高度1万メートルのミニミニシアター

リクエストがあったので、今回は映画のトピックです。実は、映画を観る時間がない。かろうじて出張の際に、国際線で映画をサンプルできるので助かる。アカデミー賞受賞・ノミネート作品が充実しているので、映画ファンとして大いに満足だ。それでは、機中、映画のキャッチアップからスタート。

まずは、味わい深い秀作2本。スティーヴン・ダルドリー監督の第三作(「リトルダンサー」、「めぐりあう時間たち」に次ぐ)「愛を読むひと」の公開を、密かに楽しみにしていたが、本当に素晴らしい作品だった。それにしても、前作(二コール・キッドマン)に次ぎ、この映画でもアカデミー主演女優賞(ケイト・ウィンスレット)受賞と快挙だ。同じく演技の素晴らしさという点では、メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンのバトル「ダウト あるカトリック学校で」。ブランド物に身を固めたメリル様の(「プラダを着た悪魔」)であれ修道衣であれイジメが怖い。くわばら、くわばら。彼女は歌って踊ってハジケて「マンマ・ミーア!」と、改めて芸の幅に感服する。

もちろん「スラムドッグ$ミリオネア」もよかった。ダニー・ボイル監督ということで、どことなく「ミリオンズ」や「トレインスポッティング」的な不思議な世界観が展開する。みずみずしい感性と輝きのある作品だ。主人公の一途さに、思わず身を乗り出して応援していた。そして、日本到着までもう一本、「レスラー」も観ることにした。ダーレン・アロノフスキー監督の新作となれば見逃せない。機内アナウンスとともに高度が下がり始め、雲の下に日常が戻ってくるまで、手に汗を握り、ハラハラドキドキ、涙を流し、しんみりと感動しつつ、高度1万メートルのミニミニシアターを堪能した。

それでは、この1年位の間に観た映画の中で、特に印象に残ったものを振り返っておこう。個人的に、インパクトのあった作品2本。「アイム・ノット・ゼア」は、1人(ボブ・ディラン)の人生を6つの視点(全くタイプの違う6人の俳優が演じている)から描いており、コンセプトが非常に面白かった。そして、「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」。ベン・スティラーのバカバカしいジョークやゾッとするユーモアのセンスに、見る気が大いに失せるのだが、好みの問題は別として、こんな映画を作っちゃうスティラーって天才だと思った。噂どおりロバート・ダウニーJrの演技は天才的です。

今一番期待している映画は、コーマック・マッカーシー原作2本。まずは、「ザ・ロード」(原題 The Road)。トロント国際映画祭でどう評価されるか。そして、「ブラッド・メリディアン」(原題 Blood Meridian、2011年公開予定)。トッド・フィールドが監督とのことで、どのような映画になるのか楽しみだ。もちろん、見事に映画化されたコーエン兄弟の「ノーカントリー」が記憶に新しいが、どうやら、トミー・リー・ジョーンズで、「サンセット・リミテッド」(原題 The Sunset Limited)も製作が進んでいるようだ。I can’t wait!

友人から「お勧めは?」と聞かれると、これも最大公約数(万人向け)というわけではないが、ミュージカル2本をおススメしている。まずは、ビートルズをちりばめた、ジュリー・テイモア監督独自の世界が広がる「アクロス・ザ・ユニバース」。ファンタスティック!!!そして、ジョナサン・ラーソンのロック・オペラ「レント ライヴ・オン・ブロードウェイ」(2008年)。先に公開された映画「RENT/レント」(2005年)は、ほぼオリジナルキャストがウリだったが、ライヴの方は「あの感動をもう一度」とばかりの臨場感が素晴らしい。DVDに収録されたメイキングとかボーナス映像もマジ感動したよ。1年、525,600分、レントヘッド万歳!

それから、「幸せになるための27のドレス」。実は、公開当時、口コミもイマイチだったし、『「プラダを着た悪魔」のスタッフが贈る』というキャッチ(二番せ~~~んじ)に、大いに観る気が失せた。しかしながら、映画の中、主人公(キャサリン・ハイグル)と、ジェームズ・マーズデンのデュエット『ベニーとジェッツ やつらの演奏は最高』(邦題)は必見。大いに盛り上がった。

オリジナルは1974年にリリースされたエルトン・ジョンのBennie and the Jetsだが、「あれっ、こんなリリックだったっけ?」と首を傾げつつ、もともと訳のわからないブッ飛んだ歌詞だから、「自己流でも何でもアリよ」と、深く追求しない。心を開くことができない主人公(ハイグル)が、電気のオッパイ(electric boobs、実はelectric boots)とかモヘアの靴(mohair shoes、本当は靴じゃなくてスーツ)とかセイウチ(walrus sounds、本当はwalls of sound)だとか、思いっきり勘違いしていて笑える。マーズデンの方は、ナンセンスな歌詞なんてことを忘れるほど熱唱。それぞれ自分が正しいと主張しながら、出まかせの詞で大いに盛り上がって、見ているだけでも楽しく、一緒に踊りたくなった。文字どおり、「やつらの演奏は最高!」

オスカー前夜

最近はもっぱら手軽なDVDレンタルで映画鑑賞しているが、アカデミー賞の頃になると、映画ファンとしては映画館で何本か観たくなってくる。そこで、今回は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」と「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」の感想をメモしておこう。
 
(1)「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
老人として生まれて赤ん坊として死んだ男の物語。人とは違った人生を、どう生きるのだ。タイムトラベルではなく、他の人と同じように時間が流れるのだが、歳を重ねるごとに若返っていく。例え人と違っていても自分の運命を受け入れ、人との関わりを通して意味のある人生を選ぶことができる。大変ポジティブな映画だ。
 
F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説を下敷きにしていると聞いていたが、どちらかと言うと「フォレスト・ガンプ 一期一会」(1994)のイメージが重なった。普通に考えれば困難だらけでハンデのある特異な人物が主人公だ。そして、あるがままに自分を受け入れてくれた人々との出会い。…自分の可能性を信じてくれた母(ベンジャミンの場合は育ての母)の無償の愛。人生を通してかかわりを持つ幼なじみ(女性)。海と友(仕事仲間・戦友)。歴史的な出来事。アメリカ南部…。
 
