風薫る季節に

 

いつもの通勤の途上に、ジャスミンの馨りが流れる。生垣の向こうの家屋に、屋根まで届くようにジャスミンが絡んでいる。普段は気付かないのに、清楚な白い花が、古い家屋の深い色合いの壁や屋根とコントラストをなし、5月の風を甘く誘いながら存在感をアピールしている。

冬至の後、二十四節気の「小寒」の梅から、春の終わりを告げる 「穀雨」まで、それぞれの時節に咲く花を知らせる風のことを二十四番花信風と言うそうだ。花と鼻で知る季節のうつろい。梅の香りは東洋独特なもので、西洋から来ている人に教えてあげると、ささやかな発見を喜んでくれる。仕事仲間のエリンは、梅の花の咲き具合や、朝、夕、と時間帯によって、香りが変わるのが面白いと話してくれた。沈丁花の香りには独特な存在感がある。鮮やかなツツジは甘く透明で、雨の中に佇むクチナシの甘美な香りが、湿気を含んだ空気に漂う。柑橘系の花の匂いは爽やかで新緑に映える。そんな5月の花の馨りのシンフォニーが街に響く頃には、自然と足取りが軽くなる。

ふと「潜水服は蝶の夢を見る」(2007年)という映画を思い出した。43歳のファッション誌編集長(フランス)が、脳梗塞からロックト・インシンドロームのため身体の自由を奪われてしまい、唯一動く左目を使って瞬きだけで自伝を綴ったという実話を基にした作品だ。本人ジャン=ドミニック・ボービーが登場するドキュメンタリー「潜水服と蝶-20万回の瞬きで綴られた真実ストーリー」(1997年、原題 Assigné à résidence、監督J=J・ベネックス)も素晴らしかった。JJの「ディーバ」(1981年)や「ベティ・ブルー」(1986年)の感性が、生き生きと原作を蘇らせてくれたからだ。

しかしながら、映画にもドキュメンタリーにも取り上げられなかったが、原作の中に強く印象に残った描写があった。海辺でフライドポテトの屋台の風下に車椅子を移動してもらい、胸一杯にポテトの匂いを満喫したというものだった。本人は申し訳なさそうに、高尚な匂いでないことを謝っていたが、私たちが夕飯時にどこからとなく漂うカレーライスの匂いに、幸せと安堵を感じるようなものだろうかと想像した。幸せとは、そんなささやかなものなのかもしれない。食事する楽しみを奪われていたから、胸一杯のポテトの匂いは、懐かしくて、一層美味だったに違いない。……アメリカではフライドポテトのことをフレンチフライと呼ぶが、フランスに行ってポテトがフレンチな理由を実感した。まだ寒さが残る早春のパリ、ルーブル美術館で食べた大きなカットのフレンチフライことアツアツのフリット(Frite)は最高だった。  

※一番下の写真の中央は、アメリカ南部の朝食で定番のグリッツ(ひき割りトウモロコシ)でできたブローチ。ハナミズキ(dogwood)の花をかたどっている。桜のお礼に、アメリカから日本へ贈られたハナミズキ。今では街路樹として街に彩りを添えている。アメリカ南部でよく見かける春の花。日本では桜の後に咲く。秋の紅葉も美しい。

2 Responses to 風薫る季節に

  1. kakeru.yabuki says:

    フリットの話はよく覚えています。Spring Time in Parisに書かれたでしょう。井の頭公園で学生時代の友人と会って話をしたとき、俄然行こうと思いました。

  2. mari says:

    ボードレリアンさん、お元気ですか。パリに是非、行ってくださいね!井の頭公園へは、昨年、久しぶりに行きましたが、緑が美しかったです。学生時代は近くに住んでいました。

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