第18回写真展 桜便り

春の気配

 

皆さんいかがおすごしでしょうか。本日,当地にて桜(標準木)の開花宣言がありました。ほとんどソメイヨシノは蕾の状態ですが,遂に桜の季節の到来です。皆様の地域は,いかがでしょうか。

 

昨日の日暮れに,街路樹や公園に咲く花の写真を撮ってみました。国際ピアノコンクールの演奏が終了した直後,夕暮れの自然光で撮影です。このマジック・アワーと呼ばれる時間帯の撮影を好む映画監督は結構多く,テレンス・マリック監督やヴィム・ヴェンダース監督などの名前が思い浮かびます。

 

私も透明な大気を感じさせてくれる時間帯が好きです。残り日の光の変化を,カメラに収めてみようと街に出ましたが,なかなか思ったように撮れません。シャッター速度を落としているので,三脚なしの撮影の限界というか,手ブレしまくっていますし,全体的に露出がアンダー気味で,どうしても彩度が落ちてしまいます。それでも,明度の高い花(白っぽい花)は意外な表情を見せてくれましたし,デリケートな光が花びらの透明感を引き立ててくれました。

 

肉眼では気付かなかったことが,実際に写真を撮ってみると見えてくることもあります。ほとんどスケッチ感覚のスナップですが,ブログ用に写真を撮り始めて一番面白いのは,試験実験的なところです。デジカメのおかげで気軽に試行錯誤を重ねることができるのは,とってもありがたい。そのうち気に入った写真が撮れるようになったら,まともなカメラやレンズを使って撮影するのが私の夢です。

 

さて,国際コンクールですが,最終審査に残った6名の演奏するラフマニノフ(ピアノ協奏曲第2番,第3番,パガニーニの主題による狂詩曲),リスト(ピアノ協奏曲第2番),チャイコフスキー(ピアノ協奏曲第1番),ショパン(ピアノ協奏曲第2番)の渾身の演奏を聴くことができました。コンクールの記念に,私なりにレンズを通してその日の情景を記録してみることにしました。

 

10日前にコンクールが開始された日は雨模様。そして強風の日もあれば快晴の日もあり,昨日は曇りのち晴れ。お天気も,参加者全員のチャレンジ精神と勇気に共鳴しているかのようでした。優勝者のみならず,皆それぞれの持ち味を生かした素晴らしい演奏を聴かせてくれたと思います。

 

海外在住の友人に身近な日本の四季をお届けしたくて,不定期的に写真展を開催しています。簡単な御挨拶を添えることも,写真だけのこともあります。フォトアルバムの掲載は旬な写真の提供ということで,2週間程度で新しい写真と入れ替えるよう心掛けています。アルバムの機能が変わり,それぞれの写真にコメントが付けられるようになりました。皆さんよりコメントが寄せられた写真に限り,最後部に残していきます。

 

これから,ソメイヨシノやツツジなど季節の写真を,順次追加していく予定にしていますので,また遊びに来てくださいね。

 

それでは,またお会いできるのを楽しみしています。皆様お元気で!

インターミッション4

国際ピアノコンクール4 本選

 

遂に国際ピアノコンクールの本選です。第3次審査を通過した12名のうち,6名が本日の審査に進みました。旧ソビエト(ロシア2人,ウクライナ1人),中国1人,台湾1人,そして,日本人は1人。228名の日本人応募者の中で,予備審査を通過したのは39名,そして,今や1人となりました。狭き門です。

 

審査を通過できなかった失意は大きいことだと思いますが,通過したことでかかるストレスやプレッシャーも半端ではありませんね。第2次,第3次と審査が進むにつれて,自信タップリに見えた人が一転して,張りつめた緊張感がヒシヒシ伝わってきました。見守るだけでも冷や汗が出ます。圧力釜のような状態に身を置いても自分の演奏ができるかどうかですが,言うは易し行うは難し。

 

自滅しないことがまずは大切ですが,失敗を恐れるあまり小さくまとまってしまうのも,このレベルでは危険だと感じます。望むのは1つ,それぞれ自己ベストの演奏です。

 

それでは,最終審査の演奏を聴いてきます!