フィッツジェラルドの短編を読むと、皮肉なジョークのようで、現代では不適切な印象を受けたが、映画の方はフィッツジェラルドの斬新なコンセプトを生かしつつ、新たな息吹を吹き込み現代にマッチした作品に仕上がっていると思う。ボルティモアはニューオリンズに、金物屋はボタン工場(Button)に、父ロジャーはトーマスに、ヒルデガードはデイジー(「グレート・ギャツビー」!)に…。そして、フィッツジェラルドの時を超えて現代へと繋がる。…太平洋戦争(第二次世界大戦)、60年代、ビートルズ、ニューオリンズを襲ったハリケーン…。何といっても人々の優しさと思いやり。視覚的な象徴性も顕在だ。…ガンプの羽はバトンのハミングバード。
 
ベンジャミン・バトンもフォレスト・ガンプも脚本はエリック・ロス。なるほど!フィッツジェラルドのバトンを受け継いで、時代と視覚効果はガンプのごとく現代へと流れる。映画の技術を駆使した視覚的に素晴らしい作品だ。
 
(2)「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」
演劇的要素が強く、感情の起伏の素晴らしい表現力・演技力に注目。サム・メンデスということで、「アメリカン・ビューティー」(1999)が重なる。一見幸せそうな家庭の機能障害(dysfunction)、芝居がかった妻はデスパレート、絶望、狂気、無関心、悲劇…。これも、一見ビューティフルな表面の皮下に潜むアメリカの悲劇だ。しかしながら、これはアメリカに限った問題ではない。どこでも起こりうる悲劇だと感じる。

第65回ゴールデン・グローブ賞

1月13日(現地時間)に、今年のゴールデン・グローブ賞が発表されました。脚本家組合のストの影響で授賞式は中止、TV部門の発表も含めて、史上最短32分の発表とスピーディ!既に日本で公開された作品もありますが、全体的に今後の映画観賞の参考になるので、結果を少しアナライズしてみましょう。

今回の受賞は一つの作品に集中することなく、複数の受賞は、2部門の「つぐない」、「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」、「潜水服は蝶の夢を見る」、「ノーカントリー」と、分散しています。

その後発表された英国アカデミー賞では、「つぐない」、そして、「ノーカントリー」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」が有力候補。その他の賞のノミネートや発表も含めて、本家アカデミー賞(米国)の予測も出ていますが、個人的なコメントをいくつか書きとめておくことにしましょう。

まずは、「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」。ドラマ部門で、ジュリー・クリスティが主演女優賞を受賞していますが、サラ・ポーリー(カナダ)の長編監督デビュー作品で、しかも、カナダのチェーホフと絶賛されている女流作家アリス・マンローの短編(The Bear Came Over the Mountain)が原作。かなり注目です。

サラ・ポーリーは女優として、ジュリー・クリスティと何作か共演していますが、あまり目立たないけれど良質な作品を選択しているところに好感が持てます。ジュリー様は相変わらず気品あふれ、美しく年を重ねていますね。「ドクトル・ジバゴ」(1965)のラーラ、「華やかな情事」(1968)のペチュリア、「天国から来たチャンピオン」(1978)等々、忘れられません。女性として憧れます。なお、マンローの原作は、カナダ人の親友がプレゼントしてくれましたが、日本でも広く紹介されるといいなぁと思います。じわじわっと波及効果あれ!

それから、文芸作品では、もちろん「つぐない」に注目です。ジョー・ライト監督の前作「プライドと偏見」(2005年)では、みずみずしい感性を発揮し、長年愛され続けているジェーン・オースティンの原作を映画として、美しい作品に仕上げていましたので、楽しみにしています。

もちろん、コーエン兄弟監督の「ノーカントリー」、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」も楽しみです。再びデヴィッド・クローネンバーグ監督とヴィゴ・モーテンセンが組んだ「イースタン・プロミシズ」(原題)(Eastern Promises)も。(多分これらの作品は、万人向けというわけじゃないでしょうか。)

それでは、以下、結果をメモしておきますね。

作品賞:ドラマ部門
受賞;「つぐない」(Atonement)
ノミネート;
「アメリカン・ギャングスター」(American Gangster)
「イースタン・プロミシズ」(原題)(Eastern Promises)
「グレート・ディベーターズ」(原題)(The Great Debaters)
「フィクサー」(Michael Clayton)
「ノーカントリー」(No Country for Old Men)
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(There Will Be Blood)

作品賞:ミュージカル・コメディ部門
受賞;「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」
ノミネート;
「アクロス・ザ・ユニバース」(原題)(Across the Universe)
「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(Charlie Wilson’s War)
「ヘアスプレー」
「ジュノ」(Juno)

主演男優賞:ドラマ部門
受賞;ダニエル・デイ=ルイス(「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」)
ノミネート;
ジョージ・クルーニー(「フィクサー」)
ジェームズ・マカヴォイ(「つぐない」)
ヴィゴ・モーテンセン(原題「イースタン・プロミシズ」)
デンゼル・ワシントン(「アメリカン・ギャングスター」)

主演女優賞:ドラマ部門
受賞;ジュリー・クリスティ(「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」)
ノミネート;
ケイト・ブランシェット(「エリザベス:ゴールデン・エイジ」)
ジョディ・フォスター(「ブレイブ ワン」)
アンジェリーナ・ジョリー(「マイティ・ハート/愛と絆」)
キーラ・ナイトレイ(「つぐない」)

主演男優賞:ミュージカル・コメディ部門
受賞;ジョニー・デップ(「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」)
ノミネート;
ライアン・ゴズリング(「ラース・アンド・ザ・リアル・ガール」(原題 Lars and the Real Girl)
トム・ハンクス「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」
フィリップ・シーモア・ホフマ(原題 The Savages)
ジョン・C・ライリー(原題 Walk Hard: The Dewey Cox Story)

主演女優賞:ミュージカル・コメディ部門
受賞;マリオン・コティヤール(「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」)
ノミネート;
エイミー・アダムス(「魔法にかけられて」)
ニッキー・ブロンスキー(「ヘアスプレー」)
ヘレナ・ボナム=カーター(「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」)
エレン・ペイジ(「ジュノ」)

