしてオートバイも登場します。産業革命後に汽船が開発され、豪華客船が登場し、大西洋の走行時間が短縮され、記録達成の為に、熾烈な競争が繰り広げられました。タイタニック号の悲劇の時代背景でもあります。

 

長距離を短時間でカバーできる飛行機の登場により、さらに旅行時間の短縮が可能になりました。垂直に離着陸できるヘリコプターと共に、戦争 (第一次・二次大戦の飛行機、朝鮮動乱・ベトナム戦争のヘリコプター) 技術の産物でもあります。そして、冷戦のもたらした緊張から生まれた宇宙への技術投資により、大気圏外に出ることに成功しました。もっと早く、もっと高く、もっと遠く……。空からの視点は、他の交通手段にはない未知の可能性を秘めています。

 

アメリカでは、車の登場で、自分のペースで、プライベートな旅行を楽しめることに、人々が注目し始めます。道路の整備、国立公園のキャンペーン等と重なり、アメリカの大自然を楽しもう、どこかに行ってみようと、ドライブすること自体に人気が出てきました。

 

アメリカのロード・ムービーでは、車が重要な役割を果たしますが、ロード・ムービーでは、ありとあらゆる交通手段が登場します。バスや列車は公共の乗り物として見知らぬ人との出会い、車やトラックは、小グループの旅、もしくは一人旅に使われます。オートバイは、個人的な交通手段で、道と一体になるという意味では、馬の伝統に近いものがあります。

 

ホグ(HOG、ハーレーのニックネーム)で、アメリカ南西部を突っ走るイージー・ライダー。本当にイージーなのでしょうか。このことは、次回お話しすることにしましょう。

 

今日の写真は、ハナミズキ。東テキサスの森や林に、春の訪れを告げる花です。今頃、南カリフォルニアでは、ジャカランダの薄紫の花が、むせぶように咲いているのでしょうか。カリフォルニアの内陸部に咲く芥子のオレンジ色の絨毯。そしてアーモンドの花びらが、光に舞う姿を思い浮かべます。

 

気軽にコメントしていって下さいね。それでは、またお会いできるのを楽しみしています。