インターミッション3

国際ピアノコンクール3

 

国際ピアノコンクールの第3次審査の選考が本日実施されます。第2次審査(3/2021)で40分間の持ち時間内に課題や規定に沿った複数の曲の組み合わせを演奏した結果,第1次審査を通過した25名のうち12名が本日の審査に進みました。

 

3次審査からはオーケストラとの共演になります。第2次審査では,かなり惜しい人もいて,このようなコンクールの厳しさを感じます。また,「思うように弾けなかった(自己ベストではない)のでは」と思われるような反応をしていた出場者の中に,無事第2次審査を通過した人もいます。自己評価はともかく,もちろんハイ・レベルな演奏を聴かせてくれたのですが,自分との戦いでもあります。そして,聴く人に対しては,いかにもう一度聴いてみたいと説得するかですね。

 

2次審査のいくつかの演目のうち,1曲は「現代・近代1900年以降に作曲された作品」であるという課題がありましたが,主にプロコフィエフ,ストラヴィンスキー,ラフマニノフ,ラヴェル,メシアンの作品が選ばれていました。ショスターコヴィチ,ベルク,デュティユー,ドビュッシー,武満徹などの作品を採りあげる人もいて,なかなか面白かったです。ここ数日間,水滴の音や,木々のざわめき,風の音などを聞くと,これらの現代・近代作品が聴こえてくるような気がします。

 

それでは,第3次審査の演奏を聴いてきます!

愛のかたち 第4夜

グリーン・デスティニー

 

チャン・イーモウ監督(愛のかたち第2夜),ウォー・カーウァイ監督(愛のかたち第3夜)とくれば,第4夜はアン・リー(李安)監督はいかがでしょうか。

 

中国出身(1951年生まれ)のチャン・イーモウ監督,中国生まれ(1958年)香港育ちのウォー・カーウァイ監督,台湾生まれ(1954年)でアメリカに留学したアン・リー監督。中国,香港,台湾,それぞれの土地柄と気質が映画にも反映されていて,「ローカル/ユニバーサル」のカテゴリで採り上げると面白そうなトピックですが,今回は「愛のかたち」を続けることにしましょう。

 

「グリーン・デスティニー」(2000年)は,日本ではいまひとつだったようですが,アメリカでは外国語映画として興行成績の記録を塗り替えたほど人気がありました。中国でもいまひとつだったそうですが,これは,中国語でも全く違う方言を話す俳優さん達のセリフが聞き取れない,見慣れた武侠もののとは違った作品であること等が指摘されています。

 

子ども時代に観て育った香港ワイヤー・アクション武侠ものの映画へのオマージュと,アン・リー監督は呼んでいますが,武侠ものの映画は約40年の歴史がありますし,伝統的な形や形式と違う作品に違和感が生じても仕方がありません。台湾での反応はOKだったそうです。「キル・ビル」(20032004年)や「SAYURI」(2005年)のようなものなのでしょうか。

 

アメリカで受け入れられたのは,東洋の武道への憧れが根強いことと,「マトリックス」(1999年)のアクション監督ユエン・ウーピンが立ち回りの指導をしていることでエレガントな動きがダンスに近く,映像の美しさも指摘されています。「グリーン・デスティニー」(2000年)のアクション・シーンの演出は,なるほどミュージカルの形に近く,ダンス(動)と同じように見せ場として,ストーリー(静)と交互に登場します。

 

ミュージカルに欠かせない音楽の部分も充実し,タン・ドゥン(譚盾)の音楽とヨーヨー・マのチェロが素晴らしい。国境を越えて活躍する芸術家達が,アジアの魂を表現したと言っても過言ではありません。カンヌ国際映画祭の特別上映では,早朝の上映にもかかわらず拍手喝采を博し,アカデミー賞では台湾映画として,外国語映画賞を受賞のみならず,計10部門のノミネートのうち4部門(撮影・美術・作曲・外国語)で受賞を達成しました。

 

脚本はワン・ドウルーの原作(武侠もの)をもとに,長年アン・リー監督と組んできたジェームズ・シェイマスが,ワン・ホエリンとツァイ・クォジュンと共著し,西洋的な視点が導入され,欧米の観客にわかりやすく東洋を説いている点が,この映画の人気の秘密だと思います。今のところ英語字幕版でしか観たことがないのですが,そのうち日本語の字幕で観て,日本ヴァージョンならココを変えるといったようなことを考察してみると面白いかもしれませんね。

 

ストーリーですが,もう若くない2人(ミシェル・ヨーとチョウ・ユンファ)と若いカップル(チャン・ツィイーとチャン・チェン)が登場します。大人のプラトニックな想いと,勝手気ままな若さゆえの恋。アン・リー監督の作品では,「いつか晴れた日に」(1995年)のジェーン・オースティン(原作)の世界に共通点を見出すことができます。女性の視点から描かれている点でも,ジェーン・オースティンです。

 

原題の「臥虎藏龍」は,英語タイトルでは直訳されていますが,「能ある鷹は爪を隠す」,「ものごとは見た目だけでは判断できない」のような意味があり,若いカップルの名前に虎と龍が入っているそうです。日本語タイトルのグリーン・デスティニーは,いわれのある剣の名前(碧名剣)で,その剣を巡る人々の皮肉な運命といったストーリーです。

 