助演男優賞
受賞;ハビエル・バルデム(「ノーカントリー」)
ノミネート;
ケイシー・アフレック(「ジェシー・ジェームズの暗殺」)
フィリップ・シーモア・ホフマン(「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」)
ジョン・トラヴォルタ(「ヘアスプレー」)
トム・ウィルキンソン(「フィクサー」)

助演女優賞
受賞;ケイト・ブランシェット(「アイム・ノット・ゼア」)
ジュリア・ロバーツ(「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」)
シーアシャ・ローナン(「つぐない」)
エイミー・ライアン(原題 Gone Baby Gone)
ティルダ・スウィントン(「フィクサー」)

監督賞
受賞;ジュリアン・シュナーベル(「潜水服は蝶の夢を見る」)
ノミネート 
ティム・バートン(「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」)
コーエン兄弟(ジョエル&イーサン)(「ノーカントリー」)
リドリー・スコット(「アメリカン・ギャングスター」)
ジョー・ライト(「つぐない」)

脚本賞
受賞;「ノーカントリー」 コーエン兄弟(ジョエル&イーサン)
ノミネート
「つぐない」 クリストファー・ハンプトン
「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」 アーロン・ソーキン
「潜水服は蝶の夢を見る」 ロナルド・ハーウッド
「ジュノ」 ディアブロ・コーディ

歌曲賞
受賞;「イントゥ・ザ・ワイルド」(原題)Into the Wild
ノミネート
「魔法にかけられて」
「グレース・イズ・ゴーン」(原題)Grace Is Gone
「ラブ・イン・ザ・タイム・オブ・コレラ」(原題)Love in the Time of Cholera
「ウォークハード」(原題)Walk Hard: The Dewey Cox Story

音楽賞
受賞;「つぐない」
ノミネート
「イースタン・プロミセズ」(原題)
「グレース・イズ・ゴーン」(原題)
「イントゥ・ザ・ワイルド」(原題)Into the Wild
「君のためなら千回でも」

長編アニメ賞
受賞;「レミーのおいしいレストラン」
ノミネート
「ビー・ムービー」
「ザ・シンプソンズ MOVIE」

外国語映画賞
受賞;「潜水服は蝶の夢を見る」
ノミネート
「4ヶ月、3週と2日」
「君のためなら千回でも」
「ラスト、コーション」
「ペルセポリス」

あなたになら言える秘密のこと

この映画,口コミの評判がよかったことと,「死ぬまでにしたい10のこと」(2003年)のイザベル・コイシェ監督とサラ・ポーリー主演と聞いて興味を持ちました。今回も,生きる・愛するというテーマを,女性の監督らしい心配りと真摯な姿勢で描き,好感を持ちました。できれば,先入観抜きで観て欲しい映画です。(私もそうしました。)

この映画が始まった時点では,わからないことが多くて,まるで異国の空間に足を踏み入れたような感覚を味わいました。どうやら,主人公ハンナ(サラ・ポーリー)は聴覚障害があり,仕事は工場で単純作業をしているのですが,他の誰とも交流せず,まるで外界から遮断されているかのようです。

同じく聴覚障害を持つ映画「バベル」のチエコ(菊地凛子)とは,全く違った孤独との付き合い方をしています。チエコは自暴自棄かつデスパレートでしたが,ハンナは静かに自分の運命を受け入れているようです。無味乾燥な生活の中で,誰ともかかわらず,誰にも迷惑をかけず,ひっそり生きているハンナ。

そして,ある日,あまりにも真面目過ぎて,職場の同僚から付き合いが悪いと苦情が出たことが原因で,半ば強制的に休暇を取ることになったという設定です。旅先で,海上油田基地(offshore rig)で事故があったことを聞き,ケガ人を介抱することになります。映画が進行するにつれて,登場人物と共に,観客も彼女のことを少しずつ知っていくわけです。

海底からの石油採掘のために作られた大海原に浮かぶ基地。沖合にあるため,日常の生活から完全に隔離された空間。孤島のような基地で仕事をする人々は,一匹狼タイプであったり,人付き合いが苦手だったり,何かから逃れようとしていたり。一人でいることが平気か,慣れていなければ務まらない仕事です。

そこの陽気な料理人,使命を持つ無口な科学者,よく話すケガ人(ティム・ロビンス)と,3者3様,彼女に心寄せ始めますが,自分のことは話さないハンナ。いつも機械的に同じものしか食べなかったハンナですが,口にした料理の美味しさ,ユーモア,理想,心を開いてくれた人に,素直に反応し始めます。また,好奇心だけでなく,本当に彼女を受け入れることができるのでしょうか。

サラ・ポーリーは,ウマ・サーマンに似た知的で美しいカナダの女優さんですが,「死ぬまでにしたい10のこと」で見せてくれた,飾らない芯の強さを,今回も見せてくれました。平凡さの中の勇気,押しつけがましくない健気さを演じると最高だと思います。そんな彼女を温かく受け入れるティム・ロビンスの演技も,自然かつ真摯で説得力がありました。2人の演技を見るだけでも価値のある映画ですが,大切なメッセージが込められた作品でもあります。

(H19年度上半期映画レビュー02 よかった映画)
あなたになら言える秘密のこと ★★★★☆

バベル

久しぶりに新しめの映画のレビューを。この半年位に公開されたかDVDリリースしたものです。まずは,大変よかった映画から。

「バベル」
この監督(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ氏)と脚本(ギジェルモ・アリアガ氏)の組み合わせは以前から注目していますが,複数の一見関わりのない人々の運命が,一つの事故を通して結集するというストーリーラインは,「アモーレス・ペロス」(1999年),「21グラム」(2003年),「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(2005年)からの流れを組み,アモーレスのメキシコ,21のアメリカ,メルキアデスの米墨国境から,今回の世界的スケールへと発展していきます。同時に,自分とは違った立場の人々を,どこまで理解し,それぞれが抱える問題に,思いやりを感じることができるかというテーマは変わっていません。

冷めた関係,疎外感,孤独,愚かな行為。例えば,聴覚障害を持つ自暴自棄な女子高生(菊地凛子)。クラブに足を踏み入れた途端,大音量の音楽(「セプテンバー」,アース・ウィンド&ファイアー)が流れ,リズムに乗った群衆の中に,表情のない彼女の顔(聴こえない)をアップにして音が止まります。映画の観客は,一瞬にして水底に沈んだように,音の無い彼女の世界に足を踏み入れるわけです。シンプルですが,これほどパワフルでわかりやすい表現はありません。彼女の困惑と孤独が凝縮されたシーンです。

