第62回写真展 島の桜を訪ねて

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集)という歌は、桜の咲く頃にソワソワして落ち着かない様子と、それほど桜が日本人にとって大切なものであることを謳ったものだが、ひそかに「その気持ちわかる!」と思ったものだ。
 
今年は、3月下旬に急に暖かくなったせいで、桜の蕾が急速に膨らんだものの、その後、冷え込み、ゆっくりと桜を楽しむことができた。毎日通る公園の桜が一夜にして満開になる様は枯木マジックというか見事だが、下の方から雪が積もるように咲いていく様子を見るのは新鮮だった。
 
昨年撮った桜の写真も沢山あるのだが、なかなか整理できていない。とりあえず、瀬戸内海をバックに女木島と男木島の桜をアップしておこう。鬼が島として知られる女木島の方は、鬼の洞窟まで桜並木が続く。洞窟の上の桃も鮮やかだ。男木島の方は、水仙の写真を撮りに行った時に山の斜面に桜の木を見つけたのだが、ほとんど人の来ない所に咲いている。貸し切り状態で瀬戸内海を眺めながら、桜を楽しめるなんて最高の贅沢だと思った。

3人のロッテ

ドイツ育ちのニックが、コアラのマーチを見つけて、「わ~懐かし~」と、パクリと食べた。子供の頃よく食べたお菓子を見つけて大喜びだ。「ドイツのお菓子だよ」と、ジャマイカ出身の奥さんに説明している。日本風のキャラクターに、奥さんは「日本のお菓子じゃないの?」と、私に助け舟を求める。アメリカでは、韓国マーケットや中華マーケット等、アジア系のお店に必ず置いてあったし、韓国に行けば何でもロッテだ。「韓国のお菓子かな?」と言いつつ自信がない。
 
そこで、ちょっと調べてみた。奥さんが正解だったが、それぞれの国に関連があることがわかった。ロッテは、1948年に東京で創業。創業者は在日韓国人一世で、日韓国交正常化(1965年)後、韓国に進出して韓国ロッテグループ形成した。今では日本より大きな企業に成長しているそうだ。つまり、韓国との縁が深い。そして、会社名は、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』のヒロイン「シャルロッテ」に由来する。ロッテはドイツでよくある名前だから、ニックが勘違いしていたのも無理はない。「じゃあ、世界のお菓子ってわけだ」と、ニックは一人納得。コアラのマーチは、オーストラリアからコアラが贈られた1984年(ニックが生まれる前)に日本で発売され、その後、他国でも販売されている。
 
その後、ニックと彼の奥さんと一緒に、ベルギー料理とジャマイカ料理を食べに行った。One Love!

カウリスマキの世界

約1か月位前のことだ。直ちゃんと一緒に美術館に行った。その帰りに、大学の前の北欧a laフランス風のお店でランチした。桜の咲く前だったが、もうじきバラや春の花で、お店の庭がキレイになると話してくれた。春を待つ北欧といった感じも悪くない。
 
春の予感がする暖かい午後の日差しの中、手作りパンのサンドイッチと美味しいコーヒーで、会話が弾む。その時、映画の話になって、「『かもめ食堂』も北欧(フィンランド)が舞台だったね」と話した。そして、『かもめ食堂』が、カウリスマキ、特に『浮き雲』の流れを汲む映画なのではないか等と話す。ドツボな人生の中の人情というか、ほとんど寅さん的な温かさを感じた。
 
アキ・カウリスマキの作品によく主演女優として登場するカティ・オウティネンは、決して寅さんのマドンナになれるタイプじゃないけど、妹さくらのような心を持つ人。彼女の『マッチ工場の少女』には、ぶっ飛びました。グリム童話的な残酷さとブラックユーモアで、人物描写はスティーブン・キング顔負け。
 
『浮き雲』に話を戻すと、夜遅くレストランで仕事を終えた妻(カティ)を、路面電車の運転手をしていた夫が迎えに行くシーンが印象的だった。二人だけ乗せた路面電車が夜の街を突っ走る。最高に贅沢な時間だと思ったのは私だけだろうか。