もう若くない2人のプラトニックな想い。修行僧(チョウ・ユンファ)は,ある日,瞑想中に疑問が生じ,俗世に戻ることを決意します。修行僧に恨みを持つ女性(チェン・ペイペイ)に師と親友を殺された修行僧は,亡くなった親友の婚約者(ミシェル・ヨー)に長年秘かに想いを寄せていましたが,親友への心遣いと修行僧という立場から,気持ちを打ち明けることができませんでした。

 

女性実業家として独立していた親友の元婚約者に碧名剣を託し,北京に届けてもらうよう頼みます。修行僧より武術を学ぶうちに気持ちが傾き始めていましたが,「いつか晴れた日に」の長女(エマ・トンプソン)のように慎み深い彼女は,お互いの社会的な立場を理解し,距離を置いた関係を保っていました。碧名剣のことで相談に訪れた修行僧が,自分の気持ちに素直になれたらと,そっと彼女の手を取るシーンがあります。竹林のジェーン・オースティンです。

 

届けた碧名剣が北京で盗まれてしまうことで,本格的なアクションの始まり始まり。隣家の嫁入り前の娘(チャン・ツィイー)の気まぐれだったのですが,修行僧に恨みを持つばあや(チェン・ペイペイ)に仕込まれ育てられたというイワク付き。表向きは箱入り娘なのに,裏では屈折した不良娘です。

 

父親の転勤で西域の砂漠地帯を通った時に,盗賊(チャン・チェン)に襲われ,盗まれた櫛を取り返すため賊の頭と戦ううちに,お互いにひかれ,反発するものの恋仲になります。自由気ままに生きる盗賊と,そんな生き方に憧れる箱入り娘。「いつか晴れた日に」の次女(ケイト・ウィンスレット)の奔放さと重なります。

 

表面はお嬢様なのに,山賊のように豪快に風のように生きることに憧れる娘の裏と表の人生が「臥虎藏龍」であり,両家に嫁ぐはずなのに山賊と愛し合う秘密が「臥虎藏龍」です。そんな娘(龍)が剣を盗んだと見破った修行僧ですが,武術の素質を認め,心身の指導と引き換えに見逃すと申し出ます。屈折した彼女がそう簡単に折れるはずがありません。

 

姉と慕う修行僧の想い人と死闘を繰り広げ,育ててくれたばあやを傷付けた挙句の果てに,修行僧とばあやの戦いになってしまいます。憎しみとは不毛なものです。自分のやったことに気付いたのは,時既に遅し。修行僧は,「好きな人に好きだとも言えなかった人生が悔やまれる」と言い残して,息を引き取ります。

 

愛する人を失い不良娘に激怒(復讐)しても不思議がないのですが,哀しみをこらえ,大人である彼女は負の連鎖を止めます。悔いのない人生を送るよう,幸せになるよう娘を諭し,かくまっていた盗賊の居場所を教えます。

 

大人のプラトニックな愛の方も,社会的な立場から,秘められた想いを隠していました。これも一種の「臥虎藏龍」です。殺人犯である身を隠していたばあやも,「臥虎藏龍」と解釈できるかもしれません。若いうちはやったこと(愚行)を後悔しますが,年を重ねるとやらなかったことを後悔するものだと感じます。思えばばあやも復讐心にさいなまれて人生を無駄にし,娘の人生まで狂わしてしまうところでした。

 

「グリーン・デスティニー」は,武侠ものと約200年前に書かれた英国の階層社会での恋の意外な共通点を生かした脚本,そして,ミュージカル的な展開とアクション(ダンス)が,東洋と西洋のクロスオーバーを可能にしたのかもしれません。愛のかたちとしては,若い感情のまま突っ走った恋と,結ばれることのない大人のプラトニックな関係が描かれていました。

インターミッション2

国際ピアノコンクール2

 

国際ピアノコンクールが続いています。日曜(3/19)の夜1030頃に第1次審査の演奏が終了し,計62名のうち25名が次の審査に進みました。即,昨日(3/20)より,2日にわたる第2次の選考が行われています。

 

1次審査では20分,第2次審査では40分間の持ち時間内に,個性と感性(「自分らしさ」)を発揮しつつ,芸術性と技術のレベルに基づいた能力と表現力を競います。1次では一定の水準にさえ達していれば,「勢い」とか「閃き」のようなものが大切ですが,2次ともなれば,一貫性や精神力等が試されます。

 

課題や規定に沿った複数の曲の組み合わせを演奏しますが,この段階ではかなり選択の余地があり,才能と独自の持ち味を最大限に発揮することができる曲を選ぶセンスも必要です。最終的には,それぞれの自己ベストの演奏を聴かせることができるかどうかが決め手になります。

 

3次審査からはオーケストラとの共演になりますが,この段階ではピアノだけの勝負。4つのピアノ(スタインウェイ,ベーゼンドルファー,ヤマハ,カワイ)から,それぞれの出場者があらかじめ選んだものが使用されます。各楽器の音を聴き比べ,また,同じ楽器を使っても,全く違った音色を生み出すことができるのには驚かされます。

 

スポーツなどの競技でゾーンに入るのと同じように,とてつもない集中力を発揮して素晴らしい演奏が生まれることがありますが,その瞬間に居合わせることができるのは,このようなコンクールの醍醐味であり至福の時でもあります。

 

それでは,残りの第2次審査の演奏を聴いてきます!