一方的に迫ってきたり,挑発したり,彼女はかなり危ない存在ですが,事件を捜査する刑事は尊厳を持って接します。本当に必要だったのは,ちょっとした優しさだったのかもしれません。居酒屋で彼女からの手紙を読むシーンは,痛みと憐憫の連鎖反応が伝わってきた静かなるクライマックスだったと思います。

そして,アメリカで,乳母兼お手伝いであるメキシコ人女性。経済格差から越境する人が後を絶たず,彼女のような人々がアメリカ経済の底辺を支えていると言っても過言ではありませんが,発言権はなく,息子の結婚式にも帰国できないような状況です。彼女のとった愚かな行為。いや,本当に彼女を責めることができるのでしょうか。

彼女の雇用主である夫婦の冷めた関係。この夫婦に旅先で起こった事故を発端に,被害者・加害者・事故に巻き込まれた人々を呑み込んで,モロッコ,アメリカ,メキシコ,そして日本でストーリーが展開します。逃げる人,手を差し伸べる人,ののしる人,いたわる人。人々の間で,日常とは違った化学反応を起こしながら,新たなる人間関係が生まれていく……。人間の愚かさを発端に,人間らしさへの一歩を踏み出す……。大変よい映画だったと思います。

(H19年度上半期映画レビュー01 大変よかった映画)
バベル ★★★★★

2月の映画から

この1か月位の間に,日本で公開中もしくはDVDがリリースされた映画のメモです。

1 「リトル・ミス・サンシャイン」
  「ドリームガールズ」
まずは,今年のアカデミー賞を含めた賞レースで話題になった映画2本。ハチャメチャかつダーク・ユーモアに満ちているものの,悪意のないロード・コメディー「リトル・ミス・サンシャイン」と,ショービジネスの光と影を描いた感動のミュージカルの映画化「ドリームガールズ」です。

どちらの映画にも共通するのは,アンダードッグ(負け犬)賛歌。成功する人にだけ焦点を当てるのではなく,人生思ったとおりにいかなくても,夢の実現に向けて健闘する人々への温かい視線と優しさが感じられます。どちらも脚本がよいと聞いていましたが,ミス・サンシャインの方は,アカデミー賞でマイケル・アーントが脚本賞を射止め,ドリームガールズの方は,「シカゴ」(2002年)の脚本家ビル・コンドンが,脚本と監督を担当したとのことで楽しみにしていました。

日本で,外国の映画を観ることの意義は,字幕付ということなのですが,この2本の映画を観つつ,字幕には全く違った意味があるものだと痛感しました。ミス・サンシャインの方は字幕の限界,ドリームガールズの方は字幕のおかげで,映画の楽しみが倍増することもあると実感しました。

ミス・サンシャインでは,言葉のユーモアがさり気なく登場しますが,その絶妙さや機微,文化的な背景の違いが,どうしても字幕に納まりきりません。これは,字幕の良し悪しではなく,言葉のアヤやジョークをいちいち説明したのでは,おかしさが半減してしまうからです。静まりかえった映画館でバカ笑いするわけにはいかず,訳しきれないジョークの連発に,笑いをおさえるのに必死でした。こんなに,くっくっ苦しかった映画は久しぶりです。

もちろん,笑いは言葉だけではありません。言葉に頼らない(=見て面白い)笑いもあれば,説明のいらない人間共通の笑いもあります。そして,芸達者な役者の演技力のおかげで,大いに笑えました。笑いの発散ができる箇所が充分あったおかげで,映画館で笑いをこらえて窒息死せずに済みました。

ミス・サンシャインは,バラバラな家族が一致団結して,娘の夢をかなえようとするところがよかったと思います。子どもが太陽の絵を描くと,日本では赤ですが,アメリカではサンシャインは黄色。幸せの黄色いハンカチ,いや幸せの黄色いVWバスでカリフォルニアを目指すロード・ムービー。最初から「できない」と決めつけたり,簡単に諦めず,例え思ったような結果が出なくても,どんなにバカバカしくても,「よくやった」と受け入れてくれる家族こそが,本当のサンシャインなのかもしれません。

ドリームガールズは,歌がストーリーの重要な進行役なのですが,うっかり歌詞を聞き逃しても,字幕が意味をしっかりと伝えてくれました。日本で映画を観ることができてラッキーだと感じます。感情の起伏が激しいこのような作品では,歌に呑まれてしまうと,耳から言葉が入ってこなくなります。ですから,言葉の意味が目から入る字幕の効力が最大限に生かされていたと思います。

エフィ役のジェニファー・ハドソンの歌唱力は,映画に命を吹き込むほど圧倒的かつ雄弁でした。彼女が,実質的に主役と言っても過言ではありません。一方,主役ディーナはキレイでいい子なんだけれど,言いなりになったままの前半から一転し,後半,本音を唄った『リッスン』で爆発。彼女なりに自立していくところがディーナの静かなるクライマックスだったと思います。噂どおりエディ・マーフィーの熱演・熱唱もお見事でした。

ミュージカルでは,モデルになった人々(ダイアナ・ロス,スプリームス,ベリー・ゴーディ…)や場所(自動車の街モーター・タウンを短縮したモータウンことデトロイト)等を,クレームが付かないように意図的に変えていましたが,ミュージカル初演から四半世紀と時は流れ,映画版では,実在の人物に敬意を払うことで,類似点を強調しています。唯一の違いは,エフィことフローレンス・バラード。現実は厳しく,貧困とアルコール依存症から,32歳の若さで1976年に他界しています。せめてミュージカルや映画の中で彼女を讃え,夢をかなえてあげることにしましょう。

3 「マッチポイント」
昨年のアカデミー賞(脚本)にノミネートされた映画で,ウディ・アレン監督・脚本。いつもの守備範囲ニューヨークを離れ,ロンドンを舞台に。イギリスの光と影を巧妙に採り入れた深みのある映像が印象的でした。上流社会になりあがるため(逆玉),かつ自分の欲望を満たすため(不倫),危険な綱渡りをする元テニス・プロ。マッチポイントで,ネットにかかったボールが手前に落ちれば負け。いや,人生においてそれは本当なのでしょうか…。大変巧くできた映画だと思います。

