コンペアー&コントラスト11
2005/02/24 3件のコメント
ロード・ムービー第六夜。「1959年: その1 ヌーベルヴァーグ」。ロード・ムービーに、影響をあたえた映画の流れは、
表現主義: 人間の内面的な葛藤や不安感を、外に投影した映画。第一次世界大戦(1914年)前に、ベルリン(ドイツ)で、生まれる。
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フィルム・ノアール: アメリカ(第二次世界大戦~)で作製された、犯罪、探偵もの等、人生の裏面を扱った映画。戦後、フランスで注目され、フランスのフィルム・ノアールが作製された。
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ヌーベルヴァーグ(Nouvelle Vague)。新しい波(ニュー・ウェーブ)の意。フレンチ・ニュー・ウェーブとも呼ばれる。1950年代後半に、フランスで起こり、斬新な映像表現、スタジオ作成からの自由さを提唱した。ジャン=リュック・ゴダール監督、フランソワ・トリュフォー監督など。
ゴダール監督と、トリュフォー監督の共通点は、映画ファンであったことです。戦後のフランスに、波のように押し寄せたアメリカ映画を、浴びるように観たそうです。そして、映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」の主宰者アンドレ・バザンと出会い、そこで、映画評論を書くようになりました。
バザン氏との出会いは、二人の人生に、決定的な意味を与えました。札付きの不良少年だったフランソワと、小悪党に転落しそうな不良青年ジャン=リュック。映画という自己表現の場がなければ、どうなっていたかわかりません。バザン氏は、両監督の父親的存在でした。家族との繋がりが希薄な仲間にとってのファミリー。そして、映画ファン → 映画批評家 → 映画監督の図式が、完成します。
感化院を出入りしていたトリュフォー監督は、孤独な少年時代を過ごしました。学校にも行かず、楽しみは映画だけ。映画館に入り浸っていたそうです。その体験をもとにした「大人は判ってくれない」(1959年、モノクロ)で、カンヌ映画祭の監督賞を受賞しました。その後もパーソナルな作品を、作っていきます。
同じく、1959年。ゴダール監督の「勝手にしやがれ」が、作製されます。自然光を用いたロケ撮影、同時録音、即興性の重視、ストーリー性の無視、断片的で唐突な編集法(ジャヤンプカット)と、ゴダール監督独特のスタイルが確立します。ゴダール監督も、トリュフォー監督も、苦しい資金繰りを、仲間内でまかない、お互いに助け合っています。「勝手にしやがれ」は、フランソワ・トリュフォー原作です。
主人公ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)は、ハンフリー・ボガードもどきの小悪党です。刹那的で、勝手気ままな生き方。アメリカ人留学生とのアヴァンチュールと、法からの逃亡が、テンポ良く交差します。全編87分と短めで、モノクロ。ゴダール監督のセンスの良さが光ります。アメリカン・ポップ・カルチャーが、いたるところに鏤められています。
ゴダール監督が、高く評価したアメリカのB級映画は、低予算で作製され、本来、長さは、50分以上、70分以下と、決められていました。高予算のA級映画と、二本立てにされる為に、短かった訳です。「勝手にしやがれ」も、低予算で作製されました。
1895年の年末に、トーマス・エジソン(アメリカ)の映写機(技術)を使い、リュミェール兄弟(フランス)が、パリで世界初の映画興行をしました。映画における、フランスと、アメリカの駆け引きが、ここでも続いています。
そして、映画の歴史は、サイレントから、トーキー。モノクロから、テクニカラー。表現主義(ドイツ)、フィルム・ノアール(アメリカ/フランス)、ネオ・レアリスモ(イタリア)、ヌーベルヴァーグ(フランス)、アヴァンギャルド(ロシア)、そして日本、アジア、世界各地の土地性(ローカル)を生かした、独特のジャンルが生まれ続けます。そして、普遍性(ユニバーサル)が、同時に存在しています。
映画ファン(観る側)から、映画監督(作る側)にまわったゴダール監督と、トリュフォー監督。近年では、クエンティン・タランティーノ監督(アメリカ)が、思い浮かびます。中学をドロップアウトして、一日中ビデオで、映画三昧の日々を送っていました。仕事でもしなさいと促され、ビデオのレンタル屋の店員をしつつ、友人と映画を作ったそうです。休日だけに作るので、完成に時間がかかり、見せられるような代物ではなかったと照れますが、映画のプロセスを知る上で、大変貴重な経験だったと語っていました。
ビデオ店の店員をしつつ書いた脚本、「トゥルー・ロマンス」と、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」は、それぞれ、1993年、1994年に、映画化されました。どちらも、犯罪カップルのロード・ムービーです。プロダクション・コード(ブログ 2/22参照)の崩壊が、反映されているエンディングです。
タランティーノ監督の作品は、ターゲットが、若い青年層ということもあってか、題材が残忍過ぎるせいか、観ていて辛いのですが、同じく映画ファンとして、一目置いています。監督デビューは、サンダンスで評価された自作の脚本、「レザボア・ドッグス」(1991年)。その後、「パルプ・フィクション」(1994年)、「ジャッキー・ブラウン」(1997年)、「キル・ビル」(2003年)等の脚本を書き、監督します。フィルム・ノアールのリバイバルです。(「パルプ・フィクション」〈低級犯罪小説の意〉には、フランス帰りの殺し屋が出てきます。)