インターミッション1

国際ピアノコンクール1

 

「インターミッション」(幕間)と称して,近況報告等を含めた「その他もろもろ」息抜きコーナーです。今までもブログに時々登場していましたが,独立したカテゴリとして立ち上げることにしました。このコーナーが,いわゆる普通のブログなのかもしれませんね。

 

さて,近況。仕事の方は年度末の調整に追われる中,海外からのお客さんを多数迎え,その対応にも追われているといった感じです。先週は出張し,雪の京都を案内してきました。そんなわけで,ブログの更新やコメント返し,特にブログの訪問が滞っています。本当にすみませんです!!!もう暫くお待ちくださいね。

 

昨日,この10ヶ月ほどかかわってきた国際ピアノコンクールが,遂に開幕しました。25カ国から306名の応募があり,予選を通過した68名(うち数名辞退)の第一次審査が,昨日と本日にかけて行われています。朝の10時から始まり,夜の8時までの予定でしたが,昨夜の最後の演奏が終了した時には11時を廻っていました。

 

そんなわけで,昨日は31名のピアノ演奏を堪能してきました。十人十色のエネルギーが渦巻いています。1日延べ10時間以上の演奏を聴くのは気力と体力と世界でもありますが,思いがけない感動の生まれる場面に遭遇することもあり,目が離せません。ライヴのパワーとダイナミックさに触れ,芸術性と感性の世界に浸ることができるのは,私にとって至福のひとときでもあります。

 

本日は残りの演奏を聴いてきます!

愛のかたち 第3夜

2046

 

アジアの映画を続けましょう。もかさん等からコメントに提案していただいきました「2046」(2004年)です。ブログを始めた頃から幾度となくコメントに浮上するウォー・カーウァイ(王家衛)監督の作品は,要チェックですね。

 

さて,「2046」ですが,滑り込みセーフだったカンヌ(国際映画祭)ヴァージョンの評(未完という噂)や,紛らわしいマーケティング・キャンペーン(SF,アンドロイドとの恋,ミステリー・トレイン,キムタク等)とのギャップや,撮影を担当したクリストファー・ドイルのコメント(「2046」は蛇足的発言)から,ほとんど期待していなかったのですが,無欲の勝利というか,好きなタイプの映画でした。

 

カンヌ・ヴァージョンから補足しているためか,辻褄が合った作品に仕上がっていると思います。5年間の作成中に,「花様年華」(2000年)の方が先に完成し,2作品の関連性が高いため,クリストファー・ドイルのようなコメント(「蛇足」)が出ても不思議がありません。また,「欲望の翼」(1990年)の流れを汲む作品でもあります。

 

2046」の当初の意図は,SF(未来)作品だったようですが,脚本なしでスタートしたそうで,作成中にコンテンツの変容を遂げていったようです。ミステリー・トレインやアンドロイドとの恋は,主人公チャウ(トニー・レオン)の執筆するSFに,かろうじて姿をとどめています。

 

2046が香港にとって象徴的な年である理由は,香港の中国返還(1997年)後,50年間は基本的に従来の体制と変わらないという協定の期限切れの年にあたるということ。そして,チャウの滞在する宿の部屋番号20462047に住む男女の数奇な運命と偶然の一致。クリスマスイブ,愛する人の名スー・リー。

 

映画の舞台は,中国返還まで30年となった1967年の香港。この映画を実質上「1967」と呼んでも差し支えがないのかもしれませんが,不確かな未来が2046であり,チャウの執筆するSFのタイトルが「2047」です。2046の愛のかたちは,基本的に愛の記憶です。未来を描こうとして,結果的に過去を語るというパラドックス。

 

人妻(マギー・チャン)との恋(「花様年華」)から逃れるようにシンガポールに渡った新聞記者のチャウは,そこでも恋に破れ,香港に戻ってきたところから映画がスタートします。昔なじみのルル(カリーナ・ラウ)と再会したチャウですが,彼女はチャウのことを覚えていませんでした。恋人と死別し,記憶を封印したルルに,清算されていなかった哀しみが訪れます。

 

ルルの滞在する香港の宿の部屋番号が2046でした。2046は不毛な男女の関係の象徴であり,過去から逃避してきたチャウの過去が甦ります。チャウの執筆するSF小説に登場するミステリー・トレインの乗客も,過去を探しに2046に向かっています。そして,アンドロイドも乗客も,どこかで出逢ったことのある人。小説の主人公は,他人の姿を借りた筆者自身の分身。