4 「上海の伯爵夫人」
1930年の激動の上海で,盲目のアメリカ人元外交官(主人公)が,ロシアから亡命してきた伯爵夫人,そして謎の日本人に出会います。この映画で唯一違和感を覚えたのは,謎の日本人マツダが,都合の良い時に登場して,主人公が自分で出すべき答えを,都合よくセリフに盛り込んでいたところですが,レイフ・ファインズを始め俳優陣が素晴らしく,また,東洋を熟知したクリストファー・ドイルの撮影が,いつものマーチャント・アイヴォリーの作品とは違った質感を醸し出していたと思います。

アメリカ人のジェームズ・アイヴォリー監督が,ムスリム系インド人のプロデューサー,イスマイル・マーチャント氏と組んだのが1961年。その後,ユダヤ系ドイツ人の脚本家ルース・プラワー・ジャブヴァーラを迎え,およそ半世紀にわたり良質の文芸作品を送り出してきました。

特に,EMフォスター(「眺めのいい部屋」1986年,「モーリス」1987年,「ハワーズ・エンド」1992年)や,ヘンリー・ジェームズ等の小説を原作に,違った価値観を持つ人々の間で起きる何らかの変化を題材にした作品は素晴らしく,多様な文化的背景を持つチームの本領が発揮されていると思います。エドワード王朝の英国を好んで題材に採り上げたのは興味深いものです。

また,カズオ・イシグロ氏の小説「日の名残り」(1993年)に興味を持ち,映画化したことも頷けます。イギリスに帰化したアメリカ人(ヘンリー・ジェームズ),そして,イギリスに帰化した日本人(イシグロ氏)。「上海の伯爵夫人」は,イシグロ氏の書き下ろした脚本ということで,注目していましたが,マーチャント氏が亡くなり,名コンビ最後の作品になります。

5 「ワールド・トレード・センター」
ニューヨークで9/11多発テロでは,テロ直後に救援に駆けつけた人々が二次災害に巻き込まれてしまいましたが,犠牲者2801人のうち,消防士343,港湾警察官37人を含む港湾職員84人,そして,NY市の警官23人。瓦礫の山から救出された生存者は,僅か20人だったそうです。この映画は,18番目と19番目に救出された港湾警察官ウィル・ヒメノ氏と上司のジョン・マクローリン氏の実話に基づいた映画です。

どうしても,生きて還ることのできなかった人々のことを偲ばずにはいられませんが,大変真摯に作られた映画でした。このように,生き残った人々が,語り継いでいくことも大切なのではないのかと思います。限られた情報と大混乱の中,危険を承知で救援活動に当たった人々の勇気に感謝しつつ。

6 「キンキーブーツ」
イギリスの「フル・モンティ」(1997年),「カレンダー・ガールズ」(2003年)の伝統に則り,経済的な困難を,人情とあっと驚く解決策で一致団結するコメディ。今回は,閉鎖寸前の伝統的な紳士靴専門の靴工場。跡取り息子が一気奮発して,新たな路線に挑戦。たまたま出会ったドラッグクイーン御用達のセクシーなブーツを作ることに…。実話にインスパイアされた映画だそうです。服装倒錯のローラ/サイモンを演じるキウェテル・イジョフォーの心優しく気高い女王様ぶりと,女装していない時の飾らない自信のなさ,よかったです。大いに楽しめました。

7 「16ブロック」
リチャード・ドナー監督(「リーサル・ウェポン」シリーズ,1987,89,92,98年)の刑事ものですから,お手のもの。証人を16ブロック離れた裁判所に護送する任務を受けた刑事。簡単なはずの仕事。ところが事態が急変,2時間後の裁判に間に合わなければ,悪人達が釈放されてしまう…。それぞれの思惑が力のバランスを変えつつ,保身のために法の一線を越えるかどうか判断を迫られる犯罪アクションもの。あまり期待していなかったのですが,思った以上に楽しめました。情けない刑事(ブルース・ウィリス)と,口八丁の証人(モス・デフ)の間にいつしか芽生える友情が,どことなく「リーサル・ウェポン」を彷彿。さすがはドナー監督,この手の友情もの,巧いですね。

8 「イルマーレ」
韓流リメークですが,自然な英語版の脚色に仕上がっていると思います。それぞれ2004年と2006年に生きる2人が,同じ湖岸のレイク・ハウスの郵便受けを仲介に出会います。そうそう,アメリカのメールボックスは,手紙を出す(投函する)ことができるのです。郵便受けの赤い旗を上げておくと,郵便配達の人が局まで持って帰ってくれます。今では,あまり書くことのなくなった手書きの手紙もいいですね。時間を越えた文通を通して,お互いのことを知り,惹かれていく2人。たまには甘口な映画もいいでしょ。バレンタインデーにピッタリでした。

9 「カサノバ」
ラッセ・ハルストレム監督の最新作とのことで,要チェック。豪華なキャスト,特に脇役が光っています。舞台は水と光の輝く18世紀のベネチア。1人だけの女性を愛するイメージから程遠いカサノバですが,恋に落ちます。シェイクスピアの「ベニスの商人」のオマージュ(ポーシャ,男装,機知),そして,「恋におちたシェイクスピア」(1998年)的なコメディに仕上がっています。ラッセ・ハルストレム監督の「ショコラ」に通じるモチーフ(宗教的な制約と自由,愛,女性の生き方,母娘,友情)も健在です。

今までとは違った面に焦点を当てたカサノバ外伝といった感じですが,ある意味で,ハルストレム監督のカサノバ解釈は,時代を反映していると言えるのかもしれません。女性が求める理想の男性像という意味で,プレイボーイがステータスだった時代は過ぎ,新たな解釈があってもいいのかもしれませんね。007だって,マイアミ・バイスだって,純愛なんですから。

10 「ザ・センチネル/陰謀の星条旗」
シークレット・サービス,大統領暗殺計画,濡れ衣をめぐるサスペンス。マイケル・ダグラスとキーファー・サザーランドと,この手の作品のベテラン俳優が挑み,無難にまとまっていますが,どうしても似たような映画や,TVシリーズ「24」等の二番煎じのような印象を受けてしまったのは残念。