オスカー効果 その2

アカデミー賞に『おくりびと』がノミネート(1/23)されて、映画館でリバイバル上映されていたので、このチャンスに観にいこうと決めた。しかしながら、結局、時間がなくて、受賞直後になってしまった。滑り込みセーフで観ようと劇場に駆けつけたが、何とチケットがソールドアウト。仕方なく、『チェンジリング』を観た。チェンジリングは、大変よい映画だったので大満足だったが、やっぱり『おくりびと』も観たい。後日、連日オスカー効果で満席の映画館で観た。
 
こんな満席の映画館って久しぶり。というか、私が普段選ぶ映画がマイナーなのか、恐るべきオスカー効果。データを見てみると、昨年9/13封切りからノミネート直前まで動員数が徐々に減少していたそうだが、ノミネートと同時に上昇気流に乗り、今では上映30週間を越えるロングラン、興行収入は60億円を超え、DVDがリリースになった今でも各地で上映されているとのこと。これってどう考えても凄いよ。どのようなキッカケにせよ、いい映画を多くの人が観ることが出来たわけだ。
 
また、『おくりびと』が、西洋(アメリカ)で受け入れられたというのは大いに納得できる。適度にローカル(美しい日本の自然と文化)であり、ユニバーサル(主人公の挫折や痛みを、ユーモアと人の温かさを織り交ぜながら描いている作品)だから。つまり共感できる部分をあわせ持ちながら、同時に知らない世界を見せてくれる映画だ。
 
そして、飾り気のない誠実さや真摯さで、主人公は職業への偏見(先入観)を覆していくところも。以前、ブログに書いて気付いたのだが、思うに、偏見(先入観)を覆すというテーマは、アメリカの映画にとって大変重要なエレメントだ。また、尊厳をもって行う別れの儀式は、closureとして心理的に大切な意味を持つ。生きるということを知るためには、決して「死」を避けて通ることができない。どう死ぬかということは、どう生きるかということでもある。それは、きっと、どの国、どの文化にも共通するものだと思う。

オスカー効果 その1

最近では、もっぱら気楽なレンタルDVDで映画を楽しんでいるが、時々は大きなスクリーンで観たい。せっかく観るのなら、いい映画を観たい。そこで、大いに口コミを参考にしているが、オスカー等いくつかの賞は、とりあえずチェックしている。ノミネートされなければ見落としていたに違いない映画の中に、とても面白い作品があるからだ。
 
例えば、『ラースと、その彼女』。シノプシスを読んで、幾つもの「?」が頭の中に浮かんだ。これは、「パスだな」と思ったが、「そう言えば、2008年のアカデミー賞脚本賞にノミネートされていたっけ」と、思い直した。一体全体、どうやってこんな救いようのない前提(失礼!)の映画が、ヘッドターナーなわけ?そう考え始めると、もう自分で確かめるしかない。映画館に出向いて、約100分後、100%納得していた。優しさと希望と勇気に満ちた脚本だ。あるがままにラースを受け入れ、彼の成長を見守る周りの人々の温かさが素晴らしい。一歩間違えればグロテスクな作品になっていたことだろう。
 
『ラース…』と比較対照できそうな映画として『ポビーとディンガン』を思い出したが、『ポビー…』のケリーアンを病気にしたのは、彼女の気持ちを理解できなかった周りの人々だった。まちの人々がラースを追い詰めていたら、悲劇かホラーになっていただろう。ラースの奇行を見守り、自分から卒業していく姿を見届けたのも周りの人々だった。そこにないもの(目に見えないもの)を信じるこという点で、少女の空想と、夢(オパールの発掘)を追う大人は、それほど違わない。しかしながら、少女や少年の空想はまだしも大人(ラース)がやると……。そう、本来なら問題であったはずだ。
 
『すべての些細な事柄』(1996、仏)というドキュメンタリーの中に、社会に追い詰められた人間が、また、社会によって癒されるという印象深い患者の言葉があったが、『ポビー…』が前者の例だとすると、『ラース…』は紛れもなく後者の例だと言える。
 
『ラース…』と『ポビー…』にclosure(精神的な区切りの儀式)として登場した「お葬式」だが、次は『おくりびと』について書いてみようと思う。(続く)