 

未来(希望)のない愛を繰り返すチャウは,愛から最も遠いところで情事を繰り返すようになります。部屋番号2046に引っ越して来た娼婦(チャン・ツィイー)との恋愛ゲーム。結局は誰もが負ける虚しく残酷なゲーム,傷付けあうだけの“惚れたら負け”。高嶺の花であればあるほど熱が入り,本気になればゲーム・オーバーです。

 

「恋のタイミングは早過ぎても遅過ぎてもダメ」というようなチャウのセリフがありました。部屋番号2046に出入りする宿の支配人の娘たち。早熟な妹は簡単過ぎて,若年の娘を利用するような人間ではないチャウにとって何の興味も湧かず,姉(フェイ・ウォン)の方は既に日本人の恋人(木村拓哉)がいました。

 

やがて,チャウは父親に認めてもらえない恋に苦しむ長女の文才を発見し,助手として手伝ってもらうようになりますが,自分の許されない過去の恋が彼女の苦しみと重なり,いつしか情が転移していきます。チャウはSF小説「2047」を,彼女のために書き始めます。

 

SFの登場人物は,日本人の恋人の姿を借りたチャウの分身であり,アンドロイドに恋したのはチャウであり,また,生身の人間ではなくアンドロイドである意味は,女遊びに長けたチャウが,彼女への淡い想いを大切にしたかったからではないのかと思います。

 

不毛な恋(不倫)から逃れてシンガポールに渡ったチャウは,過去の秘密を背負う女性と出会いますが,心を開いてくれず,1967年の香港に戻ってきます。過去を記憶から消し去った昔なじみと再会しますが,哀しい記憶(恋人の死)が甦ります。彼女の住む部屋番号は2046。そこでの新たな関係は全て過去を引きずり,今度は恋愛経験が豊富になったチャウが心を開かない番です。そして,同じような傷みを持つ女性へのプラトニックな想い。

 

2046」に登場する多くの不幸な男女の関係のうち,唯一のハッピーエンド(結ばれる恋)は,娘の本当の幸せに気付いた父親に許された長女と日本人の恋人でした。いろいろな女性がチャウの人生を通り過ぎていく中,2046(未来)に続く一筋の願い。愛の破壊力とかすかな希望。チャウにとっては,手に入れないことで成就する愛のパラドックス(思いやり)だったのかもしれません。

愛のかたち 第2夜

チャン・イーモウ(張藝謀)監督の世界

 

コメントに面白そうなお勧め作品の紹介がありますと,ブログを続けていて良かったなぁと思います。SAQUMIさん等から提案していただいきました「Hero」(2002年,原題「英雄」)と,「Lovers」(2004年,原題「十面埋伏」,英語タイトル「House of Flying Daggers」)を観ました。まずは,チャン・イーモウ監督の作品は要チェックですね。教えていただいて本当に感謝しております。

 

チャン・イーモウ監督の名前は,「紅いコーリャン」(1987年)以来ほとんどアメリカで耳にすることがなかったのですが,またもや注目されているのは嬉しいことです。「Hero」と「Lovers」の共通点は,スタイルと様式の美しさを追求した映画であるということ。中国の雄大な自然をバックに,ワダエミさんの衣装とタン・ドゥンの音楽(「Hero」)が素晴らしい。技術面では非の打ちどころのない作品です。

 

Hero」はオペラ的なスケールで展開する武勇伝であり,「Lovers」の方は舞と立ち回り(アクロバット)の動く絵巻物です。京劇的(唱・念・做・打)な誇張の様式化,そして,静/動,非現実/現実を現代風にチャン・イーモウ監督独特の世界としてアレンジしたと言っても差し支えないかもしれませんね。もちろん,非現実の中に何らかの真実が隠されているのですが,それは観る人それぞれの解釈によって変幻自在な世界でもあります。

 

ストーリーは武侠ものとのことで,何でもアリ。「Hero」は秦の始皇帝によって統一される前の紀元前200年の戦乱の世,「Lovers」は唐の衰退期であった9世紀の混乱の世を舞台にしています。「愛のかたち」的視点からは,欺きと陰謀の渦巻く中,復讐と正義(大義名分)が問われ,アクション仕立てのロマンス(宿敵との恋・三角関係・純愛)が挿入されています。

 

Hero」は,基本的に3通りのヴァージョンの回顧談を横糸に,語り部と聞き手との関係(縦糸)を紡ぎだす錦絵のような形式をとっています。無名(ジェット・リー)のヒーローが,のちに始皇帝となる秦王に,王の命を狙う3人の刺客を,いかに倒したかを語ります。シナリオは3つ,赤・青・白のストーリー。加えて,秦は黒,回顧談の中の回顧が緑で表現されています。

