グリーン・デスティニー
チャン・イーモウ監督(愛のかたち第2夜),ウォー・カーウァイ監督(愛のかたち第3夜)とくれば,第4夜はアン・リー(李安)監督はいかがでしょうか。
中国出身(1951年生まれ)のチャン・イーモウ監督,中国生まれ(1958年)香港育ちのウォー・カーウァイ監督,台湾生まれ(1954年)でアメリカに留学したアン・リー監督。中国,香港,台湾,それぞれの土地柄と気質が映画にも反映されていて,「ローカル/ユニバーサル」のカテゴリで採り上げると面白そうなトピックですが,今回は「愛のかたち」を続けることにしましょう。
「グリーン・デスティニー」(2000年)は,日本ではいまひとつだったようですが,アメリカでは外国語映画として興行成績の記録を塗り替えたほど人気がありました。中国でもいまひとつだったそうですが,これは,中国語でも全く違う方言を話す俳優さん達のセリフが聞き取れない,見慣れた武侠もののとは違った作品であること等が指摘されています。
子ども時代に観て育った香港ワイヤー・アクション武侠ものの映画へのオマージュと,アン・リー監督は呼んでいますが,武侠ものの映画は約40年の歴史がありますし,伝統的な形や形式と違う作品に違和感が生じても仕方がありません。台湾での反応はOKだったそうです。「キル・ビル」(2003,2004年)や「SAYURI」(2005年)のようなものなのでしょうか。
アメリカで受け入れられたのは,東洋の武道への憧れが根強いことと,「マトリックス」(1999年)のアクション監督ユエン・ウーピンが立ち回りの指導をしていることでエレガントな動きがダンスに近く,映像の美しさも指摘されています。「グリーン・デスティニー」(2000年)のアクション・シーンの演出は,なるほどミュージカルの形に近く,ダンス(動)と同じように見せ場として,ストーリー(静)と交互に登場します。
ミュージカルに欠かせない音楽の部分も充実し,タン・ドゥン(譚盾)の音楽とヨーヨー・マのチェロが素晴らしい。国境を越えて活躍する芸術家達が,アジアの魂を表現したと言っても過言ではありません。カンヌ国際映画祭の特別上映では,早朝の上映にもかかわらず拍手喝采を博し,アカデミー賞では台湾映画として,外国語映画賞を受賞のみならず,計10部門のノミネートのうち4部門(撮影・美術・作曲・外国語)で受賞を達成しました。
脚本はワン・ドウルーの原作(武侠もの)をもとに,長年アン・リー監督と組んできたジェームズ・シェイマスが,ワン・ホエリンとツァイ・クォジュンと共著し,西洋的な視点が導入され,欧米の観客にわかりやすく東洋を説いている点が,この映画の人気の秘密だと思います。今のところ英語字幕版でしか観たことがないのですが,そのうち日本語の字幕で観て,日本ヴァージョンならココを変えるといったようなことを考察してみると面白いかもしれませんね。
ストーリーですが,もう若くない2人(ミシェル・ヨーとチョウ・ユンファ)と若いカップル(チャン・ツィイーとチャン・チェン)が登場します。大人のプラトニックな想いと,勝手気ままな若さゆえの恋。アン・リー監督の作品では,「いつか晴れた日に」(1995年)のジェーン・オースティン(原作)の世界に共通点を見出すことができます。女性の視点から描かれている点でも,ジェーン・オースティンです。
原題の「臥虎藏龍」は,英語タイトルでは直訳されていますが,「能ある鷹は爪を隠す」,「ものごとは見た目だけでは判断できない」のような意味があり,若いカップルの名前に虎と龍が入っているそうです。日本語タイトルのグリーン・デスティニーは,いわれのある剣の名前(碧名剣)で,その剣を巡る人々の皮肉な運命といったストーリーです。
もう若くない2人のプラトニックな想い。修行僧(チョウ・ユンファ)は,ある日,瞑想中に疑問が生じ,俗世に戻ることを決意します。修行僧に恨みを持つ女性(チェン・ペイペイ)に師と親友を殺された修行僧は,亡くなった親友の婚約者(ミシェル・ヨー)に長年秘かに想いを寄せていましたが,親友への心遣いと修行僧という立場から,気持ちを打ち明けることができませんでした。
女性実業家として独立していた親友の元婚約者に碧名剣を託し,北京に届けてもらうよう頼みます。修行僧より武術を学ぶうちに気持ちが傾き始めていましたが,「いつか晴れた日に」の長女(エマ・トンプソン)のように慎み深い彼女は,お互いの社会的な立場を理解し,距離を置いた関係を保っていました。碧名剣のことで相談に訪れた修行僧が,自分の気持ちに素直になれたらと,そっと彼女の手を取るシーンがあります。竹林のジェーン・オースティンです。
届けた碧名剣が北京で盗まれてしまうことで,本格的なアクションの始まり始まり。隣家の嫁入り前の娘(チャン・ツィイー)の気まぐれだったのですが,修行僧に恨みを持つばあや(チェン・ペイペイ)に仕込まれ育てられたというイワク付き。表向きは箱入り娘なのに,裏では屈折した不良娘です。
父親の転勤で西域の砂漠地帯を通った時に,盗賊(チャン・チェン)に襲われ,盗まれた櫛を取り返すため賊の頭と戦ううちに,お互いにひかれ,反発するものの恋仲になります。自由気ままに生きる盗賊と,そんな生き方に憧れる箱入り娘。「いつか晴れた日に」の次女(ケイト・ウィンスレット)の奔放さと重なります。
表面はお嬢様なのに,山賊のように豪快に風のように生きることに憧れる娘の裏と表の人生が「臥虎藏龍」であり,両家に嫁ぐはずなのに山賊と愛し合う秘密が「臥虎藏龍」です。そんな娘(龍)が剣を盗んだと見破った修行僧ですが,武術の素質を認め,心身の指導と引き換えに見逃すと申し出ます。屈折した彼女がそう簡単に折れるはずがありません。
姉と慕う修行僧の想い人と死闘を繰り広げ,育ててくれたばあやを傷付けた挙句の果てに,修行僧とばあやの戦いになってしまいます。憎しみとは不毛なものです。自分のやったことに気付いたのは,時既に遅し。修行僧は,「好きな人に好きだとも言えなかった人生が悔やまれる」と言い残して,息を引き取ります。
愛する人を失い不良娘に激怒(復讐)しても不思議がないのですが,哀しみをこらえ,大人である彼女は負の連鎖を止めます。悔いのない人生を送るよう,幸せになるよう娘を諭し,かくまっていた盗賊の居場所を教えます。
大人のプラトニックな愛の方も,社会的な立場から,秘められた想いを隠していました。これも一種の「臥虎藏龍」です。殺人犯である身を隠していたばあやも,「臥虎藏龍」と解釈できるかもしれません。若いうちはやったこと(愚行)を後悔しますが,年を重ねるとやらなかったことを後悔するものだと感じます。思えばばあやも復讐心にさいなまれて人生を無駄にし,娘の人生まで狂わしてしまうところでした。
「グリーン・デスティニー」は,武侠ものと約200年前に書かれた英国の階層社会での恋の意外な共通点を生かした脚本,そして,ミュージカル的な展開とアクション(ダンス)が,東洋と西洋のクロスオーバーを可能にしたのかもしれません。愛のかたちとしては,若い感情のまま突っ走った恋と,結ばれることのない大人のプラトニックな関係が描かれていました。