浴びるように観た映画の断片が、監督というフィルターを通して、作品の至る所で、再び息づいています。分解と再構築。破壊と創造。ゴダール監督の手法でもあります。アメリカの映画館で、タランティーノ監督の作品が上映されると、意外なところで、一部の観客にウケているのに気付きます。昔の映画のパロディーだったり、風刺、内輪ウケ的な世界が笑いを誘います。
ゴダール監督の「勝手にしやがれ」の原題は、À bout de souffle、直訳すると、最期の息で(With end of breath)。英語タイトルは、ブレスレス(Breathless)でした。1983年に、同じタイトルで、リメーク(アメリカ版)が作られ、その日本語タイトルは、「ブレスレス」。犯罪逃亡ものという意味で、一種のロード・ムービー的なところもあります。
「ブレスレス」(1983年)は、トリュフォーの原作と、ゴダールの脚本をもとに、ジム・マクブライド監督と、LMキット・カーソン(「パリ、テキサス」、1984年)が脚色。今回の舞台は、アメリカ。ラスベガスから、ロスに向かうジェシー(リチャード・ギア)は、今でいうアダルト・チャイルド。お相手役は、UCLAに留学中のフランス人女学生。エンディングで、ジェリー=リー・ルイスの「ブレスレス」を、口ずさみながら、追っ手の前に躍り出るジェシー。刹那的で、無軌道なところは、変わっていません。
「勝手にしやがれ」(1959年)は、「恐怖のまわり道」(1945年、フィルム・ノアール)から、インスピレーションを得たと、言われています。婚約者を追って、ニューヨークから、ハリウッドに向かう主人公アル。道中(ネバダ州でのヒッチハイク)、運命のいたずらが……。恐怖のロード・ムービーの原点でもあります。
そして、土地性。「勝手にしやがれ」と、「ブレスレス」。夢のカリフォルニアと、憧れのパリ。夢と失望が、潜んでいるという点で、類似しています。
2月2日の朝日新聞に、「パリ症候群」に関する記事が、掲載されていました。(翌日の天声人語でも。)日本人が、海外で、最も適応障害を体験するのが、パリ(フランス)だそうです。自分の思い描いていたパリと、現実(異文化での生活)のギャップに適応できない人が多く、20代、30代の女性に多いとか。「こんなはずじゃなかった」、海外に住んでいると、このギャップに、多かれ少なかれ、誰でも遭遇します。なかなか難しいですね。
さて、ゴダール氏が、まだカイエ・デュ・シネマの映画評論家だった頃、ジョン・フォード監督に、インタビューしたことがあります。
ゴダール氏「どうやって、ハリウッドにいらしたのですか?」
フォード監督「汽車で。」
メイン州出身のフォード監督。文字通りアメリカ大陸を横断して、ハリウッドにやって来たわけです。これぞ、ロード・ムービー!(もちろん、この質問の趣旨は、何がキッカケで、映画に携わるようになったのですか。)150本近く映画を監督した、ジョン・フォード監督のユーモアのセンスですね。
その後、映画を量産していたスタジオ・システムが崩壊、テレビの出現と競争によって、多数の作品を作れる環境が、無くなっていきました。ヌーベルヴァーグは、1968年のカンヌ映画祭粉砕事件で、事実上、分裂、消滅しましたが、ゴダール監督は、今でも現役です。監督89本目の作品を作製中。「映画は、考えるものじゃないよ。感じるものだよ。」その作風は、今でも引き継がれています。
第二次世界大戦中、ジョン・フォード監督は、海軍に志願。野戦撮影班を結成し、前線に赴きました。その時のドキュメンタリー作品が、二年にわたって、アカデミー賞を受賞。監督の才能の深さが、よくわかります。ドキュメンタリーは、パワフルな映像の記録です。カメラの視点、臨場感、即時性、即断を迫られる刹那。「今」を撮り続ける、ドキュメンタリー的な手法が、ヌーベルヴァーグ、そして、ロード・ムービーに、引き継がれていきます。
今日の写真は、ロード・ムービー第四夜(2/21)、第五夜(2/22)に、登場したガーベラです。ロード・ムービー第三夜(2/20)で使ったガーベラ(オレンジ)と、第一夜(2/17)のチューリップと共に、捨てられていました。 なんだか気になったので、写真を撮ることにしました。
今日のテーマは、ヌーベルヴァーグということでしたので、自然光で撮ってみました。ロード・ムービー第四夜、第五夜は、フィルム・ノアールがテーマでしたので、そのようなスタイルを、試してみました。第一夜に登場したチューリップは、曲がって、うなだれていましたので、上から撮影してみました。道の分岐点のような感じが出て、面白いかなと思いました。
以前アメリカで、いわゆる問題児の教育に、携わったことがありますが、今日のトピックは、大変重要なことだと思います。ゴダール監督も、トリュフォー監督も、タランティーノ監督も、学校をドロップアウトして、一つ間違えれば、道を踏み外していたかもしれません。映画という自己表現の場があったのは、幸いなことだと感じます。映画に限らず、好きなものが見つかってくれればいい。子供達を指導しつつ、例え、親や、社会から見捨てられても、負けないでと、応援せずにはいられませんでした。
次回は、来週の夜を予定しています。また来てくださいね。お会いできるのを楽しみしています!