 

赤のストーリー。宿敵の長空(ドニー・イェン)を破った後,恋人である残剣(トニー・レオン)と飛雪(マギー・チャン)の仲を裂くためデマ(飛雪と長空の浮気)を流し,残剣を慕う如月(チャン・ツィイー)を利用して,お互いに傷付け合い自滅に導いたと証言する無名。うまい話ですが,あまりにも簡単過ぎると,2人を知る秦王からクレームが付きます。激しくドロドロした愛のかたち(赤)です。

 

青のストーリー。恋人(残剣)を生かそうとする飛雪がヒーローです。飛雪の愛と自己犠牲が理想化される一方,赤のストーリーから一転して如月のかなわぬ恋が切ないヴァージョンでもあります。湖のシーンと重なる水と静寂。愛するものを喪う悲しみのかたち(青)です。今度は残剣の偉大さを侮っていると,無名から「待った」がかかります。

 

白のストーリーと緑のストーリーが織りなすものは,国の行く末を案じる残剣の希求するもの,そして残剣の書に込められたメッセージを受けとめた秦王と無名の物語です。残剣,そして残剣を愛する2人の女性(飛雪と如月),無名,秦王と,それぞれに秘められたヒーロー性が,波紋が広がるかのように呼び起こされていきます。多少眉唾物ではありますが,英雄伝と化す世界観が,過去(緑)から未来(白)への可能性として描かれています。

 

疑惑の渦巻く混迷する世の中で,それでも愛すること,そして三角関係(かなわぬ恋)。このテーマと,どんでん返しは「Lovers」に受け継がれています。チャン・ツィイーが,今度は2人の男性から慕われる番です。欺きながらも惹かれていく盲目の踊り子(チャン・ツィイー)と,敵である政府の役人(金城武)。そして,スパイとして身を隠す踊り子の恋人(アンディ・ラオ)。

 

人が恋するのに都合の良し悪しは関係ないものだと感じます。恋人のいる小妹(チャン・ツィイー)と,遊び人風の金(金城武)が,お互いの目的を達成するために騙し騙され,誘惑し合ううちに瓢箪から駒。

 

陰謀の渦巻く中,2人が純粋に惹かれていくキッカケはいつだったのか考えてみました。夕暮れに盲目の女性を喜ばせようと,晩秋の野原に残花を探しに行った金の思いやりのようなものだったのかなぁと考えます。少なくともあのシーンには素直な時が流れていました。

 

Lovers」は,ダンサー出身であるチャン・ツィイーの魅力を最大限に生かした作品で,新体操のような身のこなしが,お見事。また,牡丹坊(遊郭)の人工的な絢爛さとコントラストをなす,竹林に潜む飛刀門(反乱グループ)の自然と調和した衣装は芸術的でさえあり,ワダエミさんの衣装の素晴らしさが引き立ちました。

 

そして,季節の移り変わりの美しさ。「Hero」でも黄金のイチョウのシーンが印象的でしたが,晩秋の紅葉のシーンから雪のシーンへの転換は夢のようでした。東洋のエッセンスを体現化したチャン・イーモウ(張藝謀)監督の美意識の中に生まれた愛のかたちは形式化され,非現実/現実,そして静/動の間に息づいているようです。

愛のかたち 第1夜

トゥーランドット

 

数ヶ月前の「映画百選チャレンジ」で,そのうち書いてみたい映画のカテゴリとして「男女の仲」を挙げました。はっきりとした答えがないカテゴリですし,墓穴を掘り地雷を踏むかもしれませんが,とりあえず始めてみることにしましょう。

 

トリノ・オリンピックで印象に残った一曲といえばトゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」。世界の3大テノール(パヴァロッティ,ドミンゴ,カレーラス)の有名なレパートリー(サッカーのワールドカップ等で披露)でしたが,パヴァロッティの十八番としてオリンピックのオープニングに登場し,何と言ってもフィギュアスケートの荒川静香選手を金メダルに導いた曲として記憶されている方が多いことでしょう。

 

さて,このプッチーニの遺稿を完成させたオペラ「トゥーランドット」(初演1926年)ですが,中東の謎かけ姫トゥーランドット物語を起源にした作品で,この物語をヨーロッパに紹介したのはぺティ・ド・ラ・クロワの「千一日物語」(1710年頃)でした。「千一日物語」の「カラフ王子と中国の王女の物語」に登場する中国の王女がトゥーランドット。名前自体の語源はペルシャ語(トゥーランの女王)です。

 