1月の映画から

この1か月位の間に,日本で公開中もしくはDVDがリリースされた映画のメモです。忘れない間に書いておきますね。

1 「ディパーテッド」
マーティン・スコセッシ監督の本領大発揮!!!という訳で,悪い人のカタログのような映画ですが,上手い映画としか言いようがありません。アカデミー賞作品賞,監督賞,脚色賞,編集賞にノミネートされています。もちろん,アジアの脚本「インファナル・アフェア」をどのように脚色したのか,注目ですよね。

俳優陣のソツのなさも凄くて,演技面でのアカデミー賞ノミネートは助演男優賞だけでしたが,ベテラン俳優の競演が見どころの1つです。それにしても,法のどちら側に立つにせよ,悪さにもいろいろありますねぇ。rogues’ galleryさながらです。

ノミネートされているマーク・ウォールバーグは,自分なりの正義があるにせよ,とっても嫌な先輩を演じきっています。彼の主演した“Fear”(日本語タイトル「悪魔の恋人」1996年)という映画がありましたが,既に悪役の素質アリでした。“Fear”は,少し「太陽がいっぱい」(1990年)やリメイクの「リプリー」(1999年)的な展開で,裏と表のある悪さだったのですが,「ディパーテッド」では表の好感度もゼロ。感じ悪い。態度も悪い。あまりにも憎らしいので,こりゃ何かどんでん返しでもないと,救いようがないと思ったほどです。期待しないで観てください。マーク様,「プラダを着た悪魔」のメリル様共々,どうか職場を和やかにする努力をw!!!

思えば,2004年のアカデミー賞では,イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」が話題になりましたが,「ディパーテッド」も,同じボストンを舞台に,近所で育った青年たちが主人公です。法のどちら側にも存在する灰色の部分。苦悩する者,葛藤を無視して自己利益に専心する者。2005年のアカデミー賞では,マーティン・スコセッシ監督(「アビエーター」) vs. クリント・イーストウッド監督(「ミリオンダラー・ベイビー」)でしたが,今年は遂にスコセッシ監督が受賞? Well, it’s about time!!!

2 「鉄コン筋クリート」
美術館の学芸員さんのおススメで行ってきました。背景,キャラクター,配色などなど,全てvisual feastでした。よかったです!!!全体的に,澄んだターコイズ・ブルーが印象的でした。だからと言って,ケバさはなく,茶系統で繋ぎ止め,バランスよくまとまっています。石油コンビナートに薬局のカエル…。キッチュなんだけれど懐かしく,昔を彷彿するんだけれど新しい。それから,日・米(マイケル・アリアス監督)の制作チーム!これぞ,チームワークの結晶です。こんなことができるなんて,本当に嬉しくなりますね!!!

3 「幸せのちから」
ウィル・スミス大熱演は本当です。個人的には,脚本のスティーヴン・コンラッド,注目しています。報われるかどうかわからない不確かなことを,続けていく勇気を与えてくれる映画だと思います。「ディパーテッド」より映画館が混雑していて驚きましたが,このような映画が求められているということは頷けます。以前TVで,本人(実話)が回想する番組を見ましたが,落ち着いた温和な人でした。

「ディパーテッド」は,レオ様(の立場)が気の毒でしたが,どうしようもないのに対して,「幸せのちから」は,主人公と一緒にハラハラドキドキして,応援のしがいがありました。何と言っても,主人公が走り回ります。観ているだけで息切れします。(考えようによっては,「ディパーテッド」は,あるがままに悪い人を描いているため,感情移入できる人がいないのに,あれだけ説得力があるのはもの凄い!)

どんな窮地にあっても,どんな困難に遭っても,息子に辛くあたったり,投げやりにならないところがよかったと思います。ホームレスになり,教会の宿泊施設を利用するため,子どものおもちゃ(キャプテンアメリカ)を拾ってやる余裕もなかったところでは,満場の劇場が反応しました。泣きじゃくる子どもがかわいそうで,何とかしてあげたい気持ちと,おもちゃを拾うと,その夜泊まる所がなくなってしまう父親のジレンマ。不思議なもので,息子も父親が精一杯生きていることを理解していました。それが,生きていくちからなのだと。

4 「トランスアメリカ」
噂どおり,フェリシティ・ハフマンの演技力は素晴らしい。女性が男性を演じた例では,「危険な年」でアカデミー賞助演女優賞受賞したリンダ・ハント(彼女の話す声がいい)を思い出しますが,男性から女性に変わる過渡期を演じる点で,こちらは,男性,女性,どちらが演じても難しい役です。ハフマンの演技は機微に触れるもので,静かなる説得力がありました。

「プリシラ」(1994年)のように,主人公が男性だった頃にできた息子が登場しますが,奇抜な女装と笑いで面白おかしくパッケージされていた頃から,映画における性同一性障害が,随分真面目に扱われるようになったものです。「ボーイズ・ドント・クライ」(1999年)あたりからの傾向で,ヒラリー・スワンクがアカデミー賞主演女優賞受賞を受賞しましたっけ。

「トランスアメリカ」も,「プリシラ」も,ロードムービーで,それぞれ,アメリカとオーストラリアを横断する間に,家族とのかかわりを見直し,自分を見つめる機会が訪れます。普通の人より,生きることが難しい。だからこそ,映画の題材として取り上げられてきたのでしょう。困難な道を選んだ人の生き方に,何らかの意味を見出すことができれば,きっと観る価値があることだと思います。

5 「X-MEN:ファイナル ディシジョン」
アメコミの実写で,しかも第三作。いえいえ,決して盛り下がっておりません!!!よかったです。豪華な俳優陣の演技力に支えられ,丁寧に作られた映画です。大いに楽しめました。

6 「マイアミ・バイス」
TVシリーズのグラマラスなイメージとは違ったアプローチですので,TV番組ファンの方は肩透かしを喰らうかもしれません。大金の動くバイス・スクワッド(麻薬特捜班)なんだから,派手なライフスタイルも仕事のうちだったTV版とは大違い。どちらかと言うと,「トラフィック」(2000年)に近く,かなり控え目,Low Keyです。ファッショナブルな相棒と,遊び人風のドンちゃん(ドン・ジョンソン)のアタリ役でしたが,映画版は(女性への想いも)一途なバッチいタイプ。どちらも,マイケル・マンが手がけていますが,別ものだと考えた方がよいのかもしれません。