ストーリーですが,舞台は北京の紫禁城,絶世の美女トゥーランドットと結婚するためには,3つの謎を解かなくてはなりません。失敗すると死(斬首刑)が待ちうけています。このいわゆる求婚ものは,日本では「かぐや姫」,シェイクスピアではポーシャ(「ベニスの商人」)の3つの箱選び等があり,どんな困難をも辞せず,果敢な若者がチャレンジしますが,愛は手に入りにくく稀少なものということを象徴しているかのようです。エントリー・レベルでこれですから,先が思いやられます。

 

なお,「トゥーランドット」は,プッチーニ以外(10人以上)もオペラ化を手がけていますが,プッチーニのものが一番有名です。他のヴァージョン(例:「ラ・ボエーム」や「マノン・レスコー」等)が存在していても,プッチーニの創作意欲が失せたわけではないようですね。芸術というものが,クリエイション(創造)のみならずリクリエイション(再生)であることを実感します。

 

西洋人の東洋趣味は,プッチーニの「喋々夫人」にも共通点を見出すことができますが,愛と自己犠牲の象徴であるヒロイン(マダム・バタフライ)に対し,トゥーランドットは氷のような心を持つ女性です。しかしながら,「トゥーランドット」にも献身的な女性リューを登場させ,彼女が亡くなったところでプッチーニも絶筆しています。

 

リューの存在を含めると,三角関係ともとれる作品ですが,ライバルが登場するのは恋の常。この場合,ドロドロしたものはなく,かなわぬ身分違いの恋を貫く女性(奴隷)として,リューは理想的に描かれています。プッチーニ自身の三角関係の投影とも詮索されています。

 

ストーリーを続けましょう。彼女だけは「やめておけ」というアドバイスに耳を貸さず,カラフ王子は,トゥーランドットに一目惚れしてしまいます。恋は盲目,理屈ではありません。また,適度な困難さ(チャレンジ)である方が,かえって恋に落ちるものですね。簡単すぎても難しすぎても,チャレンジする気が起きませんので,その辺のバランスが微妙なところです。難儀な求婚の課題は,一般に財力・名声・体力だけで達成できるものではなく,機知に富んだ者にアドバンテージがあります。

 

ちょっとストーリーから外れますが,獲物をゲットすることがゴールである狩猟型(ハンター・タイプ)の恋愛は,愛のもう一つの課題である維持の段階に到達することなく,また新たな獲物探しに執心するようになるパターンも,よく恋愛ものに登場します。手に入れた途端に興味を失うタイプですが,不可能なものを手に入れたくなるのは最も人間らしい欲望なのかもしれません。「危険な関係」や「春の雪」などを始め,古今東西,沢山の作品の題材になっていますね。

 

実際,「めでたしめでたし」の後日談が気になるところです。ゴールインというコンセプトは一種の幻影に過ぎないかもしれないと感じます。謎かけではありませんが,ここで皆さんに質問。ゴールインするまでの駆け引きと,ゴールイン後の関係の維持・成育とでは,どちらの方が難しいと思いますか。

 

「トゥーランドット」に話しを戻しますと,王子は難なく3つの謎を解きますが,肝心のトゥーランドットに拒絶されます。そして,まだ名乗っていなかった王子の名前を当てることができれば身を引くという条件付きで,今度は王子からの謎解きチャレンジが課されます。その夜,「誰も寝てはならぬ」が歌われ,王子の身の上を知るリューが王子を守るために絶命します。

 

氷のような心を持つトゥーランドット。何故,彼女の心がかたくなになってしまったのでしょうか。かつて,ダッタンに征服された自国の美しきローリン姫が,非業の死を遂げたことに恨みを持ち,男嫌い(人間不信)になったという経緯があります。このようなトラウマをかかえたヒーローやヒロインが,人間らしさ(心の温かさ)を取り戻すという筋立てのおとぎ話や伝説は結構ありますね。(思い付きますか?)

 

トゥーランドットの心を溶かしたのは,愛する人を生かすために身を捨てたリューであり,ダッタンの王子であるカラフは自ら名乗り出て,トゥーランドットに運命を委ねます。憎しみを抱いてきたダッタンに復讐する絶好のチャンスでしたが,トゥーランドットは王子を受け入れ,人々に王子の名は「愛」であると告げるのでした。

 

さて,荒川選手のフリープログラムで使われた「トゥーランドット」ですが,ヴァネッサ=メイ(ヴァイオリン)ヴァージョンだそうです。この機会に「トゥーランドット」が収録されたヴァネッサのCD「チャイナ・ガール」(1998年)を,久しぶりに聴いてみました。収録されている曲(うち1曲は香港返還記念)全て,フィギュア選手に幾度となく使われています。シンガポール生まれのヴァネッサは,4歳で家族と共に英国に移り住み,クラシックのみならず,クロスオーバーした作品でも感性豊かな演奏を披露してくれています。

 

なお,中国では,「トゥーランドット」は中国蔑視とされてきましたが,香港の中国返還を迎えた翌年の1998年に,紫禁城での公演が実現しました。ズービン・メータ指揮,チャン・イーモウ監督の演出で,TV番組やDVDがリリースされています。次回は,チャン・イーモウ監督の世界に触れる予定です。

 

:::::::::「愛のかたち」今後のアイデア・メモ:::::::::

 

1.始まり(きっかけ)

2.恋愛:追うものvs. 追われるもの

3.不可能なものを手に入れたくなる欲望

4.ゴールインは終わり,それとも始まり?

5.コントロール:支配 vs. 依存

6.1人の孤独と2人の孤独

7.愛すること/愛されること

8.トラウマからの帰還(再び愛すること)

9.愛とは?

 

大風呂敷を広げてしまいましたが,それに値するトピックということで進めていきましょう。

映画の情報交換しましょう6

アカデミー賞(結果)

 

78回アカデミー賞最優秀作品が発表(35日米国現地時間)されました。皆さんのお気に入りや注目している作品や人々等が受賞されましたでしょうか。

 

今年のアカデミー賞は,作品賞でサプライズがありましたね。アカデミー賞の審査員の年齢層や保守的傾向から,セクシュアリティーを問う作品「ブロークバック・マウンテン」や,「トランズアメリカ」(原題,主演女優賞ノミネート:フェリシティ・ハフマン)は不利か,という噂が囁かれていました。しかしながら,過去にも「ボーイズ・ドント・クライ」(1999年)等の作品が受賞(主演女優:ヒラリー・スワンク)しているところをみると,まだ作品賞とまではいかなくても,その限りではありませんね。

 

「クラッシュ」の大健闘は快挙であります。前半期に公開され,これぞ口コミで広まっていった映画。長年TV業界で脚本家として活躍してきたポール・ハギス初監督の映画です。ハギス氏は,昨年のアカデミー賞を受賞した「ミリオンダラー・ベイビー」で,初の長編映画の脚本を担当。今回は脚本賞も受賞しました。310日の最高の誕生日(53歳)のプレゼントですね。いくつになっても新しいことに挑戦できるということを証明したハギス氏を見習いたいものです。多分,そんな希望が今回のアカデミー賞で,意味があったのではないのかと思います。

 

「クラッシュ」にせよ「ブロークバック・マウンテン」にせよ,社会と個人の偏見と寛容を問うテーマを扱っているという共通点があります。自分と違った価値観を持つ人々を,いかに受け入れることができるのか。それは,多文化共生社会であるアメリカの課題であり,また,世界共通の課題なのかもしれません。台湾出身のアン・リー監督(「ブロークバック・マウンテン」),そして,カナダ出身のポール・ハギス監督(「クラッシュ」)が,外国出身という壁を越えアメリカで活躍し,また外国出身であるからこそ作ることができた映画なのかもしれません。作品同様,象徴的だと思います。

 

以下に,第78回アカデミー賞最優秀作品の結果をメモしておきます。

 

作品賞:

「クラッシュ」

監督賞:
アン・リー(「ブロークバック・マウンテン」)

主演男優賞:
フィリップ・シーモア・ホフマン(「カポーティ」)

主演女優賞:

リース・ウィザースプーン(「ウォーク・ザ・ライン/君に続く道」)

助演男優賞:
ジョージ・クルーニー(「シリアナ」)

助演女優賞:

レイチェル・ワイズ(「ナイロビの蜂」)

脚本賞:
ポール・ハギス,ボビー・モレスコ(「クラッシュ」)

脚色賞:
ラリー・マクマートリー,ダイアナ・オサナ(「ブロークバック・マウンテン」)

 

撮影賞:

ディオン・ビーブ(「SAYURI」)
 

編集賞:

ヒューズ・ウィンボーン(「クラッシュ」)

 

美術賞:

ジョン・マイヤー(「SAYURI」)

 

衣装デザイン賞:

コリーン・アトウッド(「SAYURI」)

 

メイクアップ賞:

「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」

 

作曲賞:

「ブロークバック・マウンテン」

 

歌曲賞:

“It’s Hard out Here for a Pimp”(「ハッスル&フロー」原題)

 

録音賞:

「キング・コング」

 

音響編集賞:

「キング・コング」

 

視覚効果賞:

「キング・コング」

 

外国映画賞:

「ツォツィ」(原題)南アフリカ作品

 

長篇ドキュメンタリー賞:

「皇帝ペンギン」

 

短篇ドキュメンタリー:

「ア・ノート・オブ・トライアンフ」(原題)

 

長編アニメ賞:

「ウォレスとグルミット/野菜畑で大ピンチ!」

 

短篇アニメ賞:

「ザ・ムーン・アンド・ザ・サン」(原題)

 

短篇実写映画賞:

「シックス・シューター」(原題)