自家用ジェットやハイスピードボートの映像が素晴らしかったです。マーティン・スコセッシ監督の「アビエーター」で,ハワード・ヒューズが,飛行機の撮影は雲がいると大騒ぎしたのを思い出しました。見事な積乱雲や南米の滝が画面に捉えられています。

7 「プルートで朝食を」
この映画も,性同一性障害を扱った映画ですが,アイルランドとイギリスの関係に絡めた原作(パトリック・マッケーブ著)は,1998年のブッカー賞にノミネートされています。覗き小屋の告白シーンとか,父と息子,母探し等,「パリ,テキサス」(1984年)と重なる部分もありましたが,舞台がロンドンということで。流れている音楽が違いますね。

主人公を演じるキリアン・マーフィーは,ちょっと悲しげで,愛おしい主人公を熱演していて,「バットマン ビギンズ」(2005年)の悪役から,全く想像がつきませんでした。「真珠の耳飾の少女」(2003年)では,スカーレット・ヨハンソンの彼氏役(肉屋のお兄さん)でしたが,か弱さとか美しさで,決して引けをとっておりません!

8 「レディ・イン・ザ・ウォーター」
M・ナイト・シャマラン監督,いつも注目していますが,次作に期待しましょう。ハイ

9 「M:i-3」 (ミッション:インポッシブル3 )
1本目はOKどころか楽しみました。
2本目は,とってもself-serving。
もうこれ以上言う必要はないでしょう。

昨日・今日・明日

「父親たちの星条旗」と「トゥマロー・ワールド」を観てきました。

星条旗の方は,間もなく上映される「硫黄島からの手紙」と対になっており,是非とも劇場で観ておきたかった映画です。コンセプトのレベルから,一本の作品に両側の視点を詰め込むより,一対の作品として,じっくりそれぞれの立場を語るという企画はお見事。

クリント・イーストウッド監督,ポール・ハギス氏の脚本と,アカデミー受賞作品「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)の最強のチームが手がけています。ドリーム・チームでも,コケることがありますが,これは,相乗的な功を奏したといった感じです。

不条理を得意とするイーストウッド監督と,同じ出来事を複眼的な視点から描くハギス氏のスタイルが生かされていますが,スティーブン・スピルバーグ氏の製作とのことで,凄いメンバーですね。もちろん,「プライベート・ライアン」(1998年)や「バンド・オブ・ブラザース」(2001年)等の経験も充分に生かされています。

第二次世界大戦で,激戦を経たトラウマの傷を癒す暇もなく,茶番に巻き込まれていった3人の青年の物語ですが,演出に積極的に関与した者,参加はするが良心を忘れなかった者,トラウマと良心の軋轢に飲み込まれた者,それぞれの孤独をイーストウッド監督らしい切り口で描き,名もない英雄たちと,メディアの生み出した偶像を対比させていました。

それぞれの立場を理解しようとするポール・ハギス氏の視点と,醜さも傷も全てあるがままに描きながらも,何か心動かされるイーストウッド監督の姿勢。イーストウッド監督は,音楽も担当されているとのことで,残虐な殺戮を素朴な旋律で包み込んでいたのが印象的でした。(以前はもっとシニカルで,突き放した感じがしましたが,ダーティー・ハリーも人の子だったのかと。) 是非とも硫黄島の方も劇場で観たいと思います。

「父親たちの星条旗」が,うやむやになっていた過去の出来事を理解しようとしているのに対して,「トゥマロー・ワールド」の方は,比喩的に“what if”(仮想未来)を投げかけていますが,どちらも,今の生き方を考えるキッカケに出会うことができる作品だと感じました。昨日,明日,そして,残ったのは今日。今日をどう生きるのか。

アルフォンソ・キュアロン監督の「トゥマロー・ワールド」は,近未来(2027年)を舞台にした作品ですが,やけにリアルでした。中東,南米,アフリカ……。War Zone。悪夢の未来編。Things went terribly wrong. アメリカのインナー・シティーにだってありえる状況です。

グレッグ・レイクの透明な声(「クリムゾン・キングの宮殿」)が流れてきたところで,個人的には,映画がボツでも許せると思いましたが,最後迄観てよかったです。全体的に,このアルバム(宮殿)が出た1960年代の匂いがします。マイケル・ケインを始め,登場人物のライフ・スタイルはヒッピー的ですし。

ところで,この映画,クライヴ・オーウェン,マイケル・ケインと,名優の演技も見どころでした。同じような前提をテーマとした「イーオン・フラックス」の視覚化や解釈とは,違ったアプローチがとられているのも興味深いものです。

昨日への理解と明日の可能性から,今日という日が生まれる……

寅・とら・トライ・アゲインPart1 第6夜

「祭りから祭りへ」

第1作「男はつらいよ」メモ
(1969年・昭和44年8月)

記念すべき第1作,寅さんの原点が凝縮された1本です。何と言っても,元気のよさが気持ちいい。今は亡き父親と,些細なことで喧嘩して,家を飛び出してから20年ぶりに葛飾柴又の故郷に戻った寅さん。帝釈天のお祭りに飛び入りで参加し,懐かしい人々との再会を果たします。わかりますか,不良の寅ですと,悪ガキだったこと,そして,自覚していることが,よく伝わってきます。風貌といい,喋り方といい,ズバリ寅さん。

5,6歳だった妹さくらは,今では美しく成長し,優秀な丸の内のOLです。寅さんが帰って来た翌日に,お見合いがありましたが,お酒の入った寅さんが,寒いジョークを連発してぶち壊してしまいます。ハメをはずした寅さんの場違いな言動や,見ていてハラハラさせられる不謹慎さが,寅さんらしさの一つなのですが,この辺を許せるか,許せないかが,映画の好き嫌いの別れ目にもなっていると思います。寅さんの迷惑さ第1回目の犠牲者は,他ならぬ妹さくらでしたが,彼女の方から,大喧嘩した兄に「お兄ちゃん,大丈夫?」と,歩み寄ります。

力が対等な人か,自分より強い人との喧嘩はコメディーですが,シリーズ初期の頃は,女性や自分より弱い者にも手を出す乱暴者と,設定が生々しく荒削りでした。第2話では,源ちゃんをアザができるくらい殴っています。シリーズが進むにつれて,暴力をふるう父親の連鎖が薄くなり,タコ社長との取っ組み合い等,喧嘩のお相手が決まってきます。

喧嘩の原因は,プライドを傷付けられたと思った時の反応であることが多く,寅さんは傷付きやすくて,笑い者にされることに過敏です。調子に乗って寅さんネタで盛り上がっているのを聞いてしまい,バカにされていると食ってかかる喧嘩になり,いたたまれなくなり旅に出るパターンが確立していきます。

マドンナとの出会いは,喧嘩して飛び出した旅先(奈良)。何故だか外国人観光客の案内等をしている寅さんが,奇しくも,帝釈天の御前様とバッタリ。美しい娘の冬子さんを,御前様の彼女と勘違いしますが,寅さんにとって幼馴染ということが判明します。その昔,出目金といじめた仲。第1作のマドンナ・パターン(光本幸子)は:

帰郷→喧嘩→家を出る→マドンナとの出会い→帰宅→マドンナの訪問→マドンナに夢中→失恋→旅

・寅さんは,3ヶ月間奈良で療養していたというマドンナを元気付けているが,マドンナは高嶺の花
・マドンナは寅さんをその気にさせているけれど,マドンナは寅さんの気持ちに気付いていない(少なくとも知らん顔)
・ライバル(本命)は大学の先生で,マドンナは寅さんを男性として見ていない
・自他共に認める大失恋

ここで,美しい人に目がなく,一目惚れし夢中になる,ただ,男性としてはリーグ外(土俵が違うの)で,本命がいてフラれるという,皆の期待するところの寅さんネタ(「馬鹿だねぇ」)が確立しています。そして,第1作では,ほのめかされた程度(元気がなかった)ですが,たいていのマドンナはいわくつきで,寅さんが東西奔放して力になろうとするパターンができます。頑張るから,がっくりくるのも大きいのですが。第1作の恋愛パターンは,初恋的な片思いで終わってしまいます。

寅さんの恋愛観や結婚観等に,大きく影響していると思われるのは,へべれけに酔った時に出来た子どもなので,寅さんの出来が悪いという父親の言葉。妹さくらの見合いの場で,酔っ払った勢いに出た言葉と皮肉ですが,寅さんを深く傷付けた言葉に違いなく,真面目にやって欲しかったと本音が出ています。寅さんの恋愛観は,実は大変真面目なものなのではないのかと思いました。

第1作の主な流れ(おまけ)

20年ぶりの帰郷・再会
↓(帝釈天の御前様,叔父夫婦,妹さくら)
妹の見合いを破談にする
↓(舎弟 登と再会・勝手に居候させる)
喧嘩して旅に出る
↓(反省の置手紙)
(1ヵ月後)
法隆寺でマドンナと出会う
↓幼馴染(出目金といじめた御前様の娘)
帰宅・マドンナの柴又訪問(再会)

寅さんの人の恋路の邪魔(博の失恋)

博を追うさくら(夜の柴又駅・電車)気持ちが通じる二人

さくらと博の結婚(博と両親の8年ぶりの再会)

まわりの心配をよそに,マドンナに夢中(片思い)
↓子どものように楽しい日々
ライバル(マドンナの婚約者)出現

失恋
↓自分の失恋ネタで盛り上がるのを聞いてしまう寅さん(さくら・枕ジョーク)
旅に出る(上野の駅のラーメン)

(約1年後)
寅さんに似た満男の誕生
反省のハガキ

日本のどこかで,今日も元気にテキヤ稼業を続ける寅さん(天橋立)

寅・とら・トライ・アゲインPart1 第5夜

All You Need Is Love…

 

今夜は,寅さんの恋愛その2です。

 

昨夜は,寅さんの恋愛パターンを探ってみました。光源氏のように,いろいろな女性に出会い,別れていくけれど,そもそも恋愛と言うよりは,憧れに近いものが多く,相思相愛になったのは一握り,しかも,擦れ違いの関係が描かれていました。

 

一般大衆向けコメディーという映画の路線が守られ,ジェームズ・ボンド(007シリーズ)のようなプレイボーイではなく,男女の深い仲といった描写はほとんどありません。モテないわけではないのですが,ジェームズ・ボンドのように,意中の人と毎回ハッピーエンドで,次作品で白紙に戻るといったストーリーの構造ではなく,フラれるか,身を引くか,勇気がなくて自滅と,結ばれないのがお決まりです。

 

昨夜は,「マーティ」(1955年)の下町の人情,カッコ悪さの中の人の温かさ,そして,「おかしな二人」(1968年)的なボケとツッコミのシチュエーション・コメディーが,洋画的に類似していると引き合いに出されました。全体的にコメディー映画の原型としましては,ボブ・ホープとビング・クロスビーの「珍道中シリーズ」(7本,1940­60)があります。

 

俳優(ホープとクロスビー)の持ち味を生かし,ギャグ,パロディー,楽屋落ち,クロスビーの劇中歌と,ボーデビルないしバラエティーショーさながらの構成は,何でもアリです。もちろん,寅さんの方は,江戸文化や噺家と,日本独特のお笑いがベースとなり,しっかりローカライズされていますが,こちらの方も,何でもアリ,盛り沢山です。

 

また,「珍道中シリーズ」は,海外旅行が珍しかった時代に,一般庶民に行けないような珍しい土地を訪れるロード・ムービーでもありました。もちろん,マドンナも登場しますし,男の連帯感や友情も映画の大事な部分です。「男はつらいよ」シリーズも,一種のロード・ムービーであり,一度は行ってみたいところや,日本の風景を上手く映画に取り入れています。

 

寅さんのマドンナに関しては,最初からそのような呼び方が定着していなかったそうで,マドンナと寅さんの関係が,ストーリーの核心にあるとは限らず,映画の後半の方に,ほとんど擦れ違うような感じで登場することもあります。往年の大女優の逸話が深みを与え,マドンナでない女性との一期一会も,「男はつらいよ」シリーズの魅力だと思います。

 

 

(寅・とら・トライ・アゲインPart1: 第1